太宰府と言えば?
そう問われて真っ先に頭に浮かぶのは普通「太宰府天満宮」であり、学問の神様・菅原道真でしょう。
しかし今年から、その様子にも変化が生じるに違いありません。
大河ドラマ『光る君へ』で政庁としての「太宰府」にスポットライトが当てられたのです。
京都からはるばる足を運んだまひろの眼前に現れたのは、朱塗りの柱が立ち並ぶ、中国風の堂々たる建物。
あれは一体なんだったのか?
太宰府とはどんな場所だったのか?
そもそも、まひろと乙丸のように肉体的な牽強さがない二人が、京都から足を運べるような場所にあったのか?
本記事では政庁としての大宰府の歴史と、ドラマでの描き方について考察してまいりましょう。
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太宰府:日本の玄関口として置かれた場所
天智2年(663年)、【白村江の戦い】において、大和の軍勢は大敗を喫しました。
この敗戦を機に、国防の重要性を認識。
隣国に面して防御を固めるべき筑紫の地では、敵襲を警戒するのはもちろん、平時は貿易を求めてやってくる交易船の対応も求められます。
そこで作られたのが太宰府であり、政庁が置かれました。
日本列島の中で、かなり特異な場所である太宰府がドラマで映像化されるのは、極めて重要かつ画期的と言えるのではないでしょうか。
『光る君へ』では太宰府だけでなく、京都の内裏や土御門、あるいは越前の松原客館などの建築物も再現されています。
宋人が出入りする建築は、日本の内裏とは異なりますので、比較することで両者の特徴も浮かんでくる。
太宰府をどう再現するか。
視覚化するか。
私達が思い浮かべようとしても、どうしても「太宰府天満宮」が先に出てきてしまい、イメージは湧いてこない。
現在まで残された太宰府政庁跡はあくまで発掘現場であり、ここから建築物である政庁の姿を想像するのはできません。
いま確認できる発掘現場や、文献などの記録から、太宰府の政庁をどうやって再現するか。
大河ドラマが、この先も続いていくことを考え、そのための経験を積んだと思うと、今回の太宰府政庁セットには大いなる意味があったと思えるのです。
その結果、劇中に登場した太宰府は、日本だけでなく中国の特徴が取り入れられた、見る者を唸らせる仕上がりになっていました。
九州を統括し 交易財政の要となる
7世紀後半に設置された太宰府は、地方行政機関ながら特殊な立ち位置にありました。
都でもない。かといって国でもない。言うならば、その中間か。
他の地方の産品は、都に送ることが前提とされます。
ドラマの「越前編」でも、貴重な越前紙が都に送られ、財産とされることがわかる扱いでした。
しかし九州の産品は、いったん太宰府に納められると運営費用として使うことも許されていたのです。藤原行成が劇中で「太宰府で富を蓄えたい」と発言していた理由が、ご理解いただけるでしょう。
人事も特殊です。
太宰府の長官にあたる太宰帥(だざいのそち)は左右大臣、大納言に次ぐ従三位となります。
藤原伊周や光源氏のような大臣を目ざす位の人物ならば、太宰府ゆきは挫折。
しかし、そこまで望んでいない者にとっては十分栄転といえる。
財政的なメリットもあり、都にこだわりがなければ、太宰府はむしろ行ってみたい場所ともいえます。
ただし、それはあくまで平時の話。
本来は、国防の重要性をふまえて置かれた施設です。
『光る君へ』最終盤のクライマックスで描かれたのは、博多を守り抜くために戦った太宰権帥・藤原隆家の姿でした。
『光る君へ』でも重要拠点
『光る君へ』において太宰府の存在は、実は序盤から見えていました。
まひろと出会った直秀は「都は狭い籠のようなものだ」と語り、その上で「俺と都を出ないか?」と語りかけてきました。
このとき、まひろは出ていくことを選びません。
しかし、籠の外の世界のことは劇中で言及されます。
具体的に“太宰府”という言葉が初めて登場するのは【長徳の変】の後のことでした。
藤原道隆の子である伊周と隆家は、一条帝の寵愛を受ける妹・定子という後ろ盾がありながら、花山院に矢を射てしまう暴力事件を起こし、兄弟二人ともに左遷されてしまうのです。
このとき伊周が任じられることになったのが「太宰権帥」です。
都から遠く離れた彼の地へ向かうことは破滅的とされ、伊周はどうにかして都に留まろうと、みっともない真似をしてまでも足掻くほどでした。
あるいは藤原為時邸に遊びにきた藤原宣孝は、赴任先の太宰府で手に入れた土産を持参していましたね。
口紅。日本にはない白酒(バイジゥ・蒸留酒)。売ってたんまり儲けたという金創膏(傷薬)などなど、一風変わった珍しいもの尽くし。
こうした宋の特産品は、これから為時とまひろが向かう「越前編」への導入部ともいえました。
それだけでなく、宣孝が財を蓄えたことで、新たな妾としてまひろを迎える余裕ができることも読み解けます。
「越前編」でも珍しい品々が出てきました。
生真面目な為時は、宣孝のように蓄財できない――そんな事情も描かれましたね。
そして放送回数も残り僅かという最終盤になって、またしても「太宰府」が注目されることに。
若い頃から藤原道長に甲斐甲斐しく尽くしてきた藤原行成。
中央での権力争いに疲れたのか、あるとき「太宰府に赴任したい」と道長に配慮を願いました。
しかし、それを望んでいたのは行成だけではありません。眼病を患っていた藤原隆家もまた「宋の医師がいる」という藤原実資の助言に従い、赴任を願い出たわけです。
結果、行成と隆家の希望を聞いた道長は、隆家を選び「太宰権帥」としました。
そんな隆家を間接的ながら『源氏物語』で追い落としたまひろは、物語の中に記した場所とゆかりのある土地をめぐる旅に出ます。
夫のいた場所として、目的地にあがるのが「太宰府」。
『源氏物語』でも舞台となった場所です。
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