源実朝の前に、あの髑髏(どくろ)が置かれています。
かつて頼朝が「この命、おぬしに賭けよう」と語りかけ、全てが始まったあの髑髏。
政子がそれを実朝に託すと、義時が、上に立つ者の証だと続きます。
素直に髑髏を見つめる幼い実朝。
そのころ兄の頼家は……。
「鎌倉殿はこのわしじゃ!」
「このわしじゃ!」
酒を飲み、修善寺で荒れているのでした。
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執権北条
今週も長澤まさみさんのナレーションが始まります。
源実朝が三代目鎌倉殿となった。
あまりに歪(いびつ)な代替わり。
源氏の棟梁をめぐって、再び駆け引きが始まろうとしている――。
不穏な空気は増すばかり。
舞台は建仁3年(1203年)10月9日――政所始めです。
取り仕切ったのは執権別当になった北条時政でした。
時政が実質的な指導者になったのであり、演じる坂東彌十郎さんの魅力も全開ですね。
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大柄な体、抜群の発声、権威がそこにある。
それでいて茶目っ気も持ち合わせているのですが、この体制は、権力奪取の過程が後漢の曹操に似てもいます。
かつて後漢は、「三公」という司徒・太尉・司空3名の補佐役が皇帝のもとにいたのですが、これを曹操が廃止し「丞相(じょうしょう)」を復活させ就任。独裁的な政治権力を握りました。
鎌倉時代に置き換えるなら、一人の御家人に権力が集中してはいけない――ということで、源頼朝はこのことを警戒していました。
北条は、それをまんまと出しぬいたことになります。
時政はここで御家人に起請文を提出させると言います。
目の届く範囲はさておき、気になるのは西の奴ら。西国の御家人も鎌倉殿に忠義を誓わせると言い出し、しかも、その取りまとめを京都守護である婿・平賀朝雅にやらせると言います。
困惑しつつ、二階堂行政がすぐにやると言い出します。
しかし、ここからが問題だ。
比企無き後の武蔵国は、時政がやることにしたと言い出します。しかも武蔵守を望んでおり、朝廷に相談するとか。
これではまるで「武蔵をもらうため北条が比企を滅ぼした」としか思えない流れで、事を急ぎすぎのような気がします。
武蔵には娘婿の畠山重忠もいて……だからこそ、この武蔵がやがて火薬庫と化してゆくのです。
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義村「しっぺ返しを喰らうぞ」
お前らの親父が派手にやってくれていると義村がチクリ。時房が「やる気を出している」と反論すると、こう来ました。
「誰のやる気だ。りくさんか」
義村は見抜いています。
あの時政がこんな複雑な工作はしない。賢い女房に操られているのだと。
義時は図星をさされ「嫌なことを言う……」と言葉を濁しています。
義村はズケズケと、いくらなんでも比企を追い詰めたやり口は汚ねえと主張、続けて「近頃、道で誰かとすれ違ったことがあるか?」と聞いてきます。
時房がキョトンとして「すれ違っていない!」と驚いている。
おまえら、避けられているんだってよ。
「調子に乗っているとしっぺ返しを喰らうぞ。親父殿にそう伝えておけ」
そう釘を刺す義村。こいつと飲む酒は苦いですねぇ。美味い酒も不味くなる。
でも、助言者としては有能です。
甘い言葉より苦い諫言が大事な時もあります。
案の定、りくが時政の横で「よい具合、よい具合」と酒を飲みつつ喜んでいます。時政も「りくの言う通りに運んでいる」とデレデレ。
「執権殿」
そう甘ったるく呼びかけ、これで名実ともに御家人の頂に立ったと甘えるりくです。
執権は代々北条が跡を継ぐのか?と確認しながら、次は政範と見据えるりく。
父ほどの年齢差がある相手に、京都から嫁いできて、念願の男児が授かるまでに何人も女児を産んできた。私だって苦労はしている。
りくにしてみりゃ、その見返りを求めて何が悪い?と言いたいかもしれません。
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そんな露骨な妻に対し、気が早いと苦笑いする時政。少しはわしにやらせてくれ、だってよ。
りくが詫びつつ、次は武蔵だと焚きつけると、時政も「蔵守の件は流石に皆困惑していた」と少々焦っています。
畠山重忠やその他多くの御家人の立場を考えれば当然ですね。それでもりくは「欲ではない」と甘ったるく囁きながら、武蔵の武士を従えるメリットを説きます。
北条は今や仇持ちなのだから、身を守るためには兵が多いに越したことはない――。
典型的な言い訳ですね。自分の身を守るため、より強い力を得ようとして、さらに敵が増えかねない悪循環。
それでも手綱を締め続けるりくは、次の計画についても進めようとします。
それは実朝に都から御台所を迎えることでした。
身の程知らずの田舎者め!
陰謀夫妻の娘婿である平賀朝雅が、後鳥羽院の元にいます。
近江海に、吉野の桜……後鳥羽院のジオラマですね。
院の美意識を映す華麗な細工ですが、富士山らしき山の麓に、なんだか素朴な家があります。朝雅がふと尋ねます。
「これは何でしょう?」
「鎌倉よ」
オホホホと笑い合う、なんとも嫌味な連中。これが京都の感覚ですね。
後鳥羽院は実朝の嫁取りの話を聞いていました。
鎌倉が実朝の正室を都から差し出せと言ってきた――そのことを傍らにいる慈円に告げていますが、にしても一体誰の考えだったのか?
ふと推理してみると、実朝が自ら言い出すはずもない。すかさず平賀朝雅が「わが舅にございます」と返す。つまり「北条遠江守時政」だと、慈円が補足します。
身の程知らずの田舎者め!
憎々しげに、そう吐き捨てる後鳥羽院ですが、それでも実朝の名付け親であったと思い直し、一肌脱いでやるといい出します。
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朝雅は面目が立つとニヤニヤ。後鳥羽院は自分と血筋が近いものを選ぶことにします。
すると慈円が「権大納言・坊門信清に年頃の御息女がいます」と助言します。
史実では後に西八条禅尼と呼ばれる源実朝の正室です。父の坊門信清が、後鳥羽院の母ときょうだいであり、たしかに血筋は近い。
さっそく鎌倉に伝えるよう朝雅に命じると、すげなく追い払い、
「入っていいぞ」
と誰かに告げている。姿を現したのは源仲章でした。
仲章は「比企を倒したのは北条の謀略だ」と告げています。慈円がおぞましそうに「やはり」と呟くと、なんとしても頼家を代替わりさせたかったようですと告げる仲章。
後鳥羽院は「源氏は我が家臣だ」と認識しています。それを坂東の田舎侍に過ぎない北条に好き勝手にされていることに不快感を見せているんですね。
そんな北条の娘婿である平賀朝雅のことも、どこまで信じているのやら。
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仲章が「いっそ北条を潰しますか?」と尋ねると、実朝は大事にしたいようです。
その上で奴らに取り込まれぬよう教え導く――つまり実朝を自分に都合よく洗脳しようってわけで仲章にもこう命じます。
「鎌倉へくだれ!」
「かしこまりました」
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