明智光秀/wikipediaより引用

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光秀の父・明智光綱は本当に父親か?詐称疑惑もある謎多き出自とは

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光秀の父・明智光綱
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実父を【山岸信周】だとする見解も

明智光秀の父とされる人物の名前が、史料ごとに異なる部分にも注目しなければならないでしょう。

例えば、先に見た『系図纂要』の『明智系図』では明智光綱が父親でありながら、『続群書類従』の『明智系図』では明智光隆が父親だったり、さらに同書に収録されている『土岐系図』では明智光国が父と記載されているのです。

史料ごとに、あまりに父の名前が違う――これについては「すべて光綱の別名であり、同一人物である」という説明もなされますが、それを断定できるだけの一次史料が無いのが痛いところです。

仮に上記の三名がそれぞれ別人であるならば、光綱が父親でない可能性も同時に存在してしまいます。

それだけではありません。

ショッキングなことに

「そもそも、光秀が本当に土岐明智氏の出身であったかも疑わしい」

という異説も提唱されており、実父を【山岸信周】だとする見解もみられます。

つまり、結論は「光綱が本当に光秀の父親かどうかは、全くわからない」というのが答えなのです。

実際、光秀関係の研究書でも、この部分は「やっぱり特定できない」という締めで終わっていることが大半であり、歴戦の研究者たちでさえ匙を投げる難問となっています。

クイズ番組であれば「わからない」が正解になってしまう、非常にモヤモヤする結論……。

 

土岐明智氏ではない可能性が極めて高い

光綱が光秀の父であるという言説は非常に疑わしい。

となると問題点はこれだけにとどまりません。

先ほどから「光綱の生涯を語ることができる一次史料がない」という指摘をしてきましたが、これはすなわち「光綱の実在を証明する手段がない」ということも明示しています。

明智光秀は、前半生こそ不確かながら、後半生の動静は一次史料に記録が残されています。

実在したのは間違いないでしょう。

「父の実在が不確かで、子の実在は証明されている」

なぜこのような事態が生じてしまうのか。

私としてはある疑問を指摘せざるを得ません。

「果たして光秀は、本当に土岐明智氏出身の人物だったのか?」

彼が、将軍・足利義昭織田信長のもとで大きく出世するため、かつて名門だった明智家を自称(詐称)した可能性は否定しきれないのではありませんか。

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実際、彼の出自について「土岐明智氏ではない可能性が極めて高い」と言い切ってしまう研究者もいます。

なお、土岐明智氏そのものは、確かに実在しています。

光秀から見て曽祖父の明智頼典までは確かに存在しており、土岐明智氏はある程度の裏付けが存在します。

それなのに……光秀の祖父にあたるとされる明智光継から、その実在を証明することができないなんて……やっぱり不自然です。

加えて、頼典以前の当主は「頼」の字を名に継承してきたにも関わらず、光継以降は「光」の字が継承されるなど、不審な点は他にもあります。

明智光綱が存在しない――同時に、光秀が土岐明智氏の末裔を自称した可能性も否定しきれない――。

果たして、光綱は本当に実在したのか。

仮にその存在が確認できれば、光秀の出自に関する研究も大きく進展するのですが、ナゾ多き生涯を「ナゾのままにしておきたい」のは他ならぬ光秀だったのかもしれません。

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文:とーじん

【参考文献】
谷口研語『明智光秀:浪人出身の外様大名の実像(洋泉社)』(→amazon
小和田哲男『明智光秀・秀満(ミネルヴァ書房)』(→amazon
渡邊大門『明智光秀と本能寺の変(筑摩書房)』(→amazon
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