古田御前

絵・小久ヒロ

戦国諸家

古田御前(種子島時尭の夫人)が三成と秀吉「三献茶エピソード」の元祖だった

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島津家の強さを支えた種子島久時の鉄砲術

久時15歳の時、島津義久に従って狩りに行った際、誰も仕留めようとしなかった大イノシシを倒し、褒美に鎧を贈られております。

その後も島津家の家臣として活躍し、文禄・慶長の役にも従軍。

久時は鉄砲術に優れ、島津義弘をはじめとした同家の軍が朝鮮半島で無類の強さを誇ったのは、そのノウハウによるところも大きいと言われております。

寒さ厳しい場所での稽古が役立ったのでしょう。

一方、古田御前は天正十七年(1589年)、古田の地で没しております。

種子島家の御拝塔墓地にある古田御前の墓には「是人於仏道決定無有疑」と、わざわざ仏教徒アピールの刻字がなされていることからキリシタンであったことが推測。

 

現在、御前の屋敷があったとされる古田小学校の校庭には、賢母遺蹟碑と母子像が建立。

今も種子島を見守っています。


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文/馬渕まり(忍者とメガネをこよなく愛する歴女医)
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【参考】
私たちの種子島<歴史編> 西之表市教育委員会 西之表市文化財保護審議会 編
写真で見る種子島の歴史 鮫島安豊 たましだ舎
種子島時堯/wikipedia
種子島久時/wikipedia

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編集管理人・五十嵐利休。 1998年に大学卒業後、都内の出版社に勤務。 書籍や雑誌の編集者を務め、2013年に新聞記者の友人と武将ジャパンを立ち上げた。 月間の最高アクセス数は960万PV超。 現在は企業のオウンドメディア運用やコンサルティング業務もこなしている。

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