信長は天下一統に近づいてゆく。
自分ならば思うままに振る舞えると思うようになった。
それなのに、帝は思うようにならない。
帝を替えよう。攘夷していただこう――そう願うようになる。
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丹波制圧
天正7年(1579年)、黒井城と八上城が落ち、丹波全域がようやく制圧されました。
光秀は城主に温情を見せます。
開城した潔さを鑑み、波多野兄弟に助命を申し上げると告げるのです。
「安んじて旅立たれるがよい」
そう城主たちに声をかける光秀の顔には、穏やかな微笑みすら見えるのでした。
近江・安土城では、光秀が丹波と丹後を制圧した光秀と細川藤孝を労います。
信長はこう言うのです。
「天下に面目を施した。まことにめでたい」
信長は承認欲求の塊とされる。皮肉なことに、いくら人生を歩いて行ってもおさまらないのです。
かつてはうつけと呼ばれなければ済んだ。武士として褒められればそれでよかった。
それが今や天下を担うこととなった。天下に面目を施すことを常に考えていなければならない。
光秀はそんな信長に、殿の御威光あってのことだと返します。
すると信長が、側に控える森蘭丸に器を持って来させます。
中に入っていたのは波多野兄弟の首でした。慈恩寺で磔にするため、光秀に見せようと思っていた。塩漬けにしてある。
「我らを裏切った憎き者じゃ」
そう言い、皆に回します。
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遺体の損壊描写を避けない大河。かつては極力こうしたものを避けてきたとは思います。
しかし『ゲーム・オブ・スローンズ』のようなドラマがヒットする2010年代以降、世界的に見てもそういう流れは変わりつつある。
遺体損壊がどういう心理への悪影響を及ぼすのか? 信長は本質が不変であるとも思えます。父・織田信秀に松平広忠の首を贈った時と変わらない。
ただ、周囲は変わった。誰も信秀のように信長を叱り飛ばせないのです。
表情を一変させた信長は叱責を始めます。
夜ごと連歌や茶会にうつつを抜かしておっては明智十兵衛の足元にも及ばぬ! 恥を知れ!
秀吉も! 毛利を討つまで京で女を漁っておる暇はないぞ!
「はっ、よくご存知で」と縮こまる秀吉は、そこが信盛より巧みだとは思えます。
信長の競い合わせる人材活用術も、巧みといえばそうかもしれません。
しかし限界はありましょう。家臣だって息抜きは必要ですし、連歌や茶会くらいよいではありませんか。
そして、今宵は天主で宴だと宣言するのでした。
壮麗な安土城が、なんとも陰惨な宮殿に見えてくる。これぞ阿房宮……そう思ってしまった。
阿房宮とは、始皇帝がつくりあげた壮麗な宮殿のことです。
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秦の天下が終わったあと燃やされてしまう。そんな儚い栄華の証です。
秀吉と藤孝の密談
光秀と藤孝が廊下を歩いていると、秀吉が光秀に奥の間に来いと殿が仰せであると伝えにきます。
そしてこのあと、藤孝と密談をするのですが……。
秀吉はキッパリと、御譲位はいかがなものかと告げるのです。
藤孝もそれには同意する。いかに上様でもやり過ぎであると。近衛前久の意向もここで確認すると、前久も不承知だそうです。
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「でございましょ」
秀吉は軽薄な口調でそう言います。
佐々木蔵之介さんは今週も圧倒的に素晴らしい。こういうおちゃらけた言い方をするから、将来的に「あいつは下賤で重みがない」と思う者も出てきてしまう。
武士としての教育を受けていない。そういうニュアンスを演技から滲ませるところがすごい。
「近頃上様は、何か焦っておられる。そう思われませぬか」
そう言われ、藤孝は黙ったまま。
藤孝は賢いということはよくわかりますが、持論を延々と展開するようなことはあまり多くはありません。
彼はじっと観察している。どう動くか、俯瞰気味に見る。
自分の感情や偏見を抜きにして、バイアスを捨てながら世の中を見据えるようにする演技って簡単ではないでしょう。眞島秀和さんが説得力のある顔でそういう心情を醸し出しています。
光秀に提示された従五位上
信長は光秀に【従五位上】と書かれた紙を掲げておりました。
この位階を光秀に授けるようにするのだそうです。
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丹波と近江を支配する。明智末代までの誇りとなる。
信長は光秀に喜んでもらえると思っていて、相変わらずその愛情は一方的。
波多野兄弟の首を塩漬けにするなんて、光秀にとっては辛く苦しくてたまらないものである。そういう命を惜しむ光秀の心に気付かず踏みつけておき、位階でご機嫌を取ろうとしている。
誰かとの約束を破ってから、プレゼントをして穴埋めをするようなことが、よろしくないのはいつの世も同じでしょう。
光秀は「(従五位上を)いただきましても……」と困惑しています。
信長は、全国の大名もこの位が欲しい故、帝を崇めると言います。
かくいう信長は右大臣右大将を返上したと光秀が答えると、帝がくだされた故だと少し拗ねたように言う。
織田信長なのに甘えを感じさせる。こんな絶妙な演技ができるからこその染谷将太さんですね。
どうしようもなく子どもっぽい。春宮からならばいい。喜んでお受けする。光秀も春宮から官位を貰えばよいとまで言います。
彼は絶大な権力を持つ駄々っ子になってしまった。
嫌いな帝がくれる官位はいらない、そうでないならもらう!
光秀は混乱しつつ、どうあっても譲位をしたいのか?と尋ねます。
信長は自分なりの計画を告げます。
手始めに春宮を御所から二条に新たに作った住まいにお渡りになられて、そこを朝廷としたい。
その御所移転作業は光秀にやってもらうと告げるのです。
光秀はますます困る。
けれども信長は御所に親しい光秀が適任だと無邪気に信じてしまっています。なんとしても春宮からお渡りいただく。そう念押しするのでした。
信長と朝廷の関係は時代によって評価が異なる
最終回まで難解極まりないところに突っ込んできました。
信長と朝廷の関係は難解です。確かに譲位に関しては、織田信長は必ずしも悪意があったとは言い切れない。
莫大な費用もかかる。それを信長が出すからには、天皇側にもメリットはある。
そこを強調して、明治以降、第二次世界大戦までは、信長は【勤王】とされて顕彰されてきました。
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それが戦後となると、信長の革命的な像が反映されてゆく。
何でも否定し、破壊する。旧来の秩序破壊者とされ、その破壊対象には天皇制まで含まれるという解釈もされるようになる。
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現代では、フィクションの描き方や高度経済成長期の願望を反映したような、そんなロックンロール信長像は古びてきました。
Amazonプライム『MAGI』において吉川晃司さんが演じる信長像は、このバージョンの最高峰といった趣はあります。
そして『麒麟がくる』の信長像は、それとは別解釈に突っ込んできました。
不器用すぎる。空気が絶望的に読めない。嫉妬深い。ロックンロール信長から、ハイカラバンカラデモクラシー信長ですね。
時代考証ミスではなく、新解釈になったと。
この信長はいちいち周囲の心を傷つけます。
金を出そうが、一応は意を汲んでこようが、ありがたいかもしれない。しかし、やり方がいちいち急ぎ過ぎで、焦っていて、無神経で……もうついていけない!
そんな心理作用を推理して展開しても、飛躍やミスとは言い切れないと思うのです。
実際、そうした研究もあって、ましてやフィクションならばそこはできる。
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『忠臣蔵』だって
そしてもう一点。
歴史を題材としたフィクションをややこしくさせるのが、作られた時代の背景や、作者が問題視するテーマが反映される点でしょう。
たとえば、現代人に「代官様ってどう思う?」と尋ねてみます。
と、ある一定以上の年代や、時代物が好きであれば、「ああ、悪代官ね。賄賂受け取っていた役職だ」となると思います。
しかし、実際の代官職は薄給のうえ酷使されており、典型的な悪代官はあり得ない。
ではなぜ、悪代官像が量産されたのか?
それは描かれた当時の政治を皮肉った結果ということも考えられます。
ストレートに批判できない場合、「いや、これは昔の話ですよ」と逃げを打つことは伝統です。
白居易の『長恨歌』は、当時の玄宗と楊貴妃がテーマ。ところが「昔の漢にあったことですが」と始まる。
『忠臣蔵』だって「いや、気のせいですよ。これは南北朝の話です。あくまでフィクションであって、実在の大名とは一切関係ありません」とワンクッションを置いています。
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長くなりましたが、ここを踏まえますと『麒麟がくる』が何を批判しているのか、何を託したのか、そこは考える必要があるのでは?
歴史の知識や研究要素だけではなく、文学や社会学知識、そして現実のニュースまで把握しないと読み解けないものがありそうです。
日本人の天皇観。宗教観。意識。そういったところですね。
ゆえになかなか難解な作品だと思えてきます。
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