こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【光秀の父・明智光綱】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
実父を【山岸信周】だとする見解も
明智光秀の父とされる人物の名前が、史料ごとに異なる部分にも注目しなければならないでしょう。
例えば、先に見た『系図纂要』の『明智系図』では明智光綱が父親でありながら、『続群書類従』の『明智系図』では明智光隆が父親だったり、さらに同書に収録されている『土岐系図』では明智光国が父と記載されているのです。
史料ごとに、あまりに父の名前が違う――これについては「すべて光綱の別名であり、同一人物である」という説明もなされますが、それを断定できるだけの一次史料が無いのが痛いところです。
仮に上記の三名がそれぞれ別人であるならば、光綱が父親でない可能性も同時に存在してしまいます。
それだけではありません。
ショッキングなことに
「そもそも、光秀が本当に土岐明智氏の出身であったかも疑わしい」
という異説も提唱されており、実父を【山岸信周】だとする見解もみられます。
つまり、結論は「光綱が本当に光秀の父親かどうかは、全くわからない」というのが答えなのです。
実際、光秀関係の研究書でも、この部分は「やっぱり特定できない」という締めで終わっていることが大半であり、歴戦の研究者たちでさえ匙を投げる難問となっています。
クイズ番組であれば「わからない」が正解になってしまう、非常にモヤモヤする結論……。
土岐明智氏ではない可能性が極めて高い
光綱が光秀の父であるという言説は非常に疑わしい。
となると問題点はこれだけにとどまりません。
先ほどから「光綱の生涯を語ることができる一次史料がない」という指摘をしてきましたが、これはすなわち「光綱の実在を証明する手段がない」ということも明示しています。
明智光秀は、前半生こそ不確かながら、後半生の動静は一次史料に記録が残されています。
実在したのは間違いないでしょう。
「父の実在が不確かで、子の実在は証明されている」
なぜこのような事態が生じてしまうのか。
私としてはある疑問を指摘せざるを得ません。
「果たして光秀は、本当に土岐明智氏出身の人物だったのか?」
彼が、将軍・足利義昭や織田信長のもとで大きく出世するため、かつて名門だった明智家を自称(詐称)した可能性は否定しきれないのではありませんか。
なぜ足利義昭は信長と共に上洛しながら一人京を追い出されたのか 流浪の生涯を辿る
続きを見る
織田信長の天下統一はやはりケタ違い!生誕から本能寺までの生涯49年を振り返る
続きを見る
実際、彼の出自について「土岐明智氏ではない可能性が極めて高い」と言い切ってしまう研究者もいます。
★
なお、土岐明智氏そのものは、確かに実在しています。
光秀から見て曽祖父の明智頼典までは確かに存在しており、土岐明智氏はある程度の裏付けが存在します。
それなのに……光秀の祖父にあたるとされる明智光継から、その実在を証明することができないなんて……やっぱり不自然です。
加えて、頼典以前の当主は「頼」の字を名に継承してきたにも関わらず、光継以降は「光」の字が継承されるなど、不審な点は他にもあります。
明智光綱が存在しない――同時に、光秀が土岐明智氏の末裔を自称した可能性も否定しきれない――。
果たして、光綱は本当に実在したのか。
仮にその存在が確認できれば、光秀の出自に関する研究も大きく進展するのですが、ナゾ多き生涯を「ナゾのままにしておきたい」のは他ならぬ光秀だったのかもしれません。
あわせて読みたい関連記事
麒麟がくるのキャスト最新一覧【8/15更新】武将伝や合戦イベント解説付き
続きを見る
斎藤道三は如何にして成り上がったか? マムシと呼ばれた戦国大名63年の生涯
続きを見る
なぜ足利義昭は信長と共に上洛しながら一人京を追い出されたのか 流浪の生涯を辿る
続きを見る
織田信長の天下統一はやはりケタ違い!生誕から本能寺までの生涯49年を振り返る
続きを見る
史実の明智光秀は本当にドラマのような生涯を駆け抜けたのか?
続きを見る
光秀の妻は本当に明智煕子(妻木煕子)だけ? 糟糠の妻 謎だらけの史実を振り返る
続きを見る
文:とーじん
【参考文献】
谷口研語『明智光秀:浪人出身の外様大名の実像(洋泉社)』(→amazon)
小和田哲男『明智光秀・秀満(ミネルヴァ書房)』(→amazon)
渡邊大門『明智光秀と本能寺の変(筑摩書房)』(→amazon)
明智光綱/wikipedia