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【麒麟がくる第43回感想あらすじ】
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東庵宅で駒に語ったことは
闇に光る樹を切る悪夢を見ていた光秀。
久々に東庵のもとを訪れます。
彼の家を示す飾りは月にいる兎。こちらの月はかわいらしいものですが……。
東庵は喜び、供も連れていない光秀の来訪を歓迎します。今、治療中で、駒はそこにいると告げます。
そして帰蝶に会ったことも話します。
どうやら帰蝶は京へ出てきているのだとか。
目を患っているそうで、曲直瀬という東庵の古い仲間を紹介したのだそうです。
東庵のモデルともされる曲直瀬道三でしょう。
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曲直瀬のように名を残した人物でなくとも、その仲間であれば名医とわかる。
そんな設定の東庵です。
ぼんやりとしつつも、帰蝶の名に反応はしている光秀。この後、駒と話します。
駒もすっかり歳を経て、落ち着きのある女性となりました。彼女は帰蝶に会っていないそうです。
「少しお疲れのご様子ですね」
「寝不足かもしれぬ。このところ毎日同じ夢を見て目が覚めてしまう」
「同じ夢?」
光秀は駒に夢の話をします。
「月にまで届く大きな樹を切る夢なのだ。見るとその樹に登って月に行こうとしている者がいる。どうやらそれは信長様のように見える。昔話で月に登った者は二度と帰らぬという。わしはそうさせぬため、樹を切っているのだ。しかしその樹を切れば信長様の命はない、わしは夢の中でそのことを分かっている。わかっていて、その樹を切り続ける。このまま同じ夢を見続ければわしは信長様を……嫌な夢じゃ」
この夢から、どこで光秀の目標が設定されたのか、そこはわかります。
西三条実澄の屋敷では、王維『送別』を読んだ。後の時点では、光秀は何をしたらよいのかわからなかった。
そのあと、月を見ながら帝と問答し、何かを聞いてしまった顔になる。
あのとき、闇に光る樹を見出してしまったのでしょう。
帰蝶との再会
今井宗久のもとで、帰蝶が茶を飲んでいます。
そこへ光秀が。
「帰蝶様、お久しうございます。宗久殿も」
宗久は如才なく、明智様がおいでになると聞き、帰蝶様が心待ちにしていると言います。
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帰蝶は、心待ちにしているのは宗久殿のほうであろうと返答。丹波と近江を支配した明智に鉄砲百挺でも売るつもりで目の色を変えていたと微笑む。
対して宗久は、帰蝶のお召し物を褒める。どこまでも金儲けを考えている男ですね。
「堺の商人は口と心が別のところにある。そう思わぬか」
帰蝶にそう問われた光秀も同意をすると、「今日の茶は苦うございますぞ」と受け流すしかない宗久。
なかなかグロテスクな会話だとは思いました。
支配地域が増えても、増えればこそ、新たな戦道具がいる。
茶道具でも書物でも書画でも買って、ゆっくりする時間すら期待されていない光秀とは何なのか。
佐久間信盛の連歌と茶会すら叱責されるのですから、それが織田家臣のさだめということでしょうか。
光秀は帰蝶に目の病かと尋ねます。
朝はさほどでもないけれど、夕暮れになると見るもの全てがぼんやりとしてしまう。近頃はそのせいもあり、気が急いてならぬと。
光秀も同意します。何かとジタバタしてしまうのだと。
帰蝶は昔のことを思い出します。
道三も思い惑いジタバタして、よい歳をしてと笑っていた。皆、同じじゃな。そう振り返るのです。
ここで宗久が、帰蝶は父上に似ていると美濃の衆から聞いたことがあると話を振ります。
道三も言っていたそうです。帰蝶が男であれば瓜二つじゃと。確かに義龍よりも父親に似ていました。
光秀はだからこそ帰蝶の意見が聞きたくなると言う。道三様ならどうお考えになるのかと。
そういえばその道三も、晩年は答えを求めて仏像に聞いていました。答えは返ってこなかったけれど……。
「今日はそれで参ったのか?」
「そうかもしれませぬ……」
「では父になりかわって答えよう。何が聞きたい?」
思わず苦笑する宗久は声量をあげ、芝居っ気たっぷりに語る。織田家の大名が帰蝶様に見立てとは! 聞きたくもあり、聞きたくもなし!
そう言いつつ、別室へ。
信長様に毒を盛る
光秀は疲れ切った顔で茶を飲み干します。
「信長様のことであろう。想像はつく。長年仕えた佐久間を追い払い、他の重臣たちも僅かの咎で罰せられ、帝の御譲位まで……」
「道三様ならどうなされましょう?」
帰蝶は目を光らせて、力強く断言します。
「毒を盛る。信長様に。胸は痛む。我が夫。ここまで共に戦うてきたお方。しかし父上なら、それで十兵衛の道が開けるなら、迷わずそうなさるであろう」
「道三様は私に信長様とともに新たな世を作れと仰せられました。信長様あっての私でございます。そのお人に毒を盛るのは、己に毒を盛るのと同じに存じます」
そう言うしかない光秀に、帰蝶はなおも語ります。
あのとき父上は私に織田家に嫁げと命じ、そなたもそうしろと。私はそう命じた父上を恨み、そなたも恨んだ。
行くなと言って欲しかった。
あのとき、ことは決まったのじゃ。
今の信長様を作ったのは父上であり、そなたなのじゃ。その信長様が一人歩きを始められ思わぬ仕儀となった。やむを得まい。万(よろず)作ったものがその始末を為すほかあるまい。ちがうか? これが父上の答えじゃ。
「帰蝶様はそう答えるお父上のことをどう思われますか?」
「私はそう答える父上が大っ嫌いじゃ!」
「私も大嫌いでございました」
ここで二人は笑い合うのですが……。
縁側に出た帰蝶は光に顔をしかめます。
日暮れになると、見るもの全てが定かでなくなる。ジタバタせずに静かに夜を迎えることができればよいのじゃが、世はままならぬ。そう振り返る帰蝶。
これも最終回直前ということを思うと悲しいものはあります。
ゆっくりできない。人生の夕暮れにおいて、何もかも見えにくくなり、ジタバタしてしまう。
それが帰蝶の一生だとすれば、なんと悲しいことでしょう。
もっと悲しいといえば、それは光秀も同じ。彼は「王佐の才」であるからには、王と見定めた相手を抑制できず、そのせいで世間を苦しめている責任感と向き合わねばならない。
逃げられない。
責任感が強いからこそ、彼の心は蝕まれてゆくのです。
武田滅亡後に家康は
天正10年(1582年)3月。
織田信長の軍勢は甲斐国に押し寄せ、武田勝頼を討ち取りました。
信玄の死から9年後、武田氏は滅亡したのでした。
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この戦の勝利を喜び合っているのが、信長と家康です。
東国は片付いた、あとは西の毛利だけ。そう祝いあっているわけですが、この場面から信長と家康の違いを考えてみますと……。
家康はこのあと、甲斐国と武田氏に対して寛大な措置を取ります。
『真田丸』の真田昌幸のことを思い出してください。あんな舐め腐った態度をしつこく取ってくる昌幸を、殺さなかった家康は偉いと思いませんか?
確かに武田信玄そのものが偉大でしょう。それでも武田最強伝説や戦術戦略が重視されるのは、そこに、寛大さを見せる家康なりのパフォーマンスがあったと思えるのです。
幕末、将軍を守るために戦った新選組の上層部は、先祖を辿れば武田にまで遡ることを誇りとしていました。
会津藩は「高遠以来」という言葉がある。保科正之が高遠をおさめていた時代から付き従う家のルーツを、会津藩士は誇りにしていたのです。
あの山本八重の家は、山本勘助の子孫だと名乗っていたとか。
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武田を滅ぼしたものは、織田信長と徳川家康です。
それなのに江戸幕府滅亡の最後の最後まで戦ったのは、武田ゆかりのものであった。このことは、寛大さを示すことこそが最大の防御となり得る、そんな教訓を感じます。
情けは人の為ならず――優しさは巡りめぐって自分を助けることにもつながりましょう。
王佐の才は家康のもとで輝くのか
家康と光秀、二人の場面へ。
家康は摂津沖で頼みを聞いてくれた光秀に礼を告げます。
光秀は役に立てず、築山殿と信康殿をむざむざとあのような目にあわせてしまったことを詫びるのですが、あれは自分の失態であると家康は冷静に語る。
というのも、妻と息子が武田に通じ、謀反の疑いがあったと判明したのだそうです。
信長様に命じられる前に成敗すべきであった、と恥じいるばかりであるとか。ただし、この一件は、この場における家康の言い分であり、真相は不明です。
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それよりも……と、家康はお聞きしたいことがあると光秀を座らせます。
聡明だった家康が愚痴っぽくなったと言われたりしますが、むしろこの家康は自分の感情を切り離し、愚痴からほど遠い人物像に思えます。
光秀に相談するのも、自分の意見をただすために重要なのでしょう。
人は、いきなりビシバシと即断即決できるわけではありません。
むしろ信頼ある相手の意見を聞き、細やかな軌道修正をかけていくことが大事ではないでしょうか。
光秀が主人となった近江と丹後の国は内政が極めてうまくいっている。家康も新たに駿河を治めねばならない。統治において、どのようなことを手掛けておられるのか。
光秀は謙遜して申すことはないと返しますが、家康は「そうおっしゃらず」と聞いてきます。
興味深いのは、光秀と信長の会話にはないテンポがあることでしょう。
信長は一方的に押し付けるように話すのに対し、家康は光秀の真意を引き出そうとしている。
国がまとまらず、戦ばかりになるようでは困る。どうすれば国が落ち着くのか。穏やかな世になるのか。そう尋ねます。
対する光秀の答えは……。
いくさは他国の領地を奪うことから始まる。己の国が豊かで人並みに暮らせるところであれば、他国に目を向けるようにはならないはず。
己の国がどれほど田畑を有し、作物の実入りがどれほどなのか。そのうえで無理のない年貢を取る。
まずはそこから始めてみようかと。
「検地ですか」
家康は納得しています。
百姓が健やかに穏やかに暮らすこと。そのことを語り合う二人です。
枯れかけたような光秀が、水を注がれたようにシャッキリとしております。「王佐の才」である器は、家康から何かを察知して生き生きとしてきたのでしょう。
信長は自分の意のままに動くものばかりで固めようとする。煌びやかで楽しい安土城建設などはその一端。
秀吉は出世欲の塊であります。世の中への復讐のようなものが腹の底で滾(たぎ)っている。
自分のような貧しいものをなくすと言うけれども、健やかであること、穏やかであることは口にしない。
麒麟を呼ぶ王の姿を家康に見出した光秀は輝いている。
けれども、その姿を森蘭丸が見ているのでした。
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