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【麒麟がくる第22回感想あらすじ】
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多聞山城の松永
そして大和の多聞山城へ。
センス抜群、浮世離れした壮麗さであったと伝わる、そんな松永久秀の居城です。
信長を2度も裏切った松永久秀は梟雄というより智将である~爆死もしていない!
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前久は改元のことを言いにきました。なんでも三好長慶から改元を提案したものの、帝は応じなかったとか。
昔から改元は将軍がするから。そう突っぱねられたわけです。
権力の移行は、武力だけではなく、儀礼でもするもの。三好長慶の下克上は、ここにも極まっているわけです。
ここで前久は、妙な噂を耳にしたと言います。
「将軍を亡きものにせんと企んでおる輩がおるというのじゃ」
「なんと! それはまことか!」
そうしらを切りますが、前久は久秀の子・松永久通が一枚噛んでいると言います。
それでも久秀は笑い飛ばし、こう来ました。
「……関白殿下ともあろうお方が、そのような戯言を真に受けるのはいかがなものですかな」
太々しい! この男は権威なんか笑い飛ばす気満々だと。
民に施しを行う覚慶=義昭
商人にも優しく声を掛ける僧に、駒は深々と頭を下げます。
彼女の心の琴線に触れたのでしょう。駒が丸薬を配る気持ちは、世界をより良くしたいから。貧しい人、苦しむ人を救いたいから。そんな彼女と思想が一致しそうな僧に、感極まっているのでしょう。
「よくお見えになるそうですね。みなさん喜んでおられました。生仏のようなお方じゃと」
「畏れ多いこと。私はただ、己ができることをしておるだけ。あれくらいしかできない。では」
僧侶は覚慶。のちの最後の将軍となる義昭です。
なぜ足利義昭は信長と共に上洛しながら一人京を追い出されたのか 流浪の生涯を辿る
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足利義昭が民に施す僧侶かよ! 話盛りすぎだな!
そういうツッコミはあると思うのですが、本作には終始一貫した部分があります。
駒も、覚慶も、麒麟がくる世の中を待っている。
そのためには、目の前にいる困った人に善意を届けたい。こういうことはきれいごとでも何でもない。募金箱にお金を入れて、クラウドファンディングに協力する。そういう庶民がささやかな善意を見せることには、紛れもなく世の中をよくする力はあるはず……なのですが。
【情】の力です。
どうにもそんなものは微力だ、綺麗事だと言う意見は出てくることでしょう。
そんな船から水を汲み出すようなことをしてどうするんだ? 世の中の仕組みを抜本的に変えるんだ! そういう【理】の変革を見据える人物も必要です。
覚慶が見せるようなことを「婦人の仁」とも呼びます。韓信が項羽を評した言葉です。
男女差別はとりあえず横に置きまして。要するに、情にほだされて優しさを見せる。でもそんなことは世の中そのものを変えられないじゃないか。そういうことです。
立場もあります。一個人単位であれば、そういう情けがあった方がいいに決まっている。でも為政者ならば、もっとでかいものを持てと。為政者のおちゃめな話に流されている場合じゃないと。
覚慶のこの優しい好青年像は、今後誰かとの対比で見えてくる欠点の前触れかもしれません。
ここまで見てきた方なら、想像できるかと思うのですが……世の中の根本を変えるためならば、流血をおそれないし、悪名もどうということはない。そういう人物。
織田信長です。
それにしても、この覚慶。兄である向井理さんと比較して、年齢的に無理をしてでも滝藤賢一さんにしたあたりがすごい。
ひょうひょうとしていて明るいようで、クセがある。でも、豊臣秀吉を演じる佐々木蔵之介さんのように怖いところはない。ほんとうに、よくぞこういう適材適所ができるものだと思います!
久秀と太夫の奥深き妖艶
さて、大和では。
伊呂波太夫が松永久秀に、鳴り物禁止の件をなんとかして欲しいと頼み込んでいます。
しかし久秀は、喪が明けるまで待って欲しいと言います。そのうえで、あれ(久秀の妻)と仲が良かったのだから、わしの気持ちもわかるであろうと理解を求めるのです。太夫は、お優しいかたで、残念だったと振り返ります。
なんというかつてない松永久秀! 愛妻家じゃないですか。
久秀はなまじ、フィクションではエロに暴走する像が多いものでして。鼻をちょっと啜って、妻恋しさを出す久秀からは、新鮮なものを感じます。
「のう太夫……このままずっと大和にいる気はないか?」
「は?」
ここで久秀、こう切り出しおった。
愛妻家じゃないの?
久秀はとっくに倅に家督を譲り、今や隠居の身。三好の殿も病がちだし、もう我らの出る幕はないと言い出します。ここらでゆるりとしたいのに、女房に先立たれ……そしてこう来ました。
「もう寂しうて寂しうてたまらんのじゃ」
酒を飲み、赤い盃の向こうから太夫に目線を投げかける久秀。
なんじゃこりゃ、かつてないキュートな松永久秀だなぁ。スケベ心丸出しかというと、それがうまい寸止めというか。
深芳野と斎藤道三もそういうものがありましたが、いわゆる奸雄でも、女を侍らせてウハーという感じではない。
しっとりと、寄り添って、酒でも飲んで語り合いたいのじゃ。わしだって寂しいのじゃ……そういう境地に突っ込んできたな。
太夫の手を握り、こう頼み込む久秀です。
「……わしのそばにいてくれんか」
太夫はお気持ちはありがたいと言いつつ、「やることがございますので」とはぐらかします。
この「ふふふ……」と笑う尾野真千子さんは、もう、妖艶という境地の頂点に達しました。そりゃ久秀も頼むわ。
久秀はくやしそうに、まだ稼ぐつもりか、そんなに稼いでどうするつもりかと嫉妬をこめて言います。
「誰か貢いでいる男でもいるのかっ」
「はい、おります」
「どこのどいつだ、その果報者は!」
ここの久秀は、いろんな要素があります。
大和一の権力者。しようと思えば、力づくで太夫をなんとでもできるはず。でもしない。紳士だからさ。
妻に先立たれた、哀れな老いた男。若さよりも、寂寥感をアピールしています。
でも、太夫の愛する男を「果報者!」と呼び、嫉妬してしまうダメな男。コミカルなんだな。
これを全部ひっくるめて、そこを色気とダンディズムで覆い、見せてこなければならない。こりゃ吉田鋼太郎さんじゃなきゃできない。そういうとんでもないところへ着地しています。
圧倒的な色気! ここ数年でも、かつてない妖艶さがあります。大河のテコ入れでお色気報道があるたび文句をつけてきたクソレビュアーですが、これは最高です。もっとこの調子でがんばって欲しい。
古典的かつ最新鋭のお色気、かつ個性あふれる色気に突っ込んできました。
金や権力でどうこうする。アクシデント的に露出が見える、いわゆるラッキースケベ。いきなり相手が寝室までやってきて脱ぐ。そういうご都合主義。わけわからん壁ドン。スポーツ女性の隠し撮り。ここ数年のあれやこれやを思い出し、そうじゃないと毒づいてきた。それに対して、あり余るほどの妖艶さを見せつけられました。
別に久秀も太夫も脱ぐわけじゃないし、会話をしているだけと言えばそうなのです。
それでも、久秀は太夫の魅力に酔っているとわかる。太夫は相手を酔わせていて、それをわかっているとも伝わってくる。
そうそう、松永久秀は房中術に詳しいことも有名です。ゆえにフィクションでは、エロ大魔王扱いもあるのですが、これもそういう単純なことでもありません。
房中術も、医療や天地と関わりがあるものとされるのが、東洋の思想です。
陰である女性、陽である男性。この間に、不満や憎悪があると、陰陽の気が乱れて、ろくなことにならない。相手を気遣い、観察し、もちろん同意を取らなければならない。そういう極めて現代的なマナーを網羅してこそ、房中術なのです。まずはそこからだ!
だからこそ、この久秀は素晴らしいと思った!
相手に懇願し、条件をつけて、拗ねて、無理強いせず、会話を楽しむ。そういう粋な遊びの境地がそこにはありました。
吉田鋼太郎さんと尾野真千子さんでないと、この雰囲気は出せない。そういう凄まじい境地があった。すごかった。えらいものを見てしまった……。自分が見ているものが信じられないくらい濃密でした。ありがたいとしか、もはや言いようがありません。
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