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【麒麟がくる第43回感想あらすじ】
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「信長様は、私にはまだまだ怖いお方です」
安土へ戻ると、信長は家康を招いて戦勝を祝いたいと語り始めます。
家老の酒井も喜び、饗宴に乗ってきたのだとか。その上で、ぜひ明智様に饗応役をお願いしたいと希望します。
「なにゆえ十兵衛だ?」
信長が猜疑心を募らせると、すかさず蘭丸が「先ほども家康と光秀が仲良くしていた」と告げます。
丹羽長秀が、徳川様は宴で毒を盛られるのを恐れていると物騒な軽口を叩きます。
丹羽長秀は安土城も普請した織田家の重臣「米五郎左」と呼ばれた生涯51年
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さらには、東国は家康のみだから片付けてしまえばよい、わしならそう考えると追撃する。
信長は怒りと猜疑心を募らせていく。
「家康め……まだ信康に腹を切らせたことを根に持っておるのか……」
信長がやはりおかしい。
そもそも本作では、家康父の広忠だって暗殺しているだろうに。自分がそうだからみんなきっとそうだと思うのは非常に危険です。
そんな信長の黒い感情には露ほども気づかず、光秀と家康はよい話ができたと満足げに別れようとしています。
別れ際に家康は念押しをしました。信長に安土へ誘われているけれども、祝いの席を設けてくれるのであれば、饗応役はなんとしても明智様にお願いしたい。
その話が出たらお断りしていただきたくない。そう念押しするのです。
光秀は自分以外にふさわしい方もおいでだと、また謙遜します。秀吉だったら調子のいいことを言って引き受けるでしょう。
ここで家康はこっそり告げてきます。
「信長様は、私にはまだまだ怖いお方です」
これは同時に、干し柿を与えてくれた光秀への信愛表明とも言えます。
たかが食事、されど食事。コロナ禍の時代、誰かと一緒にランチを食べられなくてどんよりしている方も多いことでしょう。
これはなかなか根源的な話かもしれない。
それこそ石器で獲物をとっていたような時代から、人間は仲間同士で食事を分け合ってきた。
手っ取り早くて根源的な信頼構築が一緒に食事を取ること。同じ釜の飯を食った仲と言いますよね。
そういう信頼関係をこれだけ長く共闘しても家康と構築できていない。悲しい男なのです。
裏切り者を見るような暗い目
天正10年(1582年)5月。
近江安土城で信長は上機嫌です。
「いよいよ今日は家康殿を迎える日じゃな」
光秀はできる限りのことをしたと告げ、信長もそんな光秀を褒めます。光秀は戦を二つほどやり遂げたほど疲れたそうです。
嘘がつけないというか、腹芸ができないというか。
そこまで気合が入ったのは、家康相手だからかもしれないとは思うのです。
秀吉みたいに調子よくちゃらけた調子でできないからこそ、何か嫌な予感はします。
と、信長は喜ぶどころか、光秀の饗応はここまで、あとは丹羽長秀にすると言い出します。
そのうえで光秀に対しては、秀吉の毛利攻めに向かえ、近江丹波から早々に出陣しろとそっけない。なんでも秀吉が兵が足らぬと矢の催促をしているとか。
それでも光秀は饗応役をやると言い張る。いいから毛利へ行けという信長。それでも光秀は粘りに粘って、今日一日だけでもと頼むこむのです。疲れ切って大変だとしても、饗応役をやり遂げたいと訴えます。
猜疑心全開の信長に、光秀は気づいてないのでしょう。家康に頼まれたからには仕方ありませんが、ここまで強行に饗応役を主張すれば、信長の精神状態を悪化させることに……。
このあと、光秀と家康が親しげに談笑しつつ歩く姿を、信長はどこか不穏な目で見ています。
まるで裏切り者を見るような暗い目と申せましょうか。
「十兵衛、膳がちがうぞ!」
安土城での家康饗応が始まりました。
「家康殿と徳川家が末長く栄えるよう、此度の戦勝を祝して大いに飲もうではないか!」
そう明るく陽気に宣言する信長。そして食べ始め、こう言い出します。
「十兵衛、膳がちがうぞ!」
「は? 御免。何がちがいましょうか?」
品数が足りぬと信長は言うわけですが、まだ二の膳が出ていないと光秀は説明します。
信長は一の膳で出せと命じたはずじゃ!と返す。
光秀が作法の説明をしても「黙れ!」と怒鳴りつけるだけで、みなの分を取り替えるように言い渡します。
「家康殿にこのような膳を出すとは無礼千万!」
家康は困りつつ、これで構いませぬと助け舟を出します。
「わしが困るのじゃ! これではわしの面目が立たぬ!」
それでも信長は怒鳴る。すると光秀がすぐ取り替えようとして、慌ててこぼしてしまいます。
「御無礼を!」
「十兵衛、下がれ!」
「申し訳ございませぬ!」
ここで蘭丸が「上様に無礼であろう!」と光秀を取り押さえようとしますが、光秀は押しのけます。
信長は光秀を蹴倒し、扇を首につきつける。
必死の形相で信長を睨みつけながら、手刀をかざす光秀。
その脳裏には、闇に光る樹を切る夢が浮かんでいる。
同じ心で大きな国をめざしてきた二人が決裂している。
信長は、自分でも説明がつかないまま暴れてしまう。子どものままの気持ちがずっとある。
十兵衛にはずっとずっと自分を見ていて欲しい。隣にいて欲しい。自分がこんなにも大好きなのだから、相手もきっとそう。そう純粋に相手を慕っているのに、十兵衛はそうしてくれない!
そう思うと毛が逆立ち、唸り声をあげてしまう獣のようになってしまう。
止められない激情が自分でも辛い!
光秀も、もう感情の制御ができない。
なぜ、あれほどにも猛って制御できないのか?
それはもう彼自身が「麒麟」になってしまったからかもしれない。
麒麟がくる世の中――それを作る王の器は家康だった。その家康を守るべく、考えることもないまま、体が勝手に動いてしまう。
彼自身が聖なる獣になってしまった、そんな瞬間が訪れました。
MVP:麒麟としての光秀
麒麟とはそもそも何か? 聖獣とされています。じゃあここで「聖」とは何かを考えてみましょう。
聖という文字は、耳と呈を組み合わせたもの。呈とは、差し出された正しい言葉のこと。正しい言葉を聞くことが、「聖」だということです。
帝との問答以来、光秀が周囲の声を聞く場面が多かった。
足利義昭の声を聞く。徳川家康の声も。駒の声も。声を聞き、そのことを理解して、光秀は聖なる何かを得てしまう。思えばそれが光秀の本質だったとは思います。池端さんもそういう意識ありきで構築しているとわかります。
光秀が義昭のことを物足りないと思っていた理由も、彼が麒麟だと思えば納得できるかもしれない。見抜いた上で、足りないと思ってしまったのです。
◆「麒麟がくる」光秀は受けの芝居多い難役 脚本・池端俊策「長谷川博己さんで大正解」(→link)
声を聞く。そのことを考える。そうしていくうちに、何か人智を超えたものになっていく。
ただ、繰り返しますが光秀は「王佐の才」の器を持っている。彼自身が王となる器ではない。麒麟として目覚めた光秀は、王たるものを守り、そのための道を拓き、毒を飲み干し世を去るのです。
繰り返しますが、黒幕は存在しません。麒麟は黒幕の指示は必要としない。地に満ちる人の声と、天の声を聞き、動くのです。
そんな麒麟も素晴らしいとはいえ、そばにふさわしい王がいてこそ引き立ちます。家康は頭上に麒麟が舞い降りてきてもおかしくない風采になりました。そんな風間俊介さんが今週もお見事です。
総評
やっと最終回ですか。
こんなに疲れ切った状態で最終回を迎えた大河はついぞなかった気がします。
長谷川博己さん以下、素晴らしい出演者を見ても、号泣はしないし、ハンカチを握りしめているわけでもない。
ただ感動したことは証明したい。
池端さんが好きな漢詩からいかがでしょう。
一片の氷心、玉壷に在り――。
この作品の光秀はまさにこの境地でした。
氷のように澄んだ心が、玉(白い大理石あたりを想像しましょう)でできた壺に入っている。
涼しさ、さわやかさ、清々しさ。そういうものがある演技です。それがもう来週で最後なのか。なんとも言えません。
さて、最終回直前ということもあり、ここで考察してきたことの復習でもしてみたいと思います。
本能寺動機論1:「罪悪感と責任感の帰結」
ここではこんなことを書いてきました。
「暴走するAIロボット(信長)をプログラミングした技術者(光秀)が止めに行く」
「『ゲーム・オブ・スローンズ』における、ジョンによるデナーリス暗殺と同じ動機」
だいたい正解だったと思えます。
信長の暴走を光秀が止めにいく。野心でも黒幕説でもなく、彼の責任感と良心ゆえの行動であると。
それが2010年代以降のトレンドかもしれない。
最終回間近に迫った『進撃の巨人』でも、暴走するエレンとそれを止めにいくストッパーズの攻防が最終決戦となっております。
本作の光秀はあの作品のハンジと同じ立ち位置でしょう。
虐殺だけは何がなんでも許せない!
そのあとのプランはないけれど……それでも止めることに意義があるのです。
いや、ハンジに託されたアルミンか。帰蝶と光秀の対話は、ミカサとアルミンを思い出すところはあった。
それは私が漫画が好きで読んでいるからということでなく、2010年代から2020年代という時代の要請なり課題のようにも思えるのです。
本能寺動機論2:「人は心が原動力だから」
「人は心が原動力だから心はどこまでも強くなれる!!」
『鬼滅の刃』の名台詞です。この観点から本作のことを考えてみましょう。
心って、実は過小評価も過大評価もできないし、数値で計測できないし、不確定なので計算に入れない方がよいことも多い。
愛する人を失った。身体を損傷する。
そういうことはショッキングだけれども、慣れて心さえ立て直せば再起がはかれるのです。
しかし、精神が破壊されるとやり直しが効かない。
そんな心こそが、本作の重要な要素であると思えます。
そう踏まえて本能寺陰謀論はなぜ尽きないのか、という理由を考えてみますと……。
そこには「そんな単純な動機であんな大事件を起こしたわけがない」という願望もあるでしょう。そういう読み物に需要があるのも事実。トランプ大統領再選論といい、需要があればどんな与太話だって供給があるものです。
何度も繰り返してきましたが、本作は黒幕論は取っていないと思います。
誰が黒幕だろうと、最後の決断を下すのは光秀自身、光秀の心。本作は作っている側も出演者も、登場人物の心を見て欲しいと語っています。
これは薄々勘づいていたのですが、敢えて今まで指摘しませんでした。
けれどもいい加減限界だと思いますので、私の推理と断った上で記します。
本作は【心の理論】ベースの物語展開をしています。
なぜ、そうするのか?
と言えば、そこに至る人間心理を中心としているということ。
とりあえず『サピエンス全史』あたりから手に取ってみるのも良いかもしれません。
認知心理学を歴史や人類の進化にも適用して見ていく。そういう流れが定着しつつあります。
日本だと、まだ認識されていないようではありますが、取り入れているフィクションは増えている。NHKは2010年代半ばから取り入れた作品が増えていると思えるのです。
『鎌倉殿の13人』でもビシバシ取り入れてくると思いますので、楽しみにしています。
そして、その点を踏まえると、黒幕論は成立しない。
この論を使いますと、心情解釈は幅広くできる。
その利点を解釈として取り込みつつ、極めて高いレベルで仕上げた。
それが『麒麟がくる』ではないでしょうか。
次週迎える最終回、そしてその後の総論であらためてまとめたいと思います。
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
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文:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
麒麟がくる/公式サイト