望月千代女

武田・上杉家

武田と徳川で暗躍する望月千代女は実在したか?どうする家康古川琴音

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
望月千代女
をクリックお願いします。

 

①「千代」という巫女が信濃にいたらしい

②武田信玄の甥・望月盛時の後妻・千代が、甲斐信濃二国の巫女を支配したらしい

③しかし、信玄の甥の妻女が、巫女のようなことをするだろうか? 何か裏があるのでは?

④きっと巫女のふりをした忍者だったんだ!

発想がかなり飛躍していますよね。

どうにも想像力を働かせすぎて、史実の検証を踏まえておらず、それゆえ現在では望月千代女を忍者扱いすることは否定されていて、実在したかどうかも怪しいとされます。

史実で望月千代女は認められていない。

とはいえ、民衆のロマンを止めることもできない。

女忍者を「くノ一」と呼び、お色気をことさら強調することは、昭和になってからの山田風太郎忍法帖ブームが転換点とされ、そうしたブームへの便乗は確かにありました。

そこで、フィクションの範疇であれば問題ない、しかし史実というのはやめよう――という落とし所が探られてきました。

例えば、望月千代女が登場した作品として、『柳生一族の陰謀』や『赤穂城断絶』に続く「東映大型時代劇」第3弾として制作された『真田幸村の謀略』があります。

真田十勇士が徳川家康の暗殺計画を繰り広げるという、なかなか発想の飛躍した作品です。

こうした作品に登場するのは、全く問題がありません。

あるいは実在しない人物が登場する『Fate/Grand Order(FGO)』に出ることも、特に問題はないでしょう。

しかし大河ドラマへ登場となると、どうなのか?

 


フィクションは自由なのか?

大河ドラマ『どうする家康』で古川琴音さんが演じる千代。

「乱世を見つめたミステリアスな巫女」なるキャッチコピーのオリジナルキャラクターであり、確かにこうした人物は大河にはつきものです。

5作目となる1967年の大河ドラマ『三姉妹』は、幕末から明治にかけて生き抜いた架空の三姉妹が主人公であり、今なら「オリキャラ三姉妹」と呼ばれるでしょう。

こうした架空の人物を主役とした大河は、24作目の1986年大河ドラマ『いのち』が最後となります。

大河ドラマは本来自由度が高く、架空のキャラクターが度々登場してきたものです。

しかし、59作目となる2020年大河ドラマ『麒麟がくる』の女医である駒は、「ファンタジーだ」という不可解な批判が浴びせられました。

61作の2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、暗殺者である善児とトウが話題をさらいました。

オリジナルキャタクターには、重要な役割もあります。

あえて架空の人物を出すことにより「これはあくまでフィクションである」と視聴者に認識させる――。

大河ドラマは、日本のドラマにおいて初めて時代考証をつけた画期的な作品です。

信頼性は高く、毎年のように関連書籍が大量に発売され、ドラマ化を契機に新史料が発見されることもあるほど。

いわば史実に寄り添っていると認識されるジャンルであり、歴史小説で言えば司馬遼太郎あたりが近いでしょうか。

それでもフィクションには違いなく、各作品によって独自の解釈はありますが、オリジナルキャラクターがいるとそうとわかりやすくなる。

一方で、くノ一やら何やらが出てくるジャンルとなると、山田風太郎あたりが代表でしょう。

望月千代女が登場する『FGO』にしても、原作が山田風太郎である『魔界転生』の漫画版から発想を得ているとされます。

山田風太郎のような、忍術やら妖術やらが出てきて、イマジネーション溢れるジャンルは「伝奇」とされます。

司馬遼太郎も初期は『梟の城』のような伝奇ジャンルを書いておりましたが後に減少。

こうして、歴史が舞台のフィクションは、一定の歴史的な正確さを求める作品なのか、あるいはイマジネーションと面白さを重視するのか、いずれかに別れるという暗黙の了解がありました。

そうしないと視聴者や読者も混乱してしまうため、制作サイドにおける良心が求められたと言えるかもしれません。

ところが『どうする家康』は、この境界線を破壊してしまった懸念があります。

言うまでもなく、望月千代女がモデルと思しき千代の存在です。

民放時代劇であれば、さして問題にはならないでしょう。

NHK作品でも、大河枠ではなく、男女逆転SFといえる『大奥』のように、ドラマ10や別枠であればそこまで懸念とされない。

しかし大河ドラマは、NHKの看板ドラマです。

かつて、ドラマの放送内容を史実だと信じてしまい、事実誤認をした視聴者のふるまいに困惑するゆかりの地もありました。

代表的な例が25作目の1987年大河ドラマ『独眼竜政宗』でしょう。

若き日の渡辺謙さんが主役を演じ、今なお名作として支持される作品ですが、最上家に関する描写については史実誤認を著しく進めたとして、問題視されたのです。

 


歴史劇の良識がないのは問題

そうした誤解を極力減らすためか。

以降の大河ドラマは史実の扱いを慎重にしてきました。

しかし、2010年代半ば以降は、どうやら制作側の良識に任されるようになり、タガが外れる傾向も散見されます。

そしてその一定ラインを越えてしまったのが『どうする家康』かもしれません。

いくらフィクションだからといって、大河ドラマで歴史上の人物を好き勝手に扱ってよいものではないはず。

架空のキャラクターを彩りとして出すことは手法としてありえますが、当時の人物として相応しいか、といった時代考証の制限は受けます。

『どうする家康』の千代は?

というと、厳密さに欠け、かなり雑な設定に思えて仕方ありません。

信濃の国衆であった望月氏の女性が、なぜ武田信玄の側近でもかなり上位であるかのように目立っていたのか。

時に、重臣の山県昌景穴山信君らと同等の存在感があり、他の武田家家臣と比べてもより重要であるかのように認識されてもおかしくない登場の仕方や頻度でした。

あれだけ目立っていれば、当然、敵だって警戒するでしょう。

それなのに、汚れ一つ付いていない巫女装束で徳川領内を歩き、瀬名と堂々の会談まで実施。

しかも、瀬名の目が綺麗だからという曖昧な理由でほだされ、自らの身上話を平気で答えてしまうという、あまりに脇が甘くて、とてもじゃないけどくノ一設定を満たしていない存在でした。

往年のハリウッド映画や格闘ゲームでは、やたらと目立つ忍者が登場したものです。

「忍んでない忍者」と揶揄され、『ニンジャスレイヤー』ではパロディネタにされたほど。

『どうする家康』の千代は、まさしくこの「忍んでない忍者」です。

動きにくそうな巫女装束で、アクションにも無理があり、リアリティはゼロ。

しかも、ゲームで知名度の上がった望月千代女を連想させる設定のため、史実とフィクションを混同させないという最低限の良識を、よりにもよって大河ドラマが崩していることにもなります。

せめて千代が『鎌倉殿の13人』の善児ぐらい話題沸騰となれば、オリジナルキャラクターという認識も広まったでしょう。

現実はそうでもないように思えます。

『どうする家康』の千代には、大河ドラマというブランドの信頼性を低下させかねない危険性があります。

なぜ、もっと慎重な作劇ができなかったのか。そう惜しまれるばかりです。

📚 戦国時代|武将の生涯・合戦・FAQなどを網羅した総合ガイドを読む


あわせて読みたい関連記事

武田信玄の肖像画
武田信玄の生涯|最強の戦国大名と名高い53年の事績を史実で振り返る

続きを見る

武田信虎
武田信虎の生涯|信玄に国外追放された実父は毒親に非ず?81年の天寿を全う

続きを見る

武田勝頼の肖像画/父・武田信玄の跡を継いで戦国の荒波を生き、最後は悲運の滅亡に追い込まれた武田家最後の当主
武田勝頼の生涯|信玄を父に持つ悲運の後継者 侮れないその事績とは?

続きを見る

真田幸隆(真田幸綱)
真田幸綱(幸隆)の生涯|信玄の快進撃を陰で支え 真田氏の礎を築いた昌幸父

続きを見る

天正壬午の乱
天正壬午の乱|滅亡後の武田領を巡り 徳川・上杉・北条・真田が激突した大戦乱

続きを見る

【参考文献】
大石泰史『全国国衆ガイド』(→amazon
『武田氏家臣団人名辞典』(→amazon
歴史群像編集部『戦国時代人物事典』(→amazon

TOPページへ


 

リンクフリー 本サイトはリンク報告不要で大歓迎です。
記事やイラストの無断転載は固くお断りいたします。
引用・転載をご希望の際は お問い合わせ よりご一報ください。
  • この記事を書いた人
  • 最新記事

小檜山青

東洋史専攻。歴史系のドラマ、映画は昔から好きで鑑賞本数が多い方と自認。最近は華流ドラマが気になっており、武侠ものが特に好き。 コーエーテクモゲース『信長の野望 大志』カレンダー、『三国志14』アートブック、2024年度版『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『覆流年』紹介記事執筆等。

-武田・上杉家
-