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疾走する馬をよける遊びって……
4月8日にも信長は鷹狩に出かけていますが、ついでにちょっと物騒な遊びをしています。
まず、お馬廻衆とお小姓衆には乗馬させ、お弓衆は徒歩のまま信長の側にいさせました。
そして乗馬した者たちを徒歩の者たちに向けて駆けさせ、徒歩の者はそれを避ける――というものです。
信長も徒歩組の中に混じって馬を避けたといいますが、さすがに乗馬組のほうがある程度忖度したでしょうね。
この遊びの後、鷹狩をしたようです。
4月10日には丹羽長秀・筒井順慶・山城衆が、12日に信忠・信雄・信包・信孝が出陣。
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後者には猪子高就・飯尾尚清が同行し、三木方面に砦を築く際の検使を務めることになりました。
また、信忠の管理下にあった小屋野と池の上の両砦の留守居を、永田正貞・牧村利貞・生駒一吉に命じました。
次の話題は少々不可解なものです。
4月15日、丹波にいる明智光秀が信長に馬を献上しました。
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しかし信長は「その馬をお前に下賜する」と言って、そのまま送り返してしまったというのです。
ただ単にその馬のことが気に入らなかったのか、光秀に「お前は今そんなことをしている場合なのか?」と言いたかったのでしょうか。
多賀谷重経から名馬の献上
4月17日には、常陸の戦国武将・多賀谷重経から、馬が献上されてきました。
星河原毛の平均より大柄な馬で、忍耐強く、三十里(約120km)も往復できるほどの馬だったそうです。
「星河原毛」というのは、地の色がやや黄赤みを帯びた白で、白い斑点がある馬の毛色の一種だとされています。
現代の馬では「河原毛」という毛色がありますが、こちらは全体的に黄褐色~亜麻色で、たてがみや四肢の下部が黒くなっているものを指しますので、少々色が異なるかもしれません。
星河原毛=河原毛+白い斑点であれば、想像しやすいのですが。
毛色のことはともかく、名馬を贈られて信長は大いに喜び、青地与右衛門に試乗させ、彼に岡崎正宗の刀を下賜したそうです。
青地与右衛門は元亀元年(1570年)2月の相撲大会で優勝した力士ですので、この馬が大きさと忍耐強さを兼ね備えていたことは間違いないでしょう。
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「岡崎正宗」というのは、今日一般的に「正宗」と呼ばれる相模の刀工のことです。
名刀の作者として非常に有名ですが、彼の真作とされるものは非常に少なく、このとき与右衛門に与えられたものにも号(刀剣の形状や由来・持ち主などを示すあだ名のようなもの)はなかったようです。
信長は多賀谷には返礼として小袖五枚としじら織り三十反を、馬を引いてきた使者には銀子を贈りました。
ちなみにこの手の刀の名前ですと「正宗」ではなく「村正」を連想される方もおられるかもしれません。
それは「徳川家を呪った」という伝説のある刀ですね。
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※あくまで伝説であって真実ではなさそうです
三木城と伊丹城からの攻撃
4月18日、信長は古池田の砦を前年から守っていた塩河長満に、銀子100枚を贈りました。
使者は森長定(森蘭丸)、副使は中西権兵衛。
金額も相当のものですが、わざわざ使者の名前まで書かれているあたり、長満への評価がうかがえるでしょうか。長満も「過分な贈り物」と感激していたようです。
この日は、敵方の動きもありました。
まず稲葉貞通(稲葉一鉄)の河原口の砦に伊丹城(有岡城)方の部隊が襲撃してきたので、塩河長満・氏家直通が迎撃。3人を討ち取りました。
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また、三木方面の砦にも敵方の部隊が攻撃してきたため、織田信忠の部隊が応戦して10人ほど討ち取ったそうです。
偶然というのもありえなくはないですが、三木城の別所長治と伊丹城の荒木村重が、何かしら示し合わせていたのかもしれません。
このころはまだ三木城と有岡城の包囲戦は続いていましたので。
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4月23日にはまだ丹波にいる光秀が、隼の巣立ち前のヒナを献上してきた……そうですが、これに関する詳しい記述はありません。
何もないというのも、いろいろ想像できて余計に気にかかりますね。
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信長公記をはじめから読みたい方は→◆信長公記
長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon)
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon)
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon)
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon)
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon)
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon)