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【秀吉は人たらしなのか?】
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秀吉の「人たらし」ぶりは時代が決める
結局、秀吉の人たらしぶりとは、何なのか?
現代風にわかりやすくいえば、コミュニケーション能力が高いということでしょう。
過剰に性格に結びつけて考えるのではなく、彼のような低い身分の人間であれば、そうしなければ取り立ててもらえなかった。
コミュ力に加えて、【金ヶ崎の退き口】という「ここぞ!」の場面でやる気と実力をアピールしたからこそ、登り詰めることができたのです。
リスクを取り、偶然と幸運に恵まれた。同時に実力もあった。
コミュ力だって大いに評価されるべき実力です。
晩年の秀吉は、冷徹になったとされます。
前述の通り、彼自身が変わってしまったのか、それとも本来の地が出たのかは不明。
『真田丸』の場合は、秀吉の健康悪化による衰えに重きが置かれました。
そのせいで後継者の秀次を死なせてしまったことは痛恨事です。強大なカリスマ性を有する権力者には、なかなか代わりがなく、ジワジワと崩壊に至っていく……そんな様子がドラマで丁寧に描かれていました。
天下を維持できた家康と、そうならなかった秀吉。
その違いを考えるとなれば“教育の差”もあるでしょう。
家康の愛読書は『貞観政要』です。唐の基礎固めをした中国史上最高の名君について学び、政権の基礎固めをするにはどうすればいいか、若い頃から考える時間があった。
思想も重要です。
隣国の明では、朱子学を民衆にまで浸透させることを重視しています。
士大夫と呼ばれるエリート階級は科挙のために儒教を学び、庶民にまで思想を教え込むことで、秩序を保とうとしました。
こうした思想史からの見方は『麒麟がくる』のテーマでもあります。
仁政の世に姿を見せる麒麟とは儒教思想の象徴であり、一方あのときの秀吉は劇中で『徒然草』を読み、教養を身につけようとするシーンが描かれました。
光秀が『論語』はじめ漢籍を引用する一方で、秀吉は『徒然草』というところに重要な対比が見られたのです。
近年の描写は、英雄を極端にキャラ付けして単純化しない、そんな流れに沿っています。
しかし今年の大河ドラマ『どうする家康』はどうもおかしい。
豊臣秀吉は徹底して「下劣」「サイコパス」というキャラで描かれてきました。
信長の妹であるお市が輿入れするとなれば、さっさと性的関係を結んでおけばよかったと口走る。
敗走する武田勢を見て、虫けらのようだと笑い飛ばす。
信長の死を望むようなことを平然と口走る。
◆<どうする家康>ラスト5分のムロツヨシ劇場 クズでサイコパスな秀吉 家康脅すも、笑顔で自身の正当性主張(→link)
◆<どうする家康>秀吉、信長の死に泣き声上げるも涙出ず? 急に真顔→不敵な笑み サイコパス発動で「中国大返し」へ!(→link)
日本のメディアで使われる「サイコパス」という言葉は、あまり正確ではなく、「ヤバい奴w」程度のニュアンスに思えます。
本来のサイコパスは表面上は魅力的だからこそ怖い。
平気で周囲を騙しながら、平然と恐ろしい行動に走る。
そういう意味では『麒麟がくる』の秀吉はサイコパスだと思えますが、『どうする家康』の秀吉は単なる「ゲス」で片付けられるでしょう。
二面性や複雑さはなく、ただただ単純なだけ。
それだけに本多正信の口から急に「秀吉は人たらしの天才だ!」なんて言葉が出てきても、ただ単にセリフを言わせているだけ感が凄まじくて、全く説得力がありません。
家柄もない、財産もない、しかも品性下劣で思ったまま口走る。
そんなバカな男がなぜ織田信長に取り立てられたのか?
本気でわからなくなってしまいました。
大河は一年かけて人物像を形成するドラマ枠
大河ドラマ『どうする家康』は、脚本家の民放ドラマを見たNHKがオファーを出したと語られています。
代表作『コンフィデンスマンJP』で描かれるのは詐欺師。
『リーガル・ハイ』は弁護士ドラマです。
詐欺師はターゲットと一期一会でもおかしくはありませんので、その場しのぎで誤魔化すこともできるでしょう。
弁護士を扱いながら、実は下劣な側面もあると描けば、ギャップが面白いかもしれません。
しかし、戦国武将はどうでしょうか。
人格を含めた全体像で評価され、雇用へと繋がります。
乱世ともなれば主君の機嫌を損ねたら、死に直結しかねない。頼り甲斐のない殿と家臣に見放されても、命の危険があるほどです。
そういう長いスパンで人間像を描くのであれば、それに即した描写も必要となってくる。
大河ドラマの不文律として、朝の連続テレビ小説執筆経験のある脚本家を器用することがあげられました。
半年間という長いスパンで人物を描き、物語を構成する――そんなスタミナと構成が、大河に挑む上での必須条件とみなられたのでしょう。
三谷幸喜氏のような例外もいますが、あれは彼の大河ドラマへの愛情や、歴史の知識があればこそ。
『どうする家康』はどうか?というと「朝ドラを必須条件とすることは適切だ」と証明することになりました。
大河ドラマは、単発でウケ狙いをするのではなく、一年かけてじっくりと人物像を形成するコンテンツです。
秀吉は自分の立場にあわせ、振る舞いを変えたからこそ「人たらし」になりました。
大河という枠に即した人物を描くことで、視聴者の心をたらしこんでくれることを、制作陣には期待するばかりです。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
NHK出版『NHK大河ドラマ大全』(→link)
一坂太郎/星亮一『大河ドラマと日本人』(→link)
他