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【水野忠重】
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豊臣政権下
小牧・長久手の戦いを経て、徳川家康が秀吉に降ると、水野忠重もその流れに従います。
天正十三年(1585年)9月に秀吉の直臣となり、その後は九州征伐にも従軍。
血縁からしても家康に近い存在だけに、秀吉もできるだけ取り囲んでおきたかったのでしょう。

豊臣秀吉/wikipediaより引用
忠重は豊臣姓を与えられるだけでなく、天正十五年(1587年)には従五位下和泉守に叙任されたり、天正十八年(1590年)の小田原征伐の後は伊勢神戸4万石となるなど、なかなかの高待遇を受けています。
まさに秀吉お得意の「大大名の親族離間策」ですね。
しかし、これにより忠重と徳川家の関係が悪化したような気配は感じられません。
もともと水野忠重は、松平時代の家康のもとから信長の所へ行ったり来たりという感じですので、大局的に家康の味方にいれば問題ないという存在だったのかもしれませんね。
粛清された水野信元からして織田家の家臣だったわけですし。
秀吉としては、首尾よく引き抜いた石川数正のようにはいかなかったわけですな。
文禄・慶長の役
天正二十年(1592年)に始まった【文禄の役】。
水野忠重は渡海せず、名護屋城に滞陣していました。

ドローンで空撮した名護屋城の本丸と遊撃丸
家康も含め、渡海しなかった大名は名護屋城で外交に励んでいたそうですので、忠重もあちこちへ出入りしたかもしれません。
そして、秀吉が亡くなる前あたりから、何か流れを感じ取ったのでしょう。忠重は再び家康に接近していたようです。
慶長三年(1598年)=関ヶ原の二年前に「三成に与する者たちが伏見の徳川邸を襲撃しようとしている」という噂が立った際、忠重が夜警の役を買って出たという話があります。
その後、家康が忠重に「そろそろ息子の水野勝成を許してやってはどうか」と話していたそうで。
実際に翌慶長四年(1599年)、親子は和解します。
出典が『名将言行録』ですのでそのまんま受け取ることはできませんが、実際、このタイミングで家康からの口利きがなければマズイことになっていたでしょう。
なぜなら慶長五年(1600年)、関ヶ原の戦い直線に、忠重は殺されてしまうのです。
天下分け目の戦の前に、家康の叔父が殺されるなどあまりに劇的な話ですが、世間ではさほど注目されていませんよね。
いったい何があったのか?
返り討ちにした堀尾吉晴の武力とは
このとき水野忠重は、堀尾吉晴を池鯉鮒(ちりゅう)で饗応していました。
吉晴は家康に、東軍への従軍を申し出ていました。
しかし家康から「息子の忠氏だけでいい」と言われて、帰国する途中だったのです。

堀尾吉晴/wikipediaより引用
すると宴の最中に加賀野井城主である加賀井重望と忠重が口論に発展。
激昂した重望が忠重を殺害してしまいました。
一説に「重望は、忠重に西軍につくよう誘ったが断られたため殺害した」とも言われてますが、だからっていきなり刃傷沙汰に及ぶとは躊躇がなさすぎてまるで鎌倉武士です。
しかも重望は、その後、吉晴にも襲いかかっています。
当時、重望は30代、吉晴も忠重も還暦ぐらいですから、老将は二人とも殺された……と思いきや、吉晴は見事返り討ちにしているのですから驚きですよね。
これは家康に従軍を願い出たのもうなずけるというかなんというか……。
そんなわけで水野忠重の子である水野勝成は、父親の敵討ちや訴訟などはできませんでしたが、家康によって領地の継承は許されています。
もしもここまでの間に忠重父子が和解していなかったら、ちょっと面倒なことになっていたかもしれません。
勝成は父と和解する前から家康の家臣にはなっていたので、無嗣断絶にはならなかったと思われますけれども。
ちなみに勝成は、その後、福山藩主となり地元の名君として今なお称えられています。
当主になってからは心を入れ替え、善政に励んだのですね。
勝成の生涯については以下の関連記事をご覧いただければと存じます。
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長月 七紀・記
【参考】
峰岸純夫/片桐 昭彦『戦国武将合戦事典(吉川弘文館)』(→amazon)
『[新訳]名将言行録 大乱世を生き抜いた192人のサムライたち』(→amazon)
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon)
国史大辞典
ほか