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信長公記 皇室・公家

信長の徳政令 皇室だけでなく借金チャラで公家も救おう~信長公記119話

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村井貞勝は「尊敬できる異教徒の老人」
丹羽長秀は「信長の主要な将軍二人のうちの一人」

と書き記しています。

異国人であるフロイスから見ても、この二人は好ましく、かつ有能な人物だと映っていたのでしょう。

ルイス・フロイスは信長や戦国をどう描いた?『日本史』を記した外国人宣教師

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債権者は素直に応じた?

徳政令というとだいたいトラブルが起きるものですが、このときは特に大きな揉め事はなかったようです。

織田家の軍事力を恐れたのでしょうか。『信長公記』からそういった様子を窺うことはできません。

おそらくは、債権を持っていた側も信長の施策(関所撤廃や街道整備など)によって流通経済が上向き、別口の利益が増えていたのではないでしょうか。となると、信長と敵対してまで公家領の債権を主張する意味は薄くなります。

なお、上洛以降、京都の政治を任せていたのは村井貞勝と丹羽長秀だけではありません。

結論から申しますと、上洛から段階に応じて

というメンバーが名を連ねておりました。

彼らは京都だけでなく畿内の支配が及ぶエリアで治安に当たるほか禁制の発布や税金徴収などを請け負っていたようです。

織田信長の上洛によって戦国史は軍事外交ばかりが目立ちますが、こうした地道な作業あってこそなんですよね。

特に、蜂屋頼隆や坂井政尚、中川重政などは派手な合戦エピソードもなく忘れ去られがちながら、織田政権にあっては重要なポジションにいたことがわかります。

また、大河ドラマ『麒麟がくる』によって信長以前の京都にも注目が集まるようになりました。

足利義輝だけでなく細川晴元三好長慶など。信長公記ではほとんど出番がありませんが、非常に興味深い権力争いであり、機会があれば触れてみたいと思います。

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon
『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon
『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon
『信長と消えた家臣たち』(→amazon
『織田信長家臣人名辞典』(→amazon
『戦国武将合戦事典』(→amazon

 



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