源実朝の前に、あの髑髏(どくろ)が置かれています。
かつて頼朝が「この命、おぬしに賭けよう」と語りかけ、全てが始まったあの髑髏。
政子がそれを実朝に託すと、義時が、上に立つ者の証だと続きます。
素直に髑髏を見つめる幼い実朝。
そのころ兄の頼家は……。
「鎌倉殿はこのわしじゃ!」
「このわしじゃ!」
酒を飲み、修善寺で荒れているのでした。
執権北条
今週も長澤まさみさんのナレーションが始まります。
源実朝が三代目鎌倉殿となった。
あまりに歪(いびつ)な代替わり。
源氏の棟梁をめぐって、再び駆け引きが始まろうとしている――。
不穏な空気は増すばかり。
舞台は建仁3年(1203年)10月9日――政所始めです。
取り仕切ったのは執権別当になった北条時政でした。
時政が実質的な指導者になったのであり、演じる坂東彌十郎さんの魅力も全開ですね。
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大柄な体、抜群の発声、権威がそこにある。
それでいて茶目っ気も持ち合わせているのですが、この体制は、権力奪取の過程が後漢の曹操に似てもいます。
かつて後漢は、「三公」という司徒・太尉・司空3名の補佐役が皇帝のもとにいたのですが、これを曹操が廃止し「丞相(じょうしょう)」を復活させ就任。独裁的な政治権力を握りました。
鎌倉時代に置き換えるなら、一人の御家人に権力が集中してはいけない――ということで、源頼朝はこのことを警戒していました。
北条は、それをまんまと出しぬいたことになります。
時政はここで御家人に起請文を提出させると言います。
目の届く範囲はさておき、気になるのは西の奴ら。西国の御家人も鎌倉殿に忠義を誓わせると言い出し、しかも、その取りまとめを京都守護である婿・平賀朝雅にやらせると言います。
困惑しつつ、二階堂行政がすぐにやると言い出します。
しかし、ここからが問題だ。
比企無き後の武蔵国は、時政がやることにしたと言い出します。しかも武蔵守を望んでおり、朝廷に相談するとか。
これではまるで「武蔵をもらうため北条が比企を滅ぼした」としか思えない流れで、事を急ぎすぎのような気がします。
武蔵には娘婿の畠山重忠もいて……だからこそ、この武蔵がやがて火薬庫と化してゆくのです。
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義村「しっぺ返しを喰らうぞ」
三浦義村が、北条義時と北条時房の兄弟と酒を飲んでいます。
お前らの親父が派手にやってくれていると義村がチクリ。時房が「やる気を出している」と反論すると、こう来ました。
「誰のやる気だ。りくさんか」
義村は見抜いています。
あの時政がこんな複雑な工作はしない。賢い女房に操られているのだと。
義時は図星をさされ「嫌なことを言う……」と言葉を濁しています。
義村はズケズケと、いくらなんでも比企を追い詰めたやり口は汚ねえと主張、続けて「近頃、道で誰かとすれ違ったことがあるか?」と聞いてきます。
時房がキョトンとして「すれ違っていない!」と驚いている。
おまえら、避けられているんだってよ。
「調子に乗っているとしっぺ返しを喰らうぞ。親父殿にそう伝えておけ」
そう釘を刺す義村。こいつと飲む酒は苦いですねぇ。美味い酒も不味くなる。
でも、助言者としては有能です。
甘い言葉より苦い諫言が大事な時もあります。
案の定、りくが時政の横で「よい具合、よい具合」と酒を飲みつつ喜んでいます。時政も「りくの言う通りに運んでいる」とデレデレ。
「執権殿」
そう甘ったるく呼びかけ、これで名実ともに御家人の頂に立ったと甘えるりくです。
執権は代々北条が跡を継ぐのか?と確認しながら、次は政範と見据えるりく。
父ほどの年齢差がある相手に、京都から嫁いできて、念願の男児が授かるまでに何人も女児を産んできた。私だって苦労はしている。
りくにしてみりゃ、その見返りを求めて何が悪い?と言いたいかもしれません。
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そんな露骨な妻に対し、気が早いと苦笑いする時政。少しはわしにやらせてくれ、だってよ。
りくが詫びつつ、次は武蔵だと焚きつけると、時政も「蔵守の件は流石に皆困惑していた」と少々焦っています。
畠山重忠やその他多くの御家人の立場を考えれば当然ですね。それでもりくは「欲ではない」と甘ったるく囁きながら、武蔵の武士を従えるメリットを説きます。
北条は今や仇持ちなのだから、身を守るためには兵が多いに越したことはない――。
典型的な言い訳ですね。自分の身を守るため、より強い力を得ようとして、さらに敵が増えかねない悪循環。
それでも手綱を締め続けるりくは、次の計画についても進めようとします。
それは実朝に都から御台所を迎えることでした。
身の程知らずの田舎者め!
陰謀夫妻の娘婿である平賀朝雅が、後鳥羽院の元にいます。
近江海に、吉野の桜……後鳥羽院のジオラマですね。
院の美意識を映す華麗な細工ですが、富士山らしき山の麓に、なんだか素朴な家があります。朝雅がふと尋ねます。
「これは何でしょう?」
「鎌倉よ」
オホホホと笑い合う、なんとも嫌味な連中。これが京都の感覚ですね。
後鳥羽院は実朝の嫁取りの話を聞いていました。
鎌倉が実朝の正室を都から差し出せと言ってきた――そのことを傍らにいる慈円に告げていますが、にしても一体誰の考えだったのか?
ふと推理してみると、実朝が自ら言い出すはずもない。すかさず平賀朝雅が「わが舅にございます」と返す。つまり「北条遠江守時政」だと、慈円が補足します。
身の程知らずの田舎者め!
憎々しげに、そう吐き捨てる後鳥羽院ですが、それでも実朝の名付け親であったと思い直し、一肌脱いでやるといい出します。
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朝雅は面目が立つとニヤニヤ。後鳥羽院は自分と血筋が近いものを選ぶことにします。
すると慈円が「権大納言・坊門信清に年頃の御息女がいます」と助言します。
史実では後に西八条禅尼と呼ばれる源実朝の正室です。父の坊門信清が、後鳥羽院の母ときょうだいであり、たしかに血筋は近い。
さっそく鎌倉に伝えるよう朝雅に命じると、すげなく追い払い、
「入っていいぞ」
と誰かに告げている。姿を現したのは源仲章でした。
仲章は「比企を倒したのは北条の謀略だ」と告げています。慈円がおぞましそうに「やはり」と呟くと、なんとしても頼家を代替わりさせたかったようですと告げる仲章。
後鳥羽院は「源氏は我が家臣だ」と認識しています。それを坂東の田舎侍に過ぎない北条に好き勝手にされていることに不快感を見せているんですね。
そんな北条の娘婿である平賀朝雅のことも、どこまで信じているのやら。
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仲章が「いっそ北条を潰しますか?」と尋ねると、実朝は大事にしたいようです。
その上で奴らに取り込まれぬよう教え導く――つまり実朝を自分に都合よく洗脳しようってわけで仲章にもこう命じます。
「鎌倉へくだれ!」
「かしこまりました」
自分が鎌倉殿であることを主張
頼家から鎌倉へ、なにやら要求が届いたようです。
それを北条義時や大江広元らが聞いているわけですが、一体その内容とは?
①一人でいると退屈だから近習が欲しい
→謀反を起こされかねない。却下。
②安達景盛の身柄を引き渡せ
→妻を手に入れようとして失敗したことがよほど悔しいようだ。でも、それだけ?
義時は分析します。
頼家は、まだ自分が鎌倉殿であることを示したい。
だからこそ、義時たちも、そんなことを受け入れるわけにはいかない。
そんな頼家のいる修善寺に、義村が来ていました。
ことごとく要求を却下されたことに対し、頼家は別に腹を立てていない。はなから受け入れられるとは思ってなかった。
ただ、自分を忘れさせないため喧嘩を売ってやるとのことです。
執権殿にそう伝えると言い、淡白にその場を去ろうとする義村。
そんな義村に、善哉とつつじのことを聞く頼家。
なんでも八幡宮の別当が面倒を見ているとのことで、一幡とせつを弔いながらも、生き延びた妻子を気遣う頼家です。
しかし、会話を続けるうちに気が高ぶってしまったのでしょうか。
父のことを話し始めます。
頼朝は石橋山での大敗から一ヶ月半で、軍勢を率いて鎌倉入りを果たした。
自分もいずれ鎌倉に戻る。
そして鎌倉を火の海にして、北条の者どもの首を刎ねる。
覚悟して待っておれ。
このままここで朽ち果てるわけにはいかない!
声を荒げる頼家に対し、『はいはい、わかりましたよ』とでも言いたげの義村は、「その通り伝える」とそっけない。
こういう時にメンタルケアをしない。それでこそ義村でしょう。
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それどころか「この先、何十年も猿楽ぐらいしか慰めもないことを考えれば、華々しく散るのも悪くない」として、こう締めくくった。
「おやりなさい」
おいおい、謀反を唆すなよー!
そう突っ込みたいところですが、義村の言いたいこともわかる。どうせ挙兵してもうまくいくわけがない。自滅しろ……ってことでしょう。
だからこそ、直後の展開もこうなる。
「力を貸してくれ」
「お断りいたします」
本気で勝ち目があるなら、義村なら乗ってくるかもしれません。
鎌倉殿は二人いらねえ
義村が鎌倉に戻ってきました。
挙兵するかどうか?
北条義時が頼家の真意を問うと、義村がそっけなく「兵は集まらない」と答えます。
それでも恨みがあるなら対処をすべきと考える大江広元。
三善康信は曲がりなりにも先の鎌倉殿だと浮かぬ顔をしています。
スッキリとした結論が出ない一同に対し、横で座っていた八田知家が言いにくいなら言ってやると語気を強めます。
「鎌倉殿は二人いらねえ」
その言葉に触発されたように、時政が「やるか」と決意しようとすると、それでも二階堂行政は頼朝様の実の子だと躊躇しています。
「んなことわかってるんだ! わしの孫だ!」
そう言い出す時政。
生まれたときのことが目ん玉に残っている。わしだって辛いってよ……って、だからなんだ?とも思ってしまう、それまでの時政の行動よ。
義時は、様子を見ると言い出します。
当面はやり過ごす。そのうえで頼家に不審な動きがあれば知らせるよう言いつけ、いざとなれば覚悟を決めると腹を括りました。
頼家は父・頼朝から学ぶべきことが間違っています。
頼朝は伊豆の地で、じっと無害なふりをしていた。平家が忘れてしまう程ひっそりと生き、ここぞという時にあの髑髏に誓って兵をあげた。
そうできないのが頼家です。
一方、その幼馴染である泰時も、合点がいかない様子。
覚悟を決めるとはどういうことか!
鎌倉殿を修善寺に閉じ込め、それでもまだ足りないというのか!
そう迫る我が子に、義時は低い声で言います。
「すべては鎌倉のため……」
いや、それは北条のためだろ、と泰時が反論すると、北条がなければ戦乱が起き、頼朝様が望んだ鎌倉がこの世から消えると、言い訳するかのように義時が語っています。
さらには、まだ殺すことが決まったワケじゃないとも言いますが……義時は自分に嘘をついてますね。
確かに頼朝は北条がなければああも成功できなかったけれど、それは別に源氏を差し置いてでも鎌倉を守れというわけではなかったはず。それをわざと欺くように言っている。
頼家の処遇についても「まだ決まらない」とは言っていますが、それは「殺す」という選択肢が根強くあることの裏返しでしょう。
源氏のいない鎌倉なんて、中身のない器のようで虚しい。空っぽだ。それをこうも言い募る。
義時は自分でも答えがわからず、無茶苦茶になっているのかもしれません。
こんな大河主人公はありなのか?
自分が何をしたいのかすら見失っている……もうドラマも後半だというのに。
実朝には別の生き方を望みたい
政子は三善康信に本音を語って相談していました。
実朝に跡を継いで欲しくはなかった。鎌倉殿なんていつ辞めてもいい。
早く誰かに渡してもらって、自分の好きなことをして穏やかに生きて欲しいと。
そのうえでお願いがあると言います。
幼い頃、侍女からこんな話を聞いたとか。
あるとき実朝が寝ようとしたら、雨が降り始めた。すると雨垂れを一晩中眺めて一睡もしなかった。
あの子にはそういうところがある。政子は母として、我が子にある和歌の才能を伸ばしたいというのです。
康信は、自分にできるのだろうかと戸惑いつつも引き受けます。
するとそこへ話を聞いていた実衣が入って来ます。そして政子に困ると言い出す。
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鎌倉殿の教育は私に任せてもらう。私にだって考えはある。
鎌倉殿は人を動かし、正しい政(まつりごと)をするのが大事。実朝は私が育てた。余計な口出しはするな。
そう釘を刺してくる妹の野心に戸惑う姉。
そして建仁4年(1204年)正月、読書始めです。
ここで講義を行ったのは源仲章でした。
「十三経」を習うと宣言します。
『易経』
『詩経』
『書経』
『周礼』
『儀礼』
『礼記』
『春秋左氏伝』
『春秋公羊伝』
『春秋穀梁伝』
『論語』
『孝経』
『爾雅』
『孟子』
以上の十三種が定められたのは北宋の時代――つまり源仲章は当時最先端の漢籍知識を知っているということになります。
和歌は花鳥風月に非ず
後日、今度は三善康信が実朝に和歌の指導を始めました。
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タタタタタ、タタタタタタタ……と五七を教えるわけですが、教え方が下手すぎですね。
それでもじっと興味深そうに聞いている実朝の賢さが見えてくる。
するとそこへ実衣に連れられた仲章が入ってきます。
それにしても生田斗真さんが美貌に棘と毒を宿してきたと言いますか。その場にやってくるだけで、平賀朝雅にせよ、三善康信にせよ、押し退けるような凄みがあります。
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花鳥風月を感じるままにお詠みになればいい。康信が和歌の講義をそうまとめると、すかさず仲彰がカットイン。
「鎌倉殿、今のはお忘れください」
歌は気のままに詠むものではない。帝の望む世の姿、ありがたいお考えがある。そうして代々詠み継いできたものだ。
「そうなのですか」
そうハッとしたようにする実朝は、やはり聡明ですね。
和歌には帝の考えがあり、それを知らねば学んだことにはならない。仲彰がそう講義をすると、横から実衣が政(まつりごと)に欠かせぬものですねと同意を求めます。
「ええ。和歌に長ずる者が国を動かします。しっかり学んでくださいませ」
実衣は康信にご苦労様でしたと下がるよう促します。
政子が頼んでおいた相手を追い出すようにするところが実衣らしい。
康信が慌てて道具を抱え、転ぶように去る姿があまりにも切ないですが、残酷で凄い場面だと思います。
源仲章は坂東に「文章経国」(もんじょうけいこく)を持ち込んだと言えます。
文章は経国の大業、不朽の盛事。曹丕『典論』
文章は国を治めるに大事なことであり、朽ちることのないものである。
詩人としても名高い曹丕の言葉のため、自分の趣味を褒めているようにも見えますが、そう単純な話でもありません。
当時は、記録メディアが「竹簡」や「木簡」から「紙」へと代わる時期でもあり、文壇を活発化させることにより新たな思想を見出そうとしていていました。
曹丕の父・曹操のあたりから、世の動乱を嘆いたり、理想の政治を思い描いたりする……新たな技法を織り込んだ詩の流れが生まれ始めたのです。
文学の発展とは、為政者の知性が磨かれることでもあります。
ついに坂東も、そこまで到達してきたんですね。
ただ、これは諸手を挙げて喜ぶべきことかどうか。
京都が坂東の連中を田舎者扱いできたのは、武力だけの番犬だったからでした。彼らに武力だけでなく、知力も与えてしまえば、武士は別の何かに変わってしまうかもしれません。
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その第一の流れは、源頼朝が招いた大江広元らが「文士」として鎌倉にやってきたことで始まった。
そして第二の流れは、この源仲章がもたらすのでしょう。
果たして、それは吉か凶か?
愕然とする重忠に対し時政は?
頼家の好物である干し鮑を山ほど持って、政子が妹のちえと共に修善寺へ来ました。
足立遠元が、頼家は畠山重忠とよもやま話をしていて息災だと告げてきます。ただ、それでも気持ちは変わらず、北条の者とは会わないとも……。
政子はしょうがないと納得し、ここで待つと言います。
今日は干し鮑を届けに来ただけ。頼家がどんな様子か教えて欲しい。
遠元が干し鮑を持って行くと、ちえが「せっかく会いに来たのに門前払いか」と不満そうです。
それでも、あの子の気持ちを思えば仕方ないと理解を示す政子。達者でいることがわかったらそれで十分だ。
一方、頼家と面会している重忠も、尼御台にも会って欲しいと頼んでいました。
遠元もいたく心配していると続きます。
「あの女子をもはや母とは思っておらぬ」
冷たくそう言い放ちながら、頼家が不敵な笑みを浮かべます。
「重忠、お前の本領は武蔵だったな。遠元、お前もだな」
怪訝な表情になりながら、頼家の言葉にうなずくしかない二人。
「よいことを教えてやろう。北条時政……あの古狸は武蔵守の座を狙っておる。既に朝廷にその旨を願い出ておる」
重忠が「まさか」と愕然としています。
どこからそのようなことを聞いたのか?と問うと、頼家はこうだ。
「それは言えぬ。味方になれば話す」
一気に不穏な空気になってきましたが、それにしても重忠の顔付きも変わってきたと感じませんか?
髭を蓄えただけではなく、何かが濁ってしまったかのような印象。
美しい顔が秀麗なのは変わりませんが、若い頃のような透明感が感じられない。
疲れ、焦り、不信……何かよくないものが出ている印象――と、これは、演じ分けている中川大志さんの演技が素晴らしいのでしょう。
鎌倉に戻った重忠は、さっそく報告。
「軽はずみなことは言うべきではない」と義時に諭されますが、ことが地元・武蔵のことだけに重忠もそう簡単には引けません。
舅殿である時政に、武蔵のことをどうお考えなのかと問いただしています。
黒く沈んでいく義時の顔。「その話はこれまで」と収めようとすると、時政が、武蔵を独り占めにしようなんて気はないとかなんとか言い訳しています。
なにがなんでも自領を守りたい坂東武者に、そんなことを疑わせた時点でダメでしょ。
と、そこへ八田知家が猿楽衆の一人を捕らえたと報告します。
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頼家の仮面
一同の前に“面”を放り投げる知家。
これは修善寺寺宝の「頼家の面(頼家の仮面)」です。
何かと伝説のある面ですが、こんな風に使ってくるとは予想外の方も多かったのでは? 小道具担当者の仕事が光る、不気味な仕上がりです。
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そして押収したという扇を持ってきますが、読める者がおらず「文士」の康信が解読します。
どうやら頼家は、後鳥羽院に北条追悼の院宣を頼むつもりのようです。
事ここに至れば、もう決まりとばかりに、時政が重々しく言います。
「決まりのようだな」
時房、重忠、広元も黙っている。義時が決意を述べます。
「頼家様を討ち取る」
姉上にはどうお伝えするのか?時房が尋ねると、全てが終わったら私から話すと義時が答えます。
「なりませぬ!」
泰時がまたも父に反論します。
義時が、これは謀反だと言い切れば、上皇がいるなら大きな戦になると時房も続く。
実際に院宣を出すのかどうかなんてわからない、と泰時は諦めませんが、上皇からすれば北条は一介の御家人でしかなく、源氏を差し置いて政権を運営することなど許すわけがないと義時が答えます。
上皇様に文を出す!
頼家様に死んで欲しくない!
とことん粘る泰時、思いは義時も同じです。しかし、こうなってしまった以上……他には道がない……そう重々しくうなだれるしかありません。
思えばずっとそうでした。頼朝があの髑髏に賭けた時以来、義時には選択の余地が無い人生でした。
「父上は間違っている! 私は承知できません!」
真っ直ぐに叫びながら去ってゆく泰時を時房は懸念しています。あれでは修善寺に向かい、頼家様に逃げるように伝えるだろう。
と、そこでハッとして時房は気づきます。
「逃げて欲しかったんですか?」
「そうではない……太郎はかつての私なんだ。あれは、私なんだ」
そう苦い声で返す義時。
泰時は母・八重や上総広常の声までも代弁しているようです。
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輪廻転生を否定はしてない鎌倉殿の13人 泰時が「ぶえい」と泣く世界観
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ここは時房も重要でしょう。
時房は「口が過ぎるぞ」と泰時をたしなめてもいる。兄の苦悩を理解し、甥をたしなめています。
組織の潤滑剤として、こういう人物は目立たないながら重要。結果としてグループのパフォーマンスを上げます。
兄の宗時を殺害したのは善児だが
義時が善児の住処へ足を運んでいました。
しかし、弟子のトウと共に留守の様子。時房はおもむろに泰時のことを尋ねます。
兄上にとって太郎は望みなのか?
そんな質問に対し、「あいつの一途な思いが羨ましい」と語る義時。
「では、兄上にとって私はなんなのでしょう?」
「考えたこともなかった……」
時房はここで自分の役目を語ります。
太郎とは真逆でありたい。
太郎が異を唱えることは全部私が引き受けると。
「何でも申し付けてください。どんなことだって私は……聞いてないですね」
と、汚れ仕事もする宣言までしたのに、義時はそれどころではない。
善児の置いて残した荷物の中に、兄・宗時がいつも腰から下げていた袋がありました。
「そうであったか……」
「三郎兄上の……なぜそれがここに」
「答えはひとつ」
悟った時房は、善児は私が斬ります宣言をします。おう、汚ねえ仕事はするって言ったもんな!
が、しかし……。
「ならぬ。あれは必要な男だ」
「しかし!」
「私に善児が責められようか……兄上……」
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時政の嫡男で義時の兄だった北条宗時|最期は祖父・伊東祐親の軍に囲まれ
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するとそこへトウが戻ってきました。
善児は一幡の粗末な墓の横で薪を割っています。
素直な一幡の姿を思い出しながら、淡々と薪割りを続ける善児。トウがそこへ義時を連れてきます。
「善児、仕事だ」
「へえ」
義時は己と善児を重ねてしまった。
頼朝に「仕事だ」と言われたら引き受けていた己と善児は変わらない。だから殺せないのかもしれない。
善児が死に値するのならば己もそうだ。
誰かの仇だというならば、既に頼朝と政子の孫である一幡を殺している……。
それにしても、時房も相当おかしな奴ですよ。
彼は自分探しをしているみたい。嫡男にもなれないから、自分の生き方を探さなくちゃ。
頼家様の寵臣になる道も途切れたし。才能を見出せた蹴鞠も、そういう場合じゃなくなってきたし。
じゃあ汚れ仕事をする役目を果たして兄上のそばにいよう!
……って、どんな状況でも居場所を見つける才能は素晴らしいけれども、なんだかおかしくありません?
この凶悪になりそうな人物像を、愛嬌を持って演じてしまう瀬戸康史さんが素晴らしい。
目立たないようで、毎回すごく濃い何かを持って迫ってきます。いい奴だなぁ、時房は!
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義時の弟・北条時房|鎌倉殿の13人“トキューサ”は幕府を支えた名将だった?
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和田邸で運慶と再会
「お逃げください!」
泰時が頼家に訴えます。
しかし、それを即座に断る頼家。
命を大事にして生きていればまた道も開けると訴えますが、頼家はこう返します。
「道などない。いずれわしは殺される。座して死を待つつもりはない。最期の最期まで戦ってやる」
「お願いですから!」
そう訴える泰時に、京からやってきた猿楽が始まると頼家が言います。
上皇様の肝入りだから、お前も見て行けと。
そのころ義時は、和田義盛の元へ足を運んでいました。誰かと酒を飲みたかったそうですが、なんで俺なの?と義盛が戸惑っている。
メンタルが疲弊しているときに義村と飲んだらますます精神状態が悪化しそうだし、重忠とは武蔵を巡ってギスギスしそうだし。
「難しいことは考えずうまい酒が飲めそうだ」
「ふふっ、確かに俺は難しいことは難しいから苦手だ!」
と、アッケラカンとしている義盛。確かに、この人とのお酒は楽しそうですよね(暴れない限り)。
縁側に目をやると、仏師・運慶がいました。お会いできるとは!と義時が驚いています。
「えにしだね」
なんでも義盛も、おやじ殿の勧めでこいつに何体か仏像を作らせたのだとか。京都に戻る前にどうしても一杯飲んでくれと頼んだそうです。
難しいことは苦手と言っていた義盛ですが、ちゃんと仏像を彫らせるようになった。以前より格段に賢くなっています。
宗教は偶像崇拝を禁じているケースは少なくありません。
神の姿が綺麗だから信じる、という姿勢ではよろしくないだろう。
そんな考えもあれば、壮麗な宗教美術で信者を獲得すべし!とする考え方もあり、義盛は壮麗かつ勇壮な仏像に惚れたんでしょうね。
鎌倉時代の仏像は美しい。
現代人が見ても立派ですが、ちょっと想像してみてください。
当時の素朴な人が仏像やら寺社仏閣を目の当たりにしたら「すげえ、仏様、マジパネェ!!!」となると思いませんか?
するとそこへ巴御前が来て、小さな仏像を手渡しました。
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義仲に仕えた巴御前は和田義盛の妻に?時代を反映する伝説的女傑を考察
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運慶が受け取り「なんとかなるよ」と返す。どうやら巴が峠道で拾った仏像で、すり減っている顔を直してもらうそうですよ。
普通はそんなことはしないと答える運慶。
義盛はワクワクしながら「ひょっとして由緒があったりしねえか?」と聞いています。
「由緒はない」
「ちぇっ」
残念がって、巴に何かうまいもんを作れと言う義盛。
「手伝って!」
巴から即座に返される義盛。
時代劇はジェンダーを反映できないと誤解されがちですが、食事の支度を手伝うよう女性が男性に一声かけることで対応できることもありますね。この辺、工夫一つなのでしょう。
そういえば、仏像といえば……比企尼から頼朝が受け取ったあの小さな観音像は、どうなってしまったんでしょう。
義盛と巴が料理をするためその場から去ると、運慶が義時に声をかけてきました。
「小四郎、何年ぶりだ」
「15年になります」
「お前、悪い顔になったな」
「それなりにいろいろありましたから」
「だがまだ救いはある。お前の顔は悩んでいる顔だ。己の生き方に迷いがある、その迷いが救いなのさ。悪い顔だが、よい顔だ。ああいつか、お前のために仏を彫ってやりたいなぁ。うん、いい仏ができそうだ」
「ありがとうございます」
そう礼を言う義時。
思えば八重が亡くなる直前に、この二人は出会っていました。
千鶴丸を水死させたことを悔やんでいたからこそ、水死してしまった八重。
一方で義時は生きてはいるけれど、苦悩が顔に刻まれていく。
悪い顔だがいい顔だ。
これは小栗旬さんの演じる義時そのものであり、迷いながら最後まで生きていくんでしょうね。
そして実はそういう坂東武者が他にも多くいたからこそ、ああもたくさんの仏像が鎌倉にある。
そんな仏像の製作背景まで想像できて、贅沢な時間です。
頼家そして善児の死
猿楽の笛が響く中、頼家と泰時が舞台を見ています。
そのころ、鶴丸は猿楽衆の死体を発見。泰時も異変を察知し、舞台へ上がります。
すると善児が化けていた猿楽衆が立ち上がりました。
「あんたは殺すなと言われている」
泰時にそう告げる善児。トウと善児二人がかりでは泰時は敵わず、戦闘不能になります。鶴丸も助けに駆けつけました。
善児が頼家へ向かっていきます。
しかし床に落ちていた「一幡」の札に一瞬気を取られ、刺されてしまう。
「わしはまだ死なん!」
そう刀を構える頼家。
トウが背後から近づき、頼家にとどめを刺しました。
雷鳴が響く中、泰時は頼家の死に気付きました。
「うわあーっ!」
泣き叫ぶ泰時です。
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いつまでこんなことが続くのか。
源頼家――偉大なる頼朝の子、享年23。短い命が終わりました。
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風呂場で急所を斬られた源頼家|なぜ鎌倉幕府二代将軍は粛清されたのか
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腹を刺された善児は雨の中にいます。
「しくじった……」
そう悔やんでいますが、確かにその通りでしょう。相手にした人数が多すぎた。一幡に気を取られた。そして……。
背後からトウが刃で貫きました。
「ずっとこの時を待っていた。父の敵!」
善児と向き合い、さらに突き刺すトウ。
「母の……敵……」
そう師匠にとどめを刺し、立ち去る弟子。
修善寺で父母を殺された少女は、修善寺で親の敵を討ちました。
11年という歳月は、少女が刺客になるには十分な時間ですが、恨みを解消させるには短過ぎたのです。
MVP:頼家・善児・トウ
選べません。
頼家は結局、最期の最期まで、その浅さを見せてしまったところが気の毒といえばそう。
あんな幼稚な嫌味とか。権威を見せつけるとか。手の内を明かすこととか。
短慮なことをしなければ死なずに済んだだろうに、そういうところが父より遥かに素朴な人だった。
母のように善良で素直ならば、また違ったかもしれません。
頼家は映像化の機会も多く、神経質な貴公子というイメージがあります。そんな従来の像を説得力を持って再構築してきてお見事でした。
そして善児とトウ。
思えば修善寺で、善児が気まぐれから弟子にしたトウ。
親を目の前で殺しておいて、人生をこんなふうにしておいて、敵討ちをされないと思う方が甘いとは思えました。
善児も「へえ」と一言だけで仕事を引き受けつつ、何かが溜まっていたのかもしれない。
一幡でそれを自覚させられて、あとは転落あるのみ。そんな悲しさがありました。
そしてトウの敵討ちは、義時の矛盾も浮かび上がらせました。
兄の敵討ちすらしないとはどういうことなのか?
義時は善児に感情移入してしまったのでしょう。
総評
感情移入、愛着――これが大事だと思えた今回。
義時が善児を殺せなかったのは、相手に感情移入したから。
後鳥羽院は「鎌倉なんて田舎者」と馬鹿にしきっているようで、名付け親になった実朝にそれなりの愛着が湧いています。
その実朝は、三善康信が転びながら去っていくところで、気遣う目線を見せていた。
泰時は頼家に感情移入しているからこそ、いてもたまらず、助けに行く。
そういう感情移入がまるでない義村は、頼家に頼まれようがそっけなく突き放す。
それでも彼からすれば「無為の人生を送るのは辛かろうと感情移入してやったぜ」となるのかもしれない。
重忠は舅とその一族に愛着が当然あったものの、武蔵の件をめぐって何か冷たい隙が湧いている。
政子は我が子二人をとてつもなく愛している。
実衣は我が子・頼全を殺した源仲章を、使えるからか受け入れている。感情に蓋をして利害を考えること。彼女ならそれができるのかもしれない。
トウは師匠への恩愛と両親へのそれを秤にかけて、両親を選んだ。弟子がそれができたのは、善児が一幡に感情移入し、隙が生まれてしまったから。
そういうグラデーションがあって、感情を捨て去ることはできない。
運慶は義時の顔にそれを見抜いています。
誰に対しても平等に愛情は持てないし、感情移入もできない。またそんな感情を捨て去ることもできない。
頼家を殺すという極限の状況の中、善児とトウという架空の人物を出して、さらに奥深くしてきました。
トウが善児を殺す機会は、ドラマで描かれていないだけで、他にも結構なチャンスがあったと思います。
それでも感情の蓋をしていたんでしょう。
まだ技芸が未熟な時に感情をむき出しにすれば殺される。修行して一緒に暮らすうちに、相手への恩愛も生じてしまう。
それが修善寺という、親が死んだ場所のせいで蓋が開いたのか。
殺したあとでトウは自分が理解できなくなるかもしれないし、後悔するかもしれない。
この作品や時代がわかりにくいのって、道徳概念や教養の未整備もあると思えます。
鎌倉時代がくだると坂東武者たちも仏典を読み、和歌を詠んで、感情と向き合いながら表現できるようになった。
和田義盛も仏教を学んで賢くなっていますよね。
いろいろ学ぶ過程で、自分の感情はこういうものだと理解できるし、道徳概念も身に付きます。
義時は善児を殺さないわけです。
しかし、敵討ちが根付いていて、殺さないのは恥ずかしいという概念を強固に持っていればああはならないと思えます。
未整備の感情と道徳観が、毎週こちらをどこかに引きずりこんできます。
私事で恐縮ですが、私は伊豆修善寺観光の帰りに買った反射炉ビール義時味がおいしくて、混沌とした思いを味わいました。
なんで、よりにもよって修善寺で義時土産を買っているのか。しかも美味い。ものすごく感情の整理に戸惑います。
修善寺という場所そのものがそうで、今はレトロな温泉街になっていてのどかです。
惨劇を思う気持ちとあの和やかな佇まい。そういうさまざまな感情が入り乱れることこそが、このドラマの楽しみなのかもしれません。
修善寺観光はオススメです。
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あまりに不気味な頼家の仮面|死の直前の恨みが込められている?
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三谷さんが脱稿しました
朗報です。
まだ8月末なのに、脱稿したそうです。
◆「鎌倉殿の13人」三谷幸喜氏が脱稿報告「決定稿まではまだなんですけど」4月から「Nキャス」掛け持ち(→link)
三谷さんはおもしろおかしく報道されているほど、脚本が遅くないと思っていました。
決定稿にするまで手を入れるから、そのせいでギリギリまでかかるのだろうけれど、プロットの仕上げそのものはそう遅くないだろうと。
これはドラマを見ていればわかります。
今回は頼家の暗殺が、風呂場でなく猿楽の舞台でした。
あの猿楽は手間と時間がかかるため、いきなり決めてできるものとは思えないのです。
本作は作りに時間がかかるような場面が多い。
小道具や衣装も手間暇かけています。時間にある程度余裕がなければできないはず。
ですので、こういういい加減な報道に私は割と苛立っていました。
◆三谷幸喜の『Nキャス』MC就任に大河スタッフが顔面蒼白!脚本が間に合わない!?(→link)
三谷さんご本人の怒りは、私どころじゃないでしょうけれど……代わりに憤りをぶつけさせていただきます。
そもそも、そこまで脚本が決定的に遅い人が、三度も大河に起用されるものでしょうか?
近年で脚本が遅れていると判明したのは『青天を衝け』です。脚本家が歴史に馴染みがないか、好きでなかったのだろうと感じました。
大河にはガイドブックがあり、おおまかなプロットが放送前にわかります。
そのプロットから根本的な部分が変わっているとなると、あまりに時代考証がおかしいと判定されたため、その後に修正されたと想像できます。
去年はそういう妙な変更やカットが多かったんですね。
事前にガイドを読んで「これをそのまま放送したらまずいだろう」と思っていると、実際の放送ではカットされて、どうでもいいシーンが追加されていた。
一例として、長州征伐の西郷隆盛です。
天狗党を大量処刑したことと比較して、流血を回避した西郷隆盛を褒めるニュアンスのプロットがありました。
しかし、戊辰戦争と西南戦争を引き起こした西郷が流血を避けるなんて、まずありえない話。
幕末史の基礎でしょう。
ゆえに、放送時はそうしたニュアンスの誘導はバッサリ消えていました。
小道具、衣装、VFXの処理もおかしかった。
店のインテリアとして「風神雷神図」の屏風があった。
本物のわけがありませんし、偽物にせよ店にあんなものは置かないでしょう。質感からして大型プリンタで印刷して貼り付けたようなのっぺりとしたものでした。
書状や書籍も、きちんと筆で書いたものではなく、印刷したのでは?と思えるものがしばしば見えた。
そういう細部に宿る混乱で、脚本のペースは浮かんできます。
昨年は、ただの手抜きではない、不吉な予兆がいくつもありました。
そういう細部を見ていれば、今年はやはり盤石。
来週以降も期待して待っています。
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【参考】
鎌倉殿の13人/公式サイト




















