永禄7年(1564年)冬。
桶狭間から四年――越前国では、明智光秀が清貧の日々を送っておりました。
長女のお岸が育ってきました。どうやら明智家は、左馬助が働いて収入を得ているようです。
その左馬助はこう言うのです。
またです、難しい顔をして書物を読んでいるって。剣術の稽古でもしなければ体が鈍るってさ。
嗚呼、左馬助よ……。
彼は極めて善人で、父・光安そっくりで、明智家を支えているけれども。当主である光秀を完全に理解しているわけではないのでしょう。タイプが違うんだ。
コロナの時代、人間にはいろいろな種類がいて、重なり合わないこともあると判明してきました。人類史はどうやら新局面にあるようです。
で、そんな2020年代に光秀と左馬助がいたらどうなのか?
想像はつきます。
光秀は、リモートワークで驚異的な効率を発揮し、波にこれから乗ってしまう。
左馬助は、「こんなことではストレス溜まるよ!」と、不調に突っ込んでいく。
光秀みたいなタイプは、ああやって難しい顔で読書することで、心身ともに鍛えられるのではないでしょうか。そっとしておくのが良さそうです。
煕子はそんな夫を理解しています。何かお考えがあるのだと嗜めます。
そんな明智夫妻には、二人目の娘がおりました。たまという名前です。
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関白と将軍の対峙
一方で、京は平穏です。
それというのも、三好長慶がキングメーカーになってしまったからでして、実権を握り、支配は盤石なのです。
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ただ、それは足利義輝がレームダック、傀儡(かいらい・操り人形)になってしまったということではあります。
若き関白・近衛前久は、義輝に対して改元を迫っておりました。
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甲子(きのえね)の歳は、改元をすることになっている。 将軍が伺いを立て、帝が応じる。
そういう慣例があるのに、義輝は動かない。将軍の名に傷がつくと、苛立っております。
今週は前川洋一氏の脚本ですが、この方はこういう室内での政治劇がお得意なのでしょう。
これからますます出番が増えて結構なこと。明日の大河は、前川氏のような人材あってこそ持つ。こういう方が、『軍師官兵衛』の名を背負ったことは、もはや罪悪であるとしか言いようがないのです。
こういう当時の慣習って、「つまんないし、今の視聴者はわかんないし、それより受け狙いできる場面にしちゃえ」とやりたくなる可能性もあったでしょう。
しかし、このドラマは逃げない。まったくほんとうに、よいことを為されます。
令和のあれやこれやを見ていて興味を持った方もおられるかもしれません。
改元って、重要なのです。
為政者が時代を変えてゆく。そういうことを天下に示す。ただの改元、されど改元。義輝にプライドなり野心があれば、そこは逃せないはずで……確かに異常だ。
「それがしを将軍と思いますか?」
はい、義輝はもう完全に壊れてしまっています。ヒビが入った顔です。
向井理さんは、捨て鉢で、疲れきり、心が砕けようとする将軍を体現しています。
京を治めているのは三好。何の力もない。
三好は将軍家に仕えていると言われたところで、その家臣に娘を人質に出していると自暴自棄になって語ります。
将軍など名ばかり。帝も軽んじてている。そう言われ、前久は色めき立ちます。なんでも五年前、朽木谷にいる折、勝手に改元してしまったのだと。
義輝はくやしかった。そののち、しばらく弘治の年号を使い続けたそうです。その時から、もう帝は信用していないのだと。
前久は、帝は武士の後ろ盾さえなければ何もできぬと粘りますが、義輝は改元など知らぬと言い切ります。
この、祭祀や行事を司る天皇と、実質的な権力を持つ将軍の対立というのは、日本独自のようでそうとも言い切れないものはあります。
遠いヨーロッパでは、教皇と王が対立――宗教改革がありました。
純粋にルターたちの思想に感動して、これからはプロテスタントだと思った王侯貴族から民までいる。
その一方、イングランドのヘンリー8世は教皇の顔色をうかが状態が嫌だという理由で、身勝手な宗教改革を断行しました。
経済が発達し、この時代は、多くの国で何かが変わりつつあるのです。
生まれた時代が悪かった! そうまとめられれば、そうだけれども。
藤孝、突然の来訪
光秀が静かに書物を読みふけっていると、一人の武士が現れました。
細川藤孝です。
そのまま光秀の様子を覗いておりますが、藤孝の何がすごいって、その段階で光秀への敬愛が漏れているところでしょう。後光みたいに、好きな気持ちがあふれている。
光秀もそんなオーラを感じたわけではないでしょうが、藤孝の姿に気づいて驚いています。
「十兵衛殿の顔を見たくなった」
光秀に対してそう言う藤孝の表情が素晴らしい。
視聴者だって、十兵衛殿の顔を見たかったんです!
汚いところだと言いつつ、光秀はもてなします。煕子もお客様に驚いています。
煕子は本当にほ菩薩様みたいな良妻です。
いつも話している細川藤孝殿の来訪と聞き、即座に理解してしまう。迷惑そうな顔をしない。夫にとって大事な方ならば、私にとってもそう。煕子は、儒教倫理にぴったり沿った良妻です。
こういう古典的な女性を描くことにも意義はあります。型破りタイプの女性との比較にもよいのです。
そんな煕子は挨拶しつつ、藤孝をもてなします。
光秀の「汚い家」は謙遜でもなく、ほんとうに汚い。それでも酒を注ぎ、煕子は豪華な焼き魚をサッと出してくるのでした。ここで光秀が驚くところが、無言でも絶品の演技です。
無理をしてでも、背伸びしてでも、客人をもてなす――。
能の「鉢木」があります。来客のために、大事にしている盆栽を燃やすこと。こういうことが、道徳として伝えられてきたわけです。古典的な道徳心が心にしみますね。
藤孝も、過分なおもてなしだと恐縮しています。眞嶋英和さんは、言動が嘘を感じさせないから、いつ見てもすっきりします。
そうしてもてなしているところへ、牧が岸とたまを連れてきます。
何気ない場面のようで、本作らしいロングパス。
人見知りをするたまが、穴が開くほど藤孝を見つめている。抱かれてもおとなしくしている。お気に入りのようだと煕子と牧は驚いています。
藤孝の抱き方も慣れている。彼も子どもがいるのでしょう。そしてお世辞でもなく褒めている。なんだか運命を感じるのです。
ここでわざとらしく、藤孝が同じ年頃の息子がいるとか。美人だからその息子の嫁にたまを迎えたいとか、言わせようと思えばできるはず。
それでもやらないところが、前川氏のストイックでうまいところ。
どうしてこんな藤孝から、あの息子が……そうちょっと思えてきました。このたまは、藤孝の暴れ癖のある息子の妻となります。誰が演じるのか、今から気になるところです。
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義輝は本当にダメになってしまったのか
藤孝と二人だけになると、京で何かあったのかと光秀は切り出します。
わざわざ顔を見にきただけではあるまいと。藤孝は、お会いしたかったのは本当だと言ったあと、確かにそれだけではないと認めます。
なんでも能を演じるから、光秀も京に来て欲しいそうです。
光秀は、公方様が自分を求めていることに驚きます。そのうえで、浮かれずにわかには信じられない、一介の牢人にすぎないと言うのですが。光秀は、それなりの猜疑心があるのと、自己評価が低いのと、自分をよく理解できていないのでしょう。
光秀は、駒から信長まで、ともかく求められる。
彼を知る人物の多くがそう言う。これはモテとか主人公補正ということだけでなくて、彼なりの大きな力なのですが、そこにどうにも本人が無頓着なようです。
藤孝は本音を言います。
上様はもう変わってしまった。ないがしろにされ、都は以前にも増して三好が力を増し、怠惰な日々を送っている。
光秀が五年前も元気がなかったと振り返ると、悪化していると藤孝は言います。奉公衆が諫めても、将軍としてのつとめを果たさないのだと。藤孝は実直に諫言を言いすぎて、遠ざけられてしまっているとか。
理想の名君とは、諫言を聞くというのが儒教規範の理想です。義輝はほんとうに駄目になってしまった。
だからこそ十兵衛を京に呼び、真意を探っていただきたいのだと。藤孝が丁寧に頼んできます。
やはり、光秀は【魔法の鏡】らしい。
対象者を見つめる役割を果たすがゆえに、求められる。光秀って、きっちりこうだという型がなくて、演じる長谷川博己さんも奮闘しどおしだと思います。
脚本を書く側だって、演出側だって、長谷川さんがどう演じてカメラに映るかまで、想像できないところがありそう。そんな鏡のようで、水のような、不思議で魅力的な人物を描こうとしている。
なまじ見られない時間が長かっただけに、そんな魔法のような光秀像がどれほど尊く、よいものか。噛み締めております。
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