麒麟がくる感想あらすじ

麒麟がくる第43回 感想あらすじ視聴率「闇に光る樹」

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帝の意思は?

光秀は、京の若宮御殿へ向かいます。

誠仁親王ですら、二条に移ることについて嫌そうな心が顔に滲んでいる。

光秀が恐れおおきことと前置きしつつ、信長はぜひにと申しておると訴えます。

「二条の庭で毎日蹴鞠をやるのか……信長は何事もせわしなき男よのう」

そうこぼす春宮。

この場面には、日本史と天皇制への問いかけがあるようにも思えます。

御所から移りましょう。行事に参加しましょう。皇后はこの人で。そういう天皇周辺のあれやこれやは、実際に本人の意思であるとは考えにくい。そこに帝やその周辺の心が入り込む隙間がどれだけあったのか?

ましてや帝が意思を示したら、それはよろしくないと周囲が嗜める。

帝の意思はどこにあるのか?

ぽっかりと浮かんでくるような……不思議な問題提起を感じます。

譲位の件で困惑する信長の周辺も、帝を遠巻きにしているような感覚もある。おそれ、遠ざけるばかりで、敬っているだけとも違うような気がしてきます。難解な問いかけです。

譲位への反対理由もいろいろ考えられます。

大量の金と手間がかかるのだから、それは無駄なことではないか?という考え方があってもおかしくない。

松永久秀なら笑い飛ばすかもしれない。

信長は権威を笑い飛ばすとかなんとか言うし、仏だって壊すが、帝のことは崇め奉って意識しているからこそ、譲位なんぞに労力を費やしているのではないか?

過去の発言から久秀がそう話しても不思議ではないでしょう。

光秀は藤孝に本音を打ち明けます。

やはり違う。これは違うぞ。二条へのお渡りも行き過ぎじゃ。

藤孝に、明日のお渡りはやめていただこうと訴えようとします。

けれども、藤孝は止めます。

彼は状況を俯瞰するタイプです。自分の感情を一切抜きにして、最善の選択肢を考えています。

信長が譲位を望む限り、次から次へと無理難題をふっかける――藤孝はそう捉えている。そのうえで、信長の行き過ぎた思いが鎮まることを待とうとするのです。

そのときには声を揃えてでも申し上げると光秀に告げます。だからこそ、今日のところはひとまず。そう抑えるのです。

「藤孝殿がそこまで申すのであれば……」

ようやく収まる光秀。

藤孝は腹芸ができるわけでもないし、自分のために騙すようなことはしないと思います。

彼は彼の推察する最善の状況に進んでゆくのみ。素直と言えばそうなのでしょう。

光秀は信長に打ち据えられたことを思い出しています。そしてこう言うのです。

「何かが、変わった……」

その年の11月、春宮は二条の新しい御所に移りました。

 

世の中、武家と公家だけじゃない

三条西実澄の館には、近衛前久細川藤孝、そして伊呂波太夫がいます。

太夫が不満をこぼしている。

爺様がいなくなった途端、この始末。生きていたら春宮を移さなかっただろうと。

これは前久には制御できないともとらえられるわけでして。

彼は、爺様も信長の力を借りて朝廷を立て直そうとしていたことを認めます。御所の塀も直せなかった。公家も大事にしている。

しかし伊呂波太夫は、本作の本質を突くようなことを言います。

世の中公家だけじゃない。武家だけでもない。百姓、商人、伊呂波太夫の一座の芸人もいる。皆にとってよい世の中にしなければ駄目だ。

なぜ、彼女がこの場にいるか。理由がわかりますよね。

太夫や駒が出てくるだけで不愉快だという意見もよく見かけますが、彼女らを抜きにしては語れないことがある。

廟堂の高きに居りては、則ち其の民を憂い、江湖の遠きに処りては、則ち其の君を憂う。

役所にいる為政者は民の苦労を考えること。民衆は、為政者の苦労を思うこと。これがセットになってこそ、世の中は回る。

自分の周辺のことだけではなく、遠くにある別の立場の人も想像しなくてはいけません。

“上級国民”なんて言葉が流行する現代だからこそ、そこは考えたいところ。

藤孝は、幕府に長く勤めていたものとして耳が痛いと打ち明けます。

信長ならば天下一統がおさまるかと思っていたが、戦はやむ気配がない。己の力不足と言う他ない。そう嘆くのです。

「そう思うならなんとかしてくださいよ」

伊呂波太夫は遠慮なくそう答える。

 

藤孝のポスト信長論

話題は、ポスト信長論へ。

信長がダメならば、誰を頼りにすればよいのか。前久は問われ、こう言い切ります。

「目下のところは、やはり明智でしょう。明智ならば信長も一目置いておる」

藤孝は同意しつつも、懸念を滲ませます。

光秀は備後・鞆の浦まで、足利義昭に会いに行った。前久も初耳だと驚いていますが、そのことに羽柴秀吉は不満をぶつけてきた。

光秀は我らが捨てた将軍をいまだに擁しているのか、と。

武家の棟梁は将軍であるという感慨を、藤孝は理解している。

しかし百姓の出である秀吉はわからぬ話だろう。

そういう藤孝の観察がそこにはあります。

伊呂波太夫はゴシップを知っているゆえに、理解を示します。秀吉は本音は武家が大嫌いで、それゆえ公家贔屓だと。

この場面は、最終回直前なのにこれまた情報量が多いと感じます。光秀と三英傑の今後を展望する目線がある。

藤孝が俯瞰するといろいろな本質が見えてくる。

光秀にはこんな評価もあります。

「三英傑のように英雄になりきれない」のであると。

それは器の問題ではないでしょうか。王の器でなく「王佐の才」(王を支える才能)。張良、荀彧、諸葛亮の類です。

天下を取るようにできてはいない。それを自分でもわかっているから、義昭や信長を求めてしまう。

一方の英雄にしたって、脇で彼らを支える人物がなければ立ち行かなくなる。

秀吉は、反発心が根底にある人物だという限界点が見えてきます。

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本当は将軍になりたかったのに、なれないから関白になったわけではない。そもそもが大嫌いな武士の上に、公家として載せられることで、世界に復讐を果たしてやる。そんな邪悪さが蠢いている。

そして家康の課題ですが……。

 

家康の課題とは

家康は、武家の棟梁たる将軍となることが、まずひとつ。

次に、日本人の心まで変えてゆくという課題があります。

百姓だから武家の棟梁を敬わない?

そんな潜在的な危険性は排除せねばなりません。第二の秀吉を出現させるわけにはいかないのです。

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江戸時代は日本の意識が変わりました。

儒教朱子学教育が徹底され、どの階層だろうと上には逆らえぬという意識が根付いてゆきます。

江戸時代に重罪とされることは、だいたいが身分秩序を乱したゆえのたものとされる。

士農工商】でお馴染みの身分移動については、実際のところそれなりに自由が効く一方で、目下のものが目上のものを害するような事件は厳罰が待っています。

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男女の心中だって「死んで身分を超えて一緒になろう」という動機が見出されると危険なので厳禁とされる。そうした思考は現代にまで残っているかもしれません。

要は、家康以降の徳川政権においては、社会に忠誠心が形成されてゆく。その課題設定が見られる場面です。

 

本願寺陥落と佐久間追放

天正8年(1580年)4月、大坂本願寺の顕如は5年にわたる籠城の末、力尽き、ようやく大坂を信長に渡しました。

最初の蜂起から約10年。

信長に敵対し、実際に戦闘を交わしていた勢力としては、最長の部類にはいる強敵でした。

いかし、その本願寺攻めの総大将である佐久間信盛は、その後、呆気なく追放されてしまいます。

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彼自身が悪いというより、信長がおかしいと思える描写でした。

信長にも面目はあり、佐久間信盛がそれに叶わなかったことはそうなのでしょうが、あまりに残酷である。

狡兎死して走狗烹らるとはこのことか。

これだけの場面とはいえ、熱心に祈る男女の姿が見えます。

信仰心があればこそ、本願寺の抵抗も頑強だったとわかる。

戦なしで宗教勢力をどう抑えるか。これまた、秀吉と家康の課題も見えてきますね。

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