森忠政

鶴山公園(津山城跡)にある森忠政の銅像

織田家

磔(はりつけ)大好き森忠政~可成や長可とはタイプの違う森家の跡取りとは

2023/07/06

豊臣秀吉や明智光秀をはじめ、前田利家に柴田勝家、丹羽長秀などなど。

織田信長のもとには数多の有名武将がおりますが。

もしも長生きしていれば、もっと出世を重ねて後世にその名を轟かせたであろう――という人物がおります。

森可成(もりよしなり)です。

浅井朝倉軍の蜂起で信長がピンチに陥ったとき、少数の兵を引き連れ、敵の進軍を阻止。

激戦の末に命を落とした猛将でありますが、今回の主人公は彼ではありません。

※以下は森可成の関連記事となります

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彼の息子にして森家を継いだ森忠政で、嘉永11年(1634年)7月7日が命日です。

可成の子供たちと言えば、戦国ファンにとっては「人間無骨」の十字槍で勇名を馳せた鬼武蔵こと森長可(ながよし)や、信長に仕えた美形小姓の森蘭丸などが知られますよね。

一方、忠政となると「この人、誰?」状態。

当コーナー『日本史ワル査定』に登場するぐらいですからステキな話ばかりでないことはご想像つくと思います。

初めに、最大の負の特徴だけ記しておきましょう。

この森忠政、なぜか「磔」が大好物というヤバい方だったのです。

📚 戦国時代|武将・合戦・FAQをまとめた総合ガイド

 

小姓をクビになったと思ったら本能寺とは……

森可成の6男として生まれた森忠政は、他の兄弟同様に織田家に仕え、1582年の春頃、信長の小姓となります。

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しかし、初っ端からイキナリ

・同僚の頭を扇子で殴り、3日で暇を出される

という香ばしいエピソードを発します。

それでも生まれついての強運というか悪運をお持ちなんでしょう。

これが幸いして【本能寺の変】に巻き込まれず、その結果、森家の跡取りになってしまいます。

後に、兄の長可は小牧・長久手の戦いで死んでしまうのですね。

森忠政に跡を継がせたくなかった長可は『ヤツはダメですよ』という遺言状を遺していたようです。

しかし、結局、継いでしまいます。

それどころか豊臣政権下で上手く立ち回り、豊臣姓、羽柴姓を下賜されて桐紋の使用もオッケー♪と秀吉に可愛がられるのですから、同家にとっては正解だったのかもしれません。

しかも秀吉が死んだ後は、ソッコーで徳川家康に擦り寄る要領の良さ。

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勝ち馬の匂いを嗅ぎ取るのが非常にうまかったようです。

 


高坂昌元一門を磔! 一揆の農民たちを磔!

1600年2月、森忠政はかねてより希望の信濃川中島へ加増転封されます。

そこでまず進めたのが……

・天正壬午の乱で長可を裏切った高坂昌元一門を全員・磔(はりつけ)

でした。

ドラマ真田丸では、昌幸にハメられて悲惨な最期を遂げた高坂昌元さん。

実際は北条氏との内通が上杉景勝にバレて粛清されますが、その関係者たちも悲惨な目にあってたんですね。

直後に起きた関ヶ原の戦いで、森忠政は直接の参戦こそなかったものの、徳川に反発する一揆の鎮圧で功績をあげ、そして2年後、領地全域を対象に「右近検地」と呼ばれる鬼検地を行いました。

結果、石高は5万石ほど上昇し、領民は重税に苦しみ、一揆が暴発します。

しかーし……。

・徹底的に弾圧して数百人を磔!

となりました。

磔にする柱は足りたのか?

って少しズレた疑問を抱いてしまいますが、この忠政さん、評価の難しいところがありまして。

なんというかただ単に冷徹な人間ではないというか、実は人の心の機微を感じ取る嗅覚にも優れていると申しましょうか。

1603年に美作18万石6500石(津山藩)へ加増転封が決まった際のことです。

彼の信濃での悪政を聞いた地元民が反発してここでも一揆を起こされてしまうのですが、今度は力づくで磔にするのではなく、地元の有力者を凋落し、一揆をグダグダに終わらせてしまうんですね。

調略された農民たちが情けないというよりも、森忠政が人の心の隙をつくのが上手なのでしょう。

 

上に媚び下を叩く、しかもアタマは悪くない

その後の森忠政は、美作で割とマトモな内政をしたかと思ったら

・気に入らない重臣を暗殺

とか、心に棲んだ鬼を時折覚醒させる始末。

これにビビッた筆頭家老が逃げだしたり、家老同士が喧嘩して相手を殺したり、その家臣たちもヤバすぎる割に幕府からは何のお咎めもなく、森忠政の長男は家康の養女を嫁に貰うなど徳川政権下でも相変わらず上手く立ち回っております。

セコいエピソードとしては、

・津山藩主となった忠政はある温泉を気に入り、湯治場として利用するため、鍵をかけ、村人や部外者が利用できないようにした

って、ところでしょうかね。

なんというかとらえどころのない方ですが、“上に媚び下を叩く、しかもアタマは悪くない”という、自分の上役だったら最悪なタイプだったようで。

今も昔も組織の中ではそんな処世術が最強なんですね。悲しくなりますが。

なお、温泉独り占めのセコさで65歳まで生きぬいた森忠政も、最期は桃に当たって死んだそうです。

いったい桃に当たるとはどういうことなのか……。

悪人度  ★★★★☆
影響力(権力)★★★☆☆
ハリツケ度 ★★★★★

森忠政日本史悪ミシュラン

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文/馬渕まり(忍者とメガネをこよなく愛する歴女医)
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【参考】
国史大辞典
奥津荘(→link
森忠政/wikipedia

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BUSHOO!JAPAN(五十嵐利休)

武将ジャパン編集長・管理人。 1998年に大学卒業後、都内出版社に入社し、書籍・雑誌編集者として20年以上活動。歴史関連書籍からビジネス書まで幅広いジャンルの編集経験を持つ。 2013年、新聞記者の友人とともに歴史系ウェブメディア「武将ジャパン」を立ち上げ、以来、累計4,000本以上の全記事の編集・監修を担当。月間最高960万PVを記録するなど、日本史メディアとして長期的な実績を築いてきた。 戦国・中世・古代・幕末をはじめ、幅広い歴史分野をカバーしつつ、Google Discover 最適化、クラスタ構造にもとづく内部リンク戦略、画像最適化、SEO設計に精通。現在は企業のオウンドメディア運用およびコンテンツ制作コンサルティングも手がけ、歴史 × Web編集 × SEO の三領域を横断する専門家として活動している。 ◆2019年10月15日放送のTBS『クイズ!オンリー1 戦国武将』に出演(※優勝はれきしクン) ◆国立国会図書館データ https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/001159873

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