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【前田利常の生涯】
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「改作法」で財政危機を乗り越える
寛永十八年(1641年)、加賀藩内で大規模な冷害が発生し、年貢を納められない百姓が続出しました。
とはいえ、年貢の取り立てを行う給人も収入がないと困るので、厳しく取り立てにかかります。
中には拷問や虐待をする者もいたようで。
こうした状況を憂いた前田光高は、京都で借財し、百姓に給付することで乗り切ろうとしました。
ただし、根本的な解決にはなりません。
藩内の窮乏が解決しきらないまま、正保二年(1645年)4月に光高が急死。
利常は新たに藩主となった孫の前田綱紀(当時3歳)の後見を幕府から命じられ、再び藩政を主導していくことになります。

前田綱紀/wikipediaより引用
利常は、孫の教育や将来に力を注ぎながら、光高がやり残していた藩の財政改善について「改作法」と呼ばれる法制で解決を図りました。
ざっくりいうと以下の通り。
①藩の蓄え+上方・江戸の商人から借金し、それを百姓に貸与して当面の生活と耕作を促進
②百姓の年貢未納を帳消しにする
③耕作をサボる百姓に追放刑や耳鼻削ぎなどの厳罰を科す
④その後あらためて年貢を徴収
実際は割高な取り立てになっていましたが、藩は投資した分の回収+αの貯蓄ができて万歳だし、百姓は仕事さえすれば生活を保障されて万々歳という感じだったようです。
まあ、拷問されるよりはマシですよね……。
なぜ鼻毛?
一風変わった人物として知られる前田利常には「鼻毛大名」と呼ばれる逸話が残されています。
わざと鼻毛を伸ばし「この鼻毛に百万石がかかっているのだ」と言ったとされる話ですね。
ただし、これは後年の創作。

わざと鼻毛を伸ばしたという逸話でお馴染み前田利常/絵・富永商太
他にも下ネタ系の逸話が多々ありまして。
「自身をアホに見せておいて、幕府に警戒されないようにしている」という類の話です。
なんせ当時の前田家と利常は、幕府に警戒されやすい状況でした。
◆長女・亀鶴姫が津山藩、三女・満姫が広島藩に嫁いでいる≒共謀を疑われやすい
◆四女・富姫が皇族の八条宮智忠親王に嫁いでいる=皇室とも近い
◆当時の仙台藩主・伊達綱宗が後西天皇と母方のいとこ同士であり、大名と皇族の接近を幕府が警戒していた
◆そもそも加賀藩は幕府に継ぐ石高の巨大な藩である
こうした条件が揃っているため、他の藩よりも翻意がないことを示す重要性が高かったのですね。
亀鶴姫は寛永七年(1630年)に亡くなってしまっていたので、幕府にとっては懸念が一つ減っていたはずではあります。
「そんなに警戒するなら百万石もやらなければいいのに」ともツッコミたくなりますが、それができない理由もありました。
前田家の石高を下げると、外様で次に石高の多い薩摩藩の力が相対的に強まる
↓
薩摩藩に次ぐ仙台藩の力も強まる
↓
そもそも江戸幕府は外様大名に多く土地を与えることで溜飲を下げさせている
↓
外様大名たちの石高を下げさせて譜代大名や親藩と接近してしまうと、幕府の要職につけないという点が強調される
↓
幕府の存続に関わる
幕末になると人材不足すぎて外様大名から幕閣に入る人も出てきますが、江戸時代前半ではまず幕藩体制を維持することが最優先。
こうなると、利常が鼻毛をアピールしてまで家を守ろうとした心境もわかる気がしてきます。
また、利常は珍品を買い集めたり職人を招いたことでも知られています。
それも「軍資金を貯めているのでは?」という疑いを防ぎつつ、優れた職人に「加賀に行けば自分の作品を高く買ってもらえるかも」と思わせ、自分から来るように促す意味があったのかもしれません。
保科正之の娘・摩須姫を孫の妻に迎えて
万治元年(1658年)7月、前田利常は、孫で当主の前田綱紀と保科正之の娘・摩須姫を結婚させ、将来への希望をつなぎました。
保科正之は前将軍・徳川家光の異母弟ですね。
それだけでなく、ときの将軍・徳川家綱の叔父として幕閣の柱となっていました。

保科正之/wikipediaより引用
綱紀にも徳川家の血が入っていますが、さらに将軍の叔父に後見を頼める立ち位置にすることで、利常が亡くなった後の体制も盤石にしておきたかったのでしょう。
実際、利常はこの万治元年10月12日(1658年11月7日)に脳卒中で亡くなっているので、孫の結婚が最後の大仕事となりました。
以前から「そろそろワシも危ないかも」と気付いていたのかもしれませんね。
見事に仕事をやりきったといえるでしょう。
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※本記事は、旧記事「前田利常(2014年公開)」の内容を引き継ぎ、新たに構成した最新版です。
参考文献
- 見瀬和雄『利家・利長・利常: 前田家三代の人物像と事跡(22世紀アート)』(22世紀アート, 2020年11月11日, 電子書籍〈Kindle版〉, ASIN: B08NBDKXVB)
出版社: 22世紀アート(作品ページ) |
Amazon: 商品ページ - 木越隆三『隠れた名君 前田利常 ― 加賀百万石の運営手腕(歴史文化ライブラリー 533)』(吉川弘文館, 2021年10月, ISBN-13: 978-4642059336)
出版社: 吉川弘文館(公式商品ページ) |
Amazon: 商品ページ - 『国史大辞典』(吉川弘文館, 全15巻17冊, 1979–1997年刊)
出版社: 吉川弘文館/JapanKnowledge(国史大辞典 公式案内ページ)




