光秀最期の11日間

明智光秀/wikipediaより引用

明智家

光秀最期の11日間~本能寺の変を起こし秀吉に敗れるまで光秀は何をしていた?

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10~11日 秀吉軍を迎え撃つ準備

事件の8日後、6月10日頃になると

「秀吉が京都方面へ戻ってきている」

という情報が明智方に届いたようです。

光秀は野戦で迎え撃つため、現代の京都府八幡市・大阪府枚方市あたりへ向けて兵を進めさせました。実は洞ヶ峠もこのエリアです。

洞ヶ峠に布陣していたのは、筒井順慶の兵ではなく明智軍だったのです。

しかし秀吉が予想以上のスピードで接近していることがわかり、勝竜寺城(長岡京市)から淀城(現代では”淀古城”・京都市伏見区)の間での迎撃に予定を変更。

羽柴方が淀川を遡ってくる可能性を考えてか、淀城の整備を進めています。

光秀は川を挟んで少し離れた勝龍寺城に入り、決戦に備えていました。

勝竜寺城

 


12日 前哨戦始まる

6月12日、勝竜寺城の西側で明智軍と羽柴軍が鉄砲を撃ち合い、いよいよ合戦が始まりました。

羽柴軍は織田信孝丹羽長秀高山右近らと合流。

一説には4万もの大軍になっていたといいます。

また、この日これまた有名な「天王山」の争奪戦が起こり、秀吉の家臣・堀尾吉晴が確保しました。

堀尾吉晴/wikipediaより引用

明智軍の記録が乏しいので、兵数については諸説あり、総勢1万3000とか1万6000とされています。

明智軍は勝竜寺城から南へ出陣していきました。

 


13日 光秀の最期

いよいよ山崎の戦い当日です。

戦の勝敗については広く知られている通りですので、光秀側から見た経過をざっくりと触れておきますね。

13日の夕方には明智方の敗北が確定し、光秀はいったん勝竜寺城に戻りました。

しかし兵数の差などからここでは守りきれないと判断し、夜の間に本拠の坂本城へ戻ろうと試みたようです。

その途中の小栗栖(京都市山科区)で地元民の落武者狩りに遭い、光秀は最期を遂げました。

『老人雑話』という本の中で、光秀がかつて

「仏のうそを方便と云ひ、武士のうそを武略と云ふ、百姓はかはゆきことなり」

と言ったなんて話もありますが、よりによってその光秀の首を取ったのが農民であるというのは皮肉なものですね。

秀吉も百姓あるいは同等の身分の出自です。

『老人雑話』の信憑性はあまり高くありませんし、もしかすると農民が光秀の首を挙げたことへの揶揄して、後年に「仏の嘘~」の話ができたのかもしれません。

 

その後の明智軍

光秀が打たれた後の明智方についても、少しだけ触れておきましょう。

山崎周辺にいた明智軍は14日には羽柴軍に降伏。

15日には一族の明智秀満が坂本城で「光秀の“妻子”と共に」自害したといいます。

「湖水渡り」で知られる明智左馬助こと明智秀満(歌川豊宣作)/wikipediaより引用

しかし光秀の正室である煕子(ひろこ)は天正九年(1581年)以前に亡くなっていた可能性が高く、この”妻”はいなかったかもしれません。

光秀の年齢や性格的に、後室を迎えたとも考えにくいです。

まぁ「妻子も自害した」というのは定型文みたいなものなので、実際は「親類縁者が全員自害した」ということでしょうか。

息子の光泰もこのとき自害したとされています。

本能寺の変についてはよく黒幕説や共謀説が話題になりますが、

もしも光秀が野戦に応じず、勝竜寺城で粘っていたらどうなったか?

という仮説でシミュレートしてみるのも面白いかもしれません。


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長月 七紀・記

【参考】
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon
藤井譲治『天皇と天下人 (天皇の歴史)』(→amazon
跡部蛮『「道」で謎解き合戦秘史 信長・秀吉・家康の天下取り』(→amazon
小和田哲男『この一冊で「戦国武将」101人がわかる!―――戦国時代を読むものしり辞典 (知的生きかた文庫) 』(→amazon
造事務所『1日1テーマ30日でわかる戦国武将』(→amazon
半藤一利『手紙のなかの日本人 (文春文庫)』(→amazon
桑田忠親『細川幽斉 (講談社学術文庫 1249)』(→amazon
福島克彦『明智光秀 織田政権の司令塔 (中公新書)』(→amazon
国史大辞典
世界大百科事典

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