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【蘆名盛氏】
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直江兼続も目をつけていた要塞
このとき盛氏は不惑の40才を過ぎたばかり、嫡男・蘆名盛興は15歳になっております。
城が出来上がった頃には、蘆名はますます伸びるはず――。
そんな期待をこめての築城でした。
残念ながら、現在は遺構が残るのみです。
ゲームにすら出ることなく、ここまで旅行に来る方は、相当の城めぐり上級者さんでしょう。
会津なら鶴ヶ城、マニアでもせいぜい猪苗代城あたりまでです。
ただ、行く価値は大いにあろうかと思われます(会津美里町観光ポータルサイト→link)。
ぜひとも、ここは千田嘉博先生のご意見を伺いたいところで、なにせ規模は大きく、あの直江兼続すら、神指城と並ぶ要塞として目をつけていたほどなのです。
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戦国時代の城跡として、見逃せないスケールの大きさがある向羽黒山城。
「奥州独自の積雪対策や特徴もある」ため、西国の城に慣れている方には、なかなかインパクトもあるかもしれません。
信玄も認めた奥州の名将
伊達家の争いに巻き込まれながらもそれに乗じて勢力を拡大する。
合戦も、外交も、築城センスも上々。
会津にはすごい武将がいるようだぞ――。
かくして蘆名盛氏は、ある人物のアンテナにひっかかります。
同年代の武田信玄でした。
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永禄6年(1563年)、信玄はこう持ちかけます。
「越後の上杉謙信を会津から牽制してくれんか?」
蘆名の牽制によって謙信が会津に目を光らせている隙に、信玄は信濃へ進撃。
その働きに喜んだのでしょう。信玄は、蘆名盛氏こそ日本でも有数の大名だと感服しております。
蘆名家の知名度が低いせいか。
どうしても、この会津を介した【上杉vs蘆名】という構図は軽視されがちなもの。
この構図を頭に入れておくと、もっと先の【慶長出羽合戦】まで理解がスムーズになります。
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会津は、越後を経由することによって、武田領まで影響力があったのですね。
こんなホットな蘆名盛氏を、見逃せない大名はまだおります。
「一緒に佐竹義重を挟み撃ちにしない?」
そう持ちかけたのは北条氏政・北条氏照です。
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元亀2年(1571年)蘆名は佐竹と睨み合っておりました。
両者の争いは、このころ数度にわたって確認できます。
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武田だけでなく北条からも頼られる蘆名。
相互利用という一面はありますが、そもそも信玄らの眼鏡にかなうだけの実力がなければ、上杉や佐竹に滅ぼされていたでしょう。
嫡男・盛興が夭折し苦しむ蘆名家
しかし、戦国のパワーバランスも、月日の経過と共に崩れていきます。
元亀4年(1573年)に武田信玄が亡くなり、武田勝頼が後を継承。
上杉謙信も程なくして死去し、上杉家は【御館の乱】というお家騒動を経て上杉景勝が当主になります。
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それだけではなく、もっと悲痛な出来事が起こります。
天正2年(1574年)、蘆名盛氏の嫡男にして第17代当主を担っていた蘆名盛興まで亡くなってしまったのです。
まだ30にならないうちでの死でした。
酒毒(アルコール中毒)が原因とされることもありますが、信憑性の程は不明。
確かに盛興が16歳の頃、蘆名家で酒造禁止令が出されたことはあります。
しかし、彼一人に飲ませないだけであれば、そこまですることもないでしょう。米類の節約と考えたほうが自然かもしれません。
死因は、そこまで追求する必要がないかとは思います。
確かなことは、蘆名家の土台が揺らぎ、盛氏の計画が狂ってしまったこと。
盛氏は向羽黒山城から黒川城に戻るほかありません。
そして約6年後の天正8年(1580年)に蘆名盛氏は死去。
享年60でした。
なお、蘆名盛高と蘆名盛氏の逝去に伴い、俄然、ノリノリになった武将がいます。
映像作品などでは、政宗と対比しておとなしい人物像として描かれがちですが、そんなヤワなタイプではありません。
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文:小檜山青
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