足利義輝から「義」の字をもらい、武田義信となった信玄の嫡男・太郎。
天文23年(1554年)8月6日に初陣を果たすと、今度は娘の黄梅院が北条氏政に嫁ぐことになり、武田家では祝い事が続く。
と、喜んでばかりもいられなかった。
信濃の制圧と引き換えに、越後の龍こと上杉謙信との対決が始まり、北信濃での争いは激化していくばかり。
そこで信玄は一歩踏み込む。
天文24年(1555年)4月に信濃の重要拠点・善光寺を味方に取り入れ……ということで今週もマンガ『戦国ブギウギ武田三代記』vol.26の始まりです!
◆前25話を読みたい!という方は以下のリンクからご覧ください
↓
-

まんが戦国ブギウギ武田三代記第25話 嫡男出陣で信濃平定は進むよ
続きを見る
善徳寺の会盟

◆太原雪斎のマネージメントで今川義元・北条氏康・武田信玄の三者が一堂に会する! マジか?
と思ってしまう、この【善徳寺の会盟】と呼ばれる会合。あまりに出来すぎていて、案の定、創作だとされていますね。
だったら本作で信玄の影武者が来たって問題ない!
武田の攻勢

◆天文24年(1555年)3月、武田信玄は制札を出し、味方の兵たちに信濃の慶弘寺での乱暴狼藉を禁じ、さらに4月になると信濃一のビッグネームなお寺を味方に引き入れます。
善光寺です。
江戸時代には伊勢神宮と並ぶ一大観光地となった善光寺。
北信濃の重要エリアであり、越後までも目と鼻の先なため、上杉謙信だって到底黙っていられません。
出陣!
そして第二次川中島の戦いの始まりじゃあ!
犀川の戦い

◆上杉謙信が出陣すれば、武田信玄もすぐさま甲府を発つ。
同時に、善光寺勢力が籠城する旭山城へ、鉄砲300丁・弓800張を携えた援軍3,000を送り、自身は犀川に備えました。
そのため第二次川中島の戦いは、犀川の戦いとも呼ばれたりしますね。
戦いは、両軍ともに決定力を欠いて、次第に膠着していきます……。
和睦の使者

◆4月に始まった戦いは5、6、7、8月と過ぎても、ひたすら膠着していくばかりで、両軍、打開策が無いまま、信玄は同盟を頼ることにした。
今川義元に和睦の仲介を頼んだのである。
そして閏10月に手打ちとなり、両軍は引き上げていった。
しかし、そのころ甲府では……。
美人薄命

◆若くして死んだためか。あるいは諏訪家の姫というポジションからか。
何かと悲劇と共に語られがちな諏訪御料人。
ご存知、武田勝頼の母親ですね。
-

「風林火山」を使えない武田勝頼は最初から詰んでいた?信玄の跡継ぎ37年の生涯
続きを見る
のちの勝頼

◆信玄は「英雄色を好む」タイプだった?
諏訪御料人のエピソードから、一瞬、そんなイメージを抱いてしまう方も多いかもしれません。
しかし……
-

信玄の妻と側室|上杉の方から油川夫人まで 信玄には全部で何人の妻がいたのか
続きを見る
上記の記事に信玄の妻をまとめましたが、むしろ戦国大名として、武田家のための外交や、勢力圏確保のため、妻を選んでいると考えた方が自然な気もします。
この年の11月6日、諏訪御料人は死亡。
その2日後、相模では娘の黄梅院が男児を産んでいました。
亡き嫁を思う

◆三条夫人を娶る前、信玄は上杉朝興の娘と結婚しています。
残念ながら子供を生む時に母子共に亡くなってしまいました。
そこに繋がるか?

◆義信がどの辺りから反抗的だったのかは不明です。
少なくとも理由なく廃嫡されるようなことは無かったはずで、武田家の跡取りと見られていました。
しかし、不穏な空気が流れていますね……。
-

早川殿の生涯|武田・徳川・北条に翻弄され今川氏真と共に歩んだ流転の生活
続きを見る
あわせて読みたい関連記事
-

武田信虎の生涯|信玄に国外追放された実父は毒親に非ず?81年の天寿を全う
続きを見る
-

武田信玄の生涯|最強の戦国大名と名高い53年の事績を史実で振り返る
続きを見る
-

上杉謙信の生涯|軍神や越後の龍と称される49年の事績を史実で振り返る
続きを見る
-

「風林火山」を使えない武田勝頼は最初から詰んでいた?信玄の跡継ぎ37年の生涯
続きを見る
-

早雲の跡を継いだ名将・北条氏綱|関東全域へ領土を広げた大戦略とは?
続きを見る
-

今川義元の生涯|“海道一の弓取り”と呼ばれる名門武士の実力とは?
続きを見る
漫画:アニィ高橋
文:五十嵐利休
【参考】
戦国合戦史研究会『戦国合戦大事典 (3) 静岡県・愛知県・長野県・新潟県・富山県・石川県』(→amazon)
柴辻俊六/平山優/黒田基樹/丸島和洋/柴裕之/鈴木将典『武田氏家臣団人名辞典』(→amazon)
武田氏研究会『武田氏年表 (信虎・信玄・勝頼)』(→amazon)
平山優/株式会社サンニチ印刷『信虎・信玄・勝頼 武田三代』(→amazon)
ほか









