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【狩野永徳】
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天下一の絵師を下克上の牙が襲う
長谷川等伯は、永徳の編み出した「大画様式」を取り入れ、消化。永徳の豪放な画風とは異なる、独自の画風を作り上げます。
それだけではありません。狩野派同様に門人たちを育て、大規模な仕事にも対応できるシステムを整えていたのです。
そんな等伯と、彼が率いる長谷川派が、1590年、ついに牙を剥きました。
秀吉の造営した仙洞御所の対屋を飾る障壁画を、自分たちで請け負おう!と運動したのです。
永徳は驚き、そして焦りました。
かつて義輝を、そして信長を倒した「下剋上」の刃が、自分にも迫ってきたのです。
多忙さから、ただでさえ余裕のなかった永徳は、煩悶に囚われます。もしも相手の台頭を許してしまえば、もしも万が一自分の絵が彼の絵に負ければ……。
等伯たちは、容赦なく狩野派を駆逐にかかるでしょう。「大画様式」も、天下一の地位も、これまでの人生を賭けて築き上げた全てが失われます。
これ以上の悪夢があるでしょうか。
一人の絵師として、何より狩野派の長として、絶対に避けなければなりません。
必死になって等伯らの台頭を抑えるも
永徳は、必死にコネをたどり、何とか割り込みの阻止には成功します。
しかし、それから一ヶ月後――ついに過労から、仕事中に倒れてしまうと、ほどなくして亡くなってしまうのです。
享年48。
振り向かず、ひたすら前だけを見て進む――。
永徳の人生を概観してみると、そんな言葉が浮かんできます。
絵筆を支えに、道を開くための武器としながら、最後まで彼は必死に生きたのです。
そんな彼の生きた証とも言うべき作品は、ほとんどが建物と共に失われ、現在まで残っているのは10点にも満ちません。
ですが、もしその作品の前に立つ機会があったら、思い起こしてください。
筆一本で乱世を必死に生き抜いた。
一人の絵師の人生を。
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文:verde
【参考】
成澤勝嗣『もっと知りたい狩野永徳と京狩野』(→amazon)
安村敏信『もっと知りたい狩野派―探幽と江戸狩野派』(→amazon)
並木誠士『絵画の変 日本美術の絢爛たる開花』(→amazon)
狩野永徳/wikipedia