ドラマ『真田十勇士 SHADOWS OF THE TEN NINJA』がテレビ朝日で10月23日から始まりました。
岩本照さん演じる猿飛佐助が、安藤政信さん演じる真田幸村と出会い、徳川家康に挑んでいく忍者アクション時代劇。
多くの戦国ファンを生み出した名作として知られる『真田十勇士』をもとに描かれているわけですが、ひょっとしたら「まるで知らん……」という方もいらっしゃるかもしれません。
猿飛佐助や霧隠才蔵の名前は、かろうじて聞いたことはある。
しかし、残る8人の名前をそらんじては言えない。
そもそも真田十勇士は、真田信繁(幸村)に本当に仕えていた実在の人物だったのか?

絵・富永商太
ということで本記事では、真田十勇士10名の顔ぶれを確認しましょう。
真田十勇士はどのように生まれた?
真田十勇士の原型は、江戸時代の軍記物語にさかのぼります。
寛文十二年(1672年)に成立した『難波戦記』では、三好清海入道・三好為三入道・由利鎌之助・穴山小助・海野六郎兵衛・望月卯左衛門の6人が、真田幸村の家臣として登場。
江戸時代後期の『真田三代記』になって、根津甚八と筧金六が加わります。
実は、猿飛佐助と霧隠才蔵が現れるのは、明治に入ってからでした。
意外に遅い登場だったんですね。
この二人は、明治四十四年(1911年)に創刊された講談本のシリーズ「立川文庫」で新たに加えられました。
そして大正二年(1913年)の第五十編『大阪城冬之陣』で「真田十勇士」という呼び名と10人の顔ぶれが固まりました。
つまり10人は、すべてが物語の中の人物。
実在の真田家臣としては確かめられません。

ドラマ真田十勇士イメージイラスト
では彼ら10名は物語の中ではどんなキャラクターでどんな役割を与えられていたのか。
現在のドラマには独自の設定が加えられているため、十勇士を形づくった立川文庫での役割を中心に見て参りましょう。
果たして彼らにはモデルとなる武将や忍者はいたのでしょうか?
真田十勇士の10人はどんな人物?
まずはテレ朝ドラマでも主役となった猿飛佐助から注目です。
猿飛佐助:十勇士を代表する忍者
ドラマでは、岩本照さんが主人公の猿飛佐助を演じています。
猿飛佐助は、敵陣の偵察や潜入を受け持つ十勇士の筆頭格です。

猿飛佐助イメージイラスト
初登場は明治四十四年(1911年)の立川文庫第五編『智謀真田幸村』。
当初は敵情を探るのが主な役目で、忍術はほとんど使いません。
術が派手になるのは、佐助が主人公の巻が出た大正二年(1913年)からです。
戸沢白雲斎(とざわはくうんさい)に甲賀流を学び、水や火を操る忍者へと成長。
信州・鳥居峠のふもとで、猿と木から木へ飛び移って遊んでいた少年で、「猿飛」の名は幸村が付けたことになっています。
京都では大盗賊・石川五右衛門と忍術くらべ。鼠に化けた五右衛門に猫となって飛びかかり、火遁の術には鉄扇で水を呼んで打ち消しました。
立川文庫のどの巻でも佐助は死なず、最後は幸村とともに薩摩へ落ち延びます。
霧隠才蔵:佐助と双璧をなす忍者
ドラマで霧隠才蔵を演じるのは、中川大志さん。
霧隠才蔵は、佐助と並ぶ忍術使いです。

霧隠才蔵イメージイラスト
佐助と同じく『智謀真田幸村』で生まれ、のちに伊賀流の名人・百々地三太夫(ももちさんだゆう)に学んだと設定されました。
名字は『真田三代記』の武将「霧隠鹿右衛門」から取ったとも考えられます。
冷静で影のある好敵手という人物像は、後の作品からであり、立川文庫では佐助との性格の描き分けはほとんどありません。
佐助との出会いは忍術合戦でした。互いに大鷲を呼び出して背に乗り、空中で手裏剣を投げ合った末に才蔵が負けを認め、真田家に加わります。
仙台では伊達家の家臣225人分の髷を忍術で切り取り、伊達政宗に千両で買い取らせて軍資金にしました。
大坂夏の陣では家康を雪隠(トイレ)まで追い詰め、壁ごと槍で突き通しましたが、惜しくも外れています。
三好清海入道:怪力を誇る大入道
ドラマでは、今井竜太郎さんが「三好清海」を演じています。
本来の三好清海入道は、鉄の棒を振り回して敵をなぎ倒す怪力の豪傑です。

三好清海入道イメージイラスト
『難波戦記』から名前が見える古参で、三好兄弟の兄。
『真田三代記』では90歳の老将でしたが、立川文庫の途中で、なんと19歳に若返ります!
身の丈8尺(約240センチ)、坊主頭に墨染の衣、18貫(約68キロ)の鉄棒を振るう向こう見ずな大入道です。
由利鎌之助と力くらべをしたときは、100貫(約375キロ)の大石を空高く放り投げて勝ちました。
最期も豪快です。『智謀真田幸村』では、石の鳥居に馬上から自分の頭を打ちつけて討死します。
三好伊三入道:兄に劣らぬ血気盛んな入道
ドラマでは「三好伊佐」の名で登場し、武井壮さんが演じています。
三好伊三入道は、兄・清海と並んで暴れ回る怪力入道です。

三好伊三入道イメージイラスト
作品によっては「為三入道」とも書かれます。
戦では一番槍を名乗り出るほど、先陣にこだわりました。
実は「三好為三」という武将は実在し、織田信長や豊臣秀吉に仕えています。
名前はここから借りたとみられますが、真田家との接点はありません。
『智謀真田幸村』では、ひとりで変装して敵陣に乗り込み、陣屋に火を放って大暴れしています。
新参の佐助に「坊主の叔父さん」と呼ばれて激怒し、真っ先に立ち合いを挑んだのも伊三でした。
『真田三代記』の夏の陣では「地獄の釜を踏み破り」と辞世を詠み、太刀をくわえて馬から飛び下り、自害しています。
由利鎌之助:槍を得意とする豪傑
ドラマでは、伊原六花さんが男装の女忍者・由利鎌之助を演じています。
由利鎌之助は、槍一本で敵を蹴散らす豪傑です。

由利鎌之助イメージイラスト
『難波戦記』から名前が見える古参で、立川文庫では「槍は無双の名人」、五十人力の怪力とされました。
佐助・清海とともに「真田三勇士」に数えられたこともあります。
名前の「鎌」にちなむ鎖鎌の達人という設定は、のちの作家による後付けです。
立川文庫の一作では、もとは越前朝倉家の残党。鈴鹿峠で山賊の頭領をしていたところを佐助に組み伏せられ、改心して仲間になりました。
福島正則と立ち合い、正則の槍を打ち落として降参させたこともあります。
水練も得意で、「河童と競争をしやうと云ふ大名人」とまで書かれました。
穴山小助:幸村の影武者を務める勇将
ドラマで穴山小助を演じるのは、浜野謙太さん。
穴山小助は、幸村の名を名乗って敵を引きつける影武者です。

穴山小助イメージイラスト
『難波戦記』から登場する古参で、幸村の信頼がとりわけ厚い勇将です。
『真田三代記』の夏の陣では、幸村を名乗って越前勢に斬り込み、その首は幸村本人のものとされました。
実在の武将と勘違いされることもありますが、確かな史料に名前は見当たりません。
『真田三代記』では由利鎌之助と一騎打ちになり、正午から夕暮れまで戦っても決着がつきませんでした。
立川文庫の冬の陣では、幸村と二人で小舟に乗って道頓堀川にひそみ、家康の替え玉を鉄砲で撃ち落としています。
海野六郎:佐助と縁を持つ古参の家臣
ドラマでは、袴田吉彦さんが海野六郎を演じています。
海野六郎は、忍術ではなく武芸で幸村を支える古参の家臣です。

海野六郎イメージイラスト
『難波戦記』や『真田三代記』では「海野六郎兵衛」の名で登場しました。
立川文庫では、佐助の妻・楓が海野六郎の従妹にあたり、六郎と佐助は義理の従兄弟という間柄です。
幸村が新参の佐助ばかりかわいがり、仲間が腹を立てても「楽になった」と笑う、おおらかな人物でした。
楓が家老の息子にさらわれた事件では、穴山小助と組んで駕籠を襲い、楓を救い出しています。
穴山とはいいコンビで、二人で逃げるふりをして豪傑を罠へおびき出す作戦も演じました。
望月六郎:弁舌に優れた幸村の腹心
ドラマで望月六郎を演じるのは、牧野公昭さんです。
望月六郎は、巧みな弁舌で場を動かす幸村の腹心です。

望月六郎イメージイラスト
『難波戦記』では望月卯左衛門、『真田三代記』では望月主水などと名前が揺れ、立川文庫で望月六郎に落ち着きました。
海野六郎と「六郎」がかぶるのは、最初の立川文庫で海野が「三左衛門」だったためです。
大正時代の作品では、弁舌を生かして家老の息子の悪事を暴いてみせます。
『難波戦記』では由利鎌之助とともに大筒十挺を林に伏せ、九度山を下りる幸村一行を追ってきた浅野家の兵を吹き飛ばしました。
名前のかぶりは立川文庫も気にしたのか、一時は「望月三郎」に改められましたが、定着しなかったようです。
筧十蔵:父の仇討ちを遂げた剣士
ドラマでは、ジョエル・ディカーソンさんがイギリス人勇士・筧十蔵を演じています。
筧十蔵(かけいじゅうぞう)は、父の仇を追って諸国をめぐった剣の豪傑です。
原型は『真田三代記』の「筧金六」で、10人の中では最後に立川文庫へ登場しました。
明治四十五年(1912年)の『真田幸村諸国漫遊記』では、父を殺した男と毒婦を追いつめ、見事に仇討ちを果たします。
鉄砲の名人という設定は後世のもので、立川文庫の十蔵は刀一本で戦う正統派でした。
腕力も相当で、越後高田では暴れ出した闘牛の角をつかみ、素手でねじ倒しました。
その一方でなぜか病気がちで、脚気、熱病、眼病と次々に倒れます。
目が見えないまま仇の手下に囲まれても、「目が見へない位いが頃合だ」と言い放って斬り結んだのですから、恐れ入ります。
根津甚八:幸村の最後を支える影武者
ドラマで根津甚八を演じるのは、金田哲さんです。
根津甚八は、幸村の身代わりとなって最後の戦いに散る影武者です。

ドラマ真田十勇士根津甚八イメージイラスト
『真田三代記』から登場し、大坂夏の陣では幸村の最後の影武者として、幸村を名乗りながら討死しました。
このとき率いたのは、馬に金色の鱗形の具足をつけた騎馬隊「火龍軍」。異様な姿に、敵の馬はおびえて逃げまどったといいます。
立川文庫でもこの役回りは受け継がれ、甚八の首が幸村のものとして扱われます。
首実検では、幸村の義弟にあたる大谷大学が甚八の首を「幸村殿」と呼んで寺で弔い、そのまま腹を切りました。これを見た家康も、本物の幸村だと信じてしまいます。
もっとも、甚八が生き延びる結末の作品もあり、最期は一つに定まっていません。
生き延びた版では、足の傷が治らずに備中・下津井で武士を捨て、その子孫は大坂で名の知れた侠客になったとされています。
ぶっ飛んだ世界観でイイのだ
ドラマでは、本物の猿のごとく木々へ飛び移り、高い柵も越え、分身の術まで使ってしまう猿飛佐助。
他の勇士もそうで、それぞれに特技や必殺技があります。
大河ドラマなどの時代劇から見れば、相当ぶっ飛んだ世界観ではありますが、これこそが真田十勇士の醍醐味です。
あり得ない。
けど、めっちゃ楽しい!
だからこそ、この作品を契機として数多の戦国ファンや歴史好きを生んできました。
もちろん真田家の各武将たちは史実から見ても非常に興味深い存在であり、ワクワクさせてくれるものです。
よろしければ史実の真田信繁(幸村)については、以下の関連記事をご覧ください。
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参考文献
- 山村竜也『真田幸村と十勇士』(2016年1月 幻冬舎)
- 上田市立博物館「真田十勇士」
- 国立国会図書館「エンタメ世界の忍者」
- テレビ朝日「相関図・キャスト|真田十勇士 SHADOWS OF THE TEN NINJA」

