佐竹義重

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戦国諸家

佐竹義重の生涯|信玄と同じ祖先を持つ戦国大名は「鬼義重」と呼ばれ

2025/02/15

日本で恐ろしい者の例えといえば「鬼」。

昔話や漫画でもお馴染みの存在ですが、戦国時代にもこの異名を持つ武将は多くいました。

例えば「井伊の赤鬼」こと井伊直政や「鬼柴田」こと柴田勝家、あるいは織田家には「鬼武蔵」と称された森長可(もりながよし・森蘭丸の兄)などもおりますね。

こうなると一大名に一人は“鬼あだ名”を持つ武将がいる程で、今回、注目の佐竹義重もまた「鬼義重」と呼ばれた武将です。

武勇だけでなく外交戦略にも長けた万能選手であり、天文十六年(1547年)2月16日に誕生。

黒田官兵衛と同世代で豊臣秀吉ともちょくちょく関わっていた人です。

それがなぜ「鬼義重」などと称されるようになったのか?

一体どんな武将だったのか?

佐竹義重の生涯を振り返ってみましょう。

📚 戦国時代|武将・合戦・FAQをまとめた総合ガイド

 

関東の雄・後北条氏とぶつかる一方で

まず始めに確認しておきたいのが佐竹氏という一族です。

名前からパッとはわかりませんが、実はご先祖様が武田信玄と同じ源義光であり、

源義光像(摂津国寿命寺蔵)/wikipediaより引用

長らく常陸(茨城県)に基盤を置いていた由緒正しいお家。

源義光→源義業→佐竹昌義……………………佐竹義重

源義光→源義清→源清光→武田信義……………………武田信玄

鬼義重の異名については、北条氏との戦で一度に七人を切り伏せたという剛毅な逸話から生まれていますが、武勇だけでなく頭脳戦も得意な方でした。

永禄5年(1562年)に15歳で家督を相続。

父の佐竹義昭が健在の間は、実権を握っていたとは言いがたいものの、上杉謙信と結んで小田氏や武茂氏など関東諸将の城を奪っています。

やはり戦や外交の才能には恵まれていたのでしょう。関東でそうなれば、やがて無視できない存在とぶつかります。

大大名の北条氏です。

北条氏康/wikipediaより引用

幾度となく北条氏とぶつかっている佐竹氏ですが、その度に関東や東北の諸大名と連携するなど、臨機応変に対処。

東日本の大名としては比較的早く豊臣秀吉にも接近しており、足元だけでなく上方と連絡を取ることの重要性にも気付いています。

もっと北(山形)にいた最上義光なども上方対策は上手でしたね。

 


北には政宗、南には氏政で絶体絶命

時代が進み、佐竹氏は二つの困難に直面します。

北からは伊達政宗、南からは北条氏政。

そんな野心家たちのサンドイッチ状態になってしまったのです。

伊達政宗/wikipediaより引用

普通の人ならここで泣き言をほざくところですが、鬼と言われるほどの人ですからそんなことはありません。

まず、政宗に対しては東北の事情を鑑みて、伊達家に反感を抱く大名へ連絡を取ります。

すると出るわ出るわ不満の嵐。

政宗が小手森城で撫で斬り(皆殺し※ただし実際は記録の数ほどではないとも)をやってしまったからで、彼にしても【親戚だらけで生ヌルい奥州の小競り合いにケリをつける!】という目的があったともされます。

しかし東北のほとんどの大名に、傍若無人な政宗の恐ろしさだけが印象付けられ、伊達家への反感が強まっていきました。

 

あと一歩のところまで伊達家を追い込むも……

この状況に目をつけた佐竹義重は、対伊達家を掲げた大同盟を組んで政宗と対峙し、合戦となります。

【人取橋の戦い(1585年)】です。

結論から申しますと、この同盟はうまくいきませんでした。

義重が自国の外へ目を向けている間に、足元の常陸で反乱を企んだ者がいた……と言われています。

よほど恥ずかしい裏事情でもあったのか。記録がハッキリ残っていないので断言できませんがとりあえずこの説で。

さすがの鬼義重も、自宅が火種になってしまっては退かざるを得ません。

結局、戦ではあと一歩というところまで伊達家を追い詰めたものの、この撤退により形式上の勝者は政宗になってしまいます。

政宗の片腕・伊達成実の踏ん張りが戦線を保ったんですね。

伊達成実/wikipediaより引用

後年、徳川家光がこのときの話を所望した際、政宗が上機嫌で喋りまくったのに対して義重は終始しかめっ面だったという逸話がありますので、よほど悔しかったのでしょう。

まさに「相撲に勝って勝負に負けた」状態ですからむべなるかなというところですが。

 

今度は自分があわや!のところで小田原征伐始まる

その後も嬉しくないサンドイッチ状態はしばらく続き、あわや佐竹も滅亡か――というところで佐竹義重の根回しが効いてきます。

豊臣秀吉が小田原征伐にやってきたのです。

豊臣秀吉/wikipediaより引用

これを聞きつけた義重は、嫡男の佐竹義宣を連れてさっそく攻め手に参加。

大きな戦功を挙げることこそありませんでしたが、「よしよし、その殊勝な態度はよいぞ。領地を増やして進ぜよう」ということで大幅に加増してもらうことができました。

関東・東北の大名の半数が減封や移封・改易になったことからすると、かなりの勝ち組といえます。

ちなみに遅参した政宗は減封の上に移封でした。

おそらく義重は「ザマミロwwwwww」と思っていたでしょうね。

後でひっくり返されるんですけど……。

 


息子の義宣は外交センスゼロ!?

義重は、一応カタチとしては小田原征伐の前に隠居し、義宣へ家督を譲渡。

しばらくは実権を握っていました。

【文禄の役】(朝鮮の役・前半戦)では義宣が兵を率いていますので、名実共に隠居の身になったのは小田原征伐から文禄の役の間のようですね。

しかし縁側で日向ぼっこするような楽隠居はできません。

なぜかというと、息子の義宣には父親の外交センスがちっとも遺伝しなかったからです。

佐竹義宣/wikipediaより引用

顕著に現れたのは、関ヶ原の戦いのときでした。

家康につくか三成につくか。あるいは一族が分かれてどちらが勝っても家名を残せるようにするか。

多くの大名が工夫する中で、義宣はどっちつかずな態度をとり続けました。

律儀な性格だったため、秀吉への恩は捨てがたく家康の権勢にも抗いがたいと思っていたのかもしれません。

さすがにトーチャン義重も見るに見かねて

「息子よハッキリせんかい。たぶん家康のほうがいいぞ」

と口を出します。

しかし、親子の意見が一致せず、外から佐竹氏全体を見ると「お前ら何がしたいんだ」といわれても文句の言えない状態になってしまいました。

結果は、わずか一日で家康が勝ってしまったものだからさぁ大変……。

 

54万石→20万石への大減封

佐竹義宣は大急ぎで狸親子へお詫びと戦勝のお祝いのため使者を出します。

隠居の身ながら竹義重も「不肖の息子の気が利きませんで申し訳ない! 改易だけはご勘弁を!!」と嘆願して、どうにか家名を残すことには成功します。

しかし、全くお咎めナシというわけにもいきません。

佐竹氏は54万石から20万石という大減封の上、常陸国(茨城県)から出羽国(秋田県)へと移封の憂き目にあってしまいました。

さらに後の【大坂の陣】では今福へ突撃させられ、あまりの激戦ぶりに家老が討ち死にするという散々な目にも遭ってしまいます。

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それでも現代まで血筋が続いているのですから、最終的に悪くない結果ではあるんですけどね。

 


秋田に美人を大量に連れてった!?

秋田県知事・佐竹敬久(のりひさ)氏がその末裔の一人で「佐竹のお殿様」と呼ばれることもあるなど、今でも名家という扱いをされていますね。

最近はあの世界最強の大統領に秋田犬を贈り、お返しにサイベリアン(シベリア原産の猫)をもらったそうで。

海外でも戦国武将の末裔って有名なんでしょうか。

ちなみに敬久氏は愛猫家だそうで、贈られたサイベリアンのミール君以外に複数飼っていらっしゃるとか。

しかも、たまに動画をアップしていて、猫好きの方は見てみるといいかもしれません。実にうまやらしい!

義重自身は動物好きだったかどうかわかりません。

常陸から移封される際国内の美人をまとめて連れて行った、彼女らが秋田美人の源流だ――なんて話もありますね。

ちょっと強引な説のような気もしますが、佐竹義重が女好きだったのはあるかもしれません。

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【参考】
国史大辞典
峰岸純夫/片桐昭彦『戦国武将合戦事典(吉川弘文館)』(→amazon
佐竹義重/wikipedia
佐竹義宣/wikipedia

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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