左から明智光秀・織田信長・竹中半兵衛/wikipediaより引用

織田家 信長公記

光秀の丹波攻略が佳境に入るそのころ天才軍師亡くなる~信長公記182話

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信長公記182話
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半兵衛の死

天正七年(1579年)6月22日、播磨の陣中で竹中重治(竹中半兵衛)が病死したという知らせが届きました。

亡くなったのは13日だったようです。

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これを受け、信長は重治の後任として、御馬廻衆の中から半兵衛の弟・竹中重隆(重矩)を派遣しています。

重隆は、かの有名な【稲葉山城乗っ取り事件】の際にも登場した重要人物人です。

というのも同事件は、半兵衛が「弟を見舞う」という名目で城に入り、そのまま占拠したというエピソードですが、その弟とは竹中重隆だったのです。

当時の人々から「竹中兄弟なら稲葉山城乗っ取りのような計略も成し遂げたに違いない」と思われるような、頭脳明晰な二人だったのでしょう。

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ただし、巷でよく言われるような「軍師」という役職は無く、半兵衛についてはフィクションなどでの水増しもある気が……。

 


名刀・鉋切とは

6月24日、信長は天正四年に丹羽長秀に下賜していた【珠光茶碗】を召し上げ、代わりに長船長光の【鉋切(かんなぎり)】を与えました。

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日本刀は「◯◯を斬ったから◯◯切」という銘の付け方をすることがよくありますが、これもその一つ。

そのエピソードとは……。

昔、六角氏の家臣だった某武士が、大工と伊吹山の近くを歩いていた所、大工が何かに憑かれて武士に襲いかかってきた。

武士が退治しようと斬りかかる。

大工は鉋で刀を受けようとする。

と、切れ味鋭いこの刀は鉋ごと大工を真っ二つにした。

そんな経緯から「鉋切」と呼ぶようになったようです。

伊吹山といえば、ヤマトタケルが伊吹山の神と戦って敗れ、下山の後に亡くなったという伝説がある場所ですね。

神や物の怪の存在を信じるかどうかは人それぞれですが、なんとなく「そんなことがあってもおかしくないな」と思ってしまいますね。

 


長篠勝利の功労者・信昌も

半兵衛の死から間もない7月3日。今度は伊丹在陣中の武藤舜秀が病死しました。

7月3日とは、訃報が安土に届いた日ではなく、亡くなった日のようです。

つい半月前に信長が鳥(はいたか・このり)を送った相手の一人ですが、その頃はまだ病気ではなかったのか、陣中見舞いと病気見舞いを兼ねていたのか、信長に病状を知らせていなかったか……その辺の詳細は不明です。

武藤舜秀は、知名度こそ高くはないながら、信長に厚く信頼されており、『甫庵信長記』の著者・小瀬甫庵も「信長が高く評価したうちの一人」と記しています。

織田政権にとっても痛手だったことでしょう。

7月6日と7日には、安土山で相撲が行われています。

詳しい記述がないので、さほど大きな会ではなかったようですね。

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再び贈り物の話になりますが、相手は織田家中だけとは限りません。

7月16日には徳川家康が馬を献上してきました。

使者は徳川四天王の一人として知られる酒井忠次で、このとき家康とは別に馬を献上したのが奥平信昌。長篠の戦いで織田徳川連合軍が武田軍に勝利できた功労者の一人ですね。

長篠城は、馬産地で有名な信濃に近いので、優秀な馬を数多く保有していた可能性もありそうです。

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最後に少々物騒な話を一つ。

7月19日、信長は嫡男・信忠に命じ、岐阜で家臣の井副将元を成敗させています。

執行は織田与八郎(柘植与一)・前田玄以・赤座永兼の三名。

将元は妻子をいつまでも安土に移さず、本人もぶらついていた他、文書偽造などもしていたための粛清でした。

職務怠慢だけならともかく、犯罪までやっていては擁護はできませんね。

当時でしたら、成敗は妥当といったところでしょう。


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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon

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