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丹波の抵抗勢力・波多野氏
この節にはもう一つ、信長が家臣たちを出陣させた件が載っています。
4月10日、滝川一益・明智光秀・丹羽長秀を丹波へ向かわせました。
この頃、丹波の大名である波多野氏が織田家に反抗しており、放置しておけない状況にあったためです。
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一益らは、波多野氏の家臣・荒木氏綱の園部城を包囲し、水を断って降伏を促します。
氏綱はこれまでにも粘り強く抵抗していたため、力攻めではなく水断ちを選んだのでしょう。
どれだけ根性のある将兵でも、水がなければひとたまりもありません。氏綱は間もなく降参したため、光秀の軍を入れて駐留させました。
26日には一益・光秀・長秀が揃って京都に帰還しています。
彼らは冒頭の大坂出陣にも参加していますので、なかなかの忙しさです。
ちなみに、次回もこの三人は一緒に出陣しています。その相手とは……。
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信長公記をはじめから読みたい方は→◆信長公記
長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
大石 泰史 (編集)『全国国衆ガイド 戦国の‘‘地元の殿様’’たち (星海社新書)』(→amazon)
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon)
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon)
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon)
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon)
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon)
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon)