佐竹義重

画像はイメージです

諸家

鬼義重こと佐竹義重の生涯! 外交上手の名将は政宗包囲網に成功するも

日本で恐ろしい者の例えといえば「鬼」。

『鬼滅の刃』でもお馴染みですが、戦国時代にもこの異名を持つ武将は多く存在しました。

「井伊の赤鬼」こと井伊直政

井伊直政
井伊直政(徳川四天王)武田赤備えを継ぎ「赤鬼」と恐れられた42年の生涯

続きを見る

「鬼柴田」こと柴田勝家

柴田勝家
当初は信長と敵対していた柴田勝家 秀吉に敗れるまでの生涯62年まとめ

続きを見る

「鬼武蔵」こと森長可(もりながよし・森蘭丸のお兄さん)。

森長可
鬼武蔵と呼ばれた信長家臣・森長可(蘭丸の兄)は戦国無双!愛槍は人間無骨

続きを見る

などなど鬼オールスターズといってもいいほどで、今回の主役は武勇だけでなく外交戦略にも長けた万能選手でした。

天文十六年(1547年)2月16日に「鬼義重」こと佐竹義重が誕生。

黒田官兵衛と同世代で豊臣秀吉ともちょくちょく関わっていた人です。

しかも佐竹氏は平安時代からの名家(ご先祖様が源義光で武田信玄と同じ)で、ずっと常陸(茨城県)に基盤を置いていた由緒正しいお家。

武田信玄
武田信玄 史実の人物像に迫る!父を追放し三方ヶ原後に没した53年の生涯

続きを見る

北条氏との戦で一度に七人を切り伏せたという逸話から鬼義重と言われたのですが、武勇だけでなく頭脳戦も得意な方でした。

 

関東の雄・後北条氏とぶつかる一方で

義重は永禄5年(1562年)、15歳で家督を継いでいます。

父・佐竹義昭が健在の間は実権を握っていたとは言いがたいものの、上杉謙信と結んで小田氏や武茂氏などの関東諸将の城を奪っています。

最も負けた戦国武将・小田氏治のフシギな魅力~強敵に破れても復活だ!

続きを見る

やはり戦や外交の才能は元々持っていたのでしょう。

やがて関東の大大名・後北条氏ともぶつかることになります。

北条氏康
北条氏康が関東制覇へ!謙信や信玄と渡りあった57年の生涯【戦国北条五代記】

続きを見る

が、その度に関東や東北の大名と連携するなど、臨機応変に対処。

関東・東北の大名としては比較的早く豊臣秀吉にも接近しており、足元だけでなく上方と連絡を取ることの重要性にも気付いています。

上方対策は、もっと北(山形)にいた最上義光なども上手でしたね。

 

北には政宗、南には氏政で絶体絶命

時代が進み、佐竹氏は二つの困難に直面します。

北からは伊達政宗、南からは北条氏政。そんな野心家たちのサンドイッチ状態になってしまったのです。

伊達政宗
伊達政宗 史実の人物像に迫る!ド派手な逸話も検証する生涯70年まとめ

続きを見る

北条氏政
北条氏政はなぜ最期まで秀吉に反抗した?その生涯53年【戦国北条五代記】

続きを見る

普通の人ならここで泣き言をほざくところですが、鬼と言われるほどの人ですからそんなことはありません。

まず、政宗に対しては東北の事情を鑑みて、伊達家に反感を抱く大名へ連絡を取ります。

すると出るわ出るわ不満の嵐。

まあこれは政宗がとある城で撫で斬り(皆殺し※ただし実際は記録の数ほどではないとも)をやってしまったからで、彼にしても【親戚だらけで生ヌル~い奥州の小競り合いにケリをつける!】という目的があったとも。

しかし東北のほとんどの大名に、傍若無人な政宗の恐ろしさだけが印象付けられ、伊達家への反感が強まっていきました。

※続きは【次のページへ】をclick!

次のページへ >



-諸家
-