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【秀吉は人たらしなのか?】
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物語と近代史の中での秀吉
徳川政権の時代になって秀吉という人物はどう受け止められたか?
というと、出世譚である『太閤記』は大人気を集めています。彼の出世物語や豪快さは、スカッとする伝説として語られていったのです。
しかし、時代が下りますと、ただの娯楽でもなくなります。現の徳川政権に対する批判も見え隠れし始め、幕府としては見過ごせなくなります。
かくして、織豊政権時代における実在人物名の使用禁止が通達されました。
当時のクリエイターたちは織田信長を「小田信永」にするなどして、こっそり掻い潜ってはおりますが、明治時代となると豊臣秀吉のタブーは払拭されます。
徳川家康の評価が下落し、秀吉は上がってゆくのです。
右肩上がりの新時代にしたいという思惑。
朝鮮出兵こそアジア進出を先んじていたと導きたい意識。
こうした新時代に向けた思想と、もともとあった人気が合致し、華やかな人物像として持て囃されていったのです。
事業で成功した人物が「今太閤」と呼ばれるのも一つの表れでしょう。
そしてイケイケドンドンの秀吉像は、戦後日本の大河ドラマにおいても定番の材料とされるようになります。
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大河ドラマの秀吉
大河ドラマで、秀吉はどのように描かれてきたか?
彼が登場する代表的な作品に短評を添えて見て参りましょう。
◆第3作『太閤記』
信長・秀吉・家康という三英傑の中で、真っ先に主役として取り上げられたのは豊臣秀吉でした。
江戸時代以降、日本人にとって定番の作品であるからこその選出だったのでしょう。
この作品では緒形拳さんを大々的に売り込んだという意義もあります。
大河ドラマの一作目は、映画界の花形を引っ張ってくる形で話題をさらおうとしましたが、本作はむしろ「大河で売り込む!」という時代の流れに一致していました。
◆第11作『国盗り物語』
ドラマで重要な役割を果たす明智光秀――そのライバルとして登場。
火野正平さんが秀吉を演じました。
◆第16作『黄金の日々』
秀吉を徹底的に悪役として描く革新性が話題に。
◆第19作『おんな太閤記』
秀吉の妻・ねねが主人公です。女性目線大河のはしりとされます。
◆第21作『徳川家康』
本作でようやく家康像が更新されます。
三英傑で最も遅い主人公としての登場でした。
◆第30作『信長 KING OF ZIPANGU』
仲村トオルさんが秀吉を演じています。
この作品では緒形拳さんのご子息である緒方直人さんが信長を演じたことも話題に。
父が秀吉、子が信長を演じたことになります。大河ドラマという長い歴史を持つ枠だからこそ成立しました。
◆第35作『秀吉』
『太閤記』以来、秀吉主役の大河ドラマとなります。
晩年の失政といえる【秀次事件】や【朝鮮出兵】そのものが描かれず、暗い時代へ向かうと予見させるだけで終わりました。
それだけに当時から批判されています。
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◆第41作『利家とまつ』
放映後、不可解な判断によって豊臣秀吉がわかりにくくなった作品。
秀吉の妻・おねを演じていた俳優が逮捕されたため、それにまつわる部分がカットされたのです。
夫婦愛をテーマにしていただけに、主人公夫妻と秀吉夫妻はセットで描かれることが多かった。そのため今となってはわかりにくい作品になってしまってます。
出演者の逮捕に伴う過剰な制限には弊害があり、2023年現在、NHKでも柔軟性を持った対処に切り替える動きが出ているようです。
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◆第45作目『功名が辻』
主人公である山内一豊夫妻の目線から見た秀吉像となります。
彼を鼓舞して引き立てるものの、晩年の失政を描かねば主人公の変貌がわかりにくくなります。妻の目線も取り入れつつ描かれました。
司馬遼太郎原作の戦国大河ドラマは、これが現時点では最終作になります。
司馬は織田信長と豊臣秀吉には好意的であり、徳川家康には冷淡であったことを留意すべきかと思います。
◆第48作『天地人』
戦国大河のワースト候補とされる問題作。
秀吉描写に関しては、主人公である直江兼続目線もあり、途中までは明るく陽気、晩年になって迷惑をかけるという定番の描き方でした。
◆第50作『江〜姫たちの戦国〜』
一言でいえば無茶苦茶です。
ヒロインの江から見ると「茶々姉さんに近づくキモいオヤジ」でしかない。
それはまだ江目線なので許容できますが、なぜか秀吉が「江の中に信長を見出し恐れる」となり、わけがわからなくなるのです。
確かに江と信長は、姪と伯父という関係です。どうやったら信長を見出せるのか……。
こんな、バカみたいなトンデモ秀吉像は、ここで底を打って欲しい。これ以下は見たくない――そう願う大河ファンがいたとしても、無理のないことでしょう。
◆第53作『軍師官兵衛』
第35作『秀吉』で主演を演じた竹中直人さんが、再び秀吉役で再登板。
定番の秀吉像であり、余計なアレンジを効かせない、ある意味、定番の味わいがあったものです。
主人公である官兵衛を恐れ、また官兵衛が秀吉を嗜めたとしても、そこまで不自然ではありません。
◆第55作『真田丸』
誤解が生じた結果、豊臣秀次が自刃してしまい、大ごとになってしまう――そんな新説を取り入れた【秀次事件】が描かれました。
秀吉の残忍さというよりも、心身の衰えによる判断力の低下が失政につながってゆく様子が描かれています。
主人公である真田幸村は、複雑な事情によりやむなく【大坂の陣】では西軍につくという描かれ方。
人物像を単純化しない。
主人公の敵対者を貶めない。
非常に丁寧なアプローチがファンを喜ばせた作品です。
◆第59作『麒麟がくる』
主人公である明智光秀と対比される描かれ方でした。
誠実でありながらどこか不器用でもある光秀に対し、秀吉は明るく機転が効く。
光秀の諫言に信長が苛立ったあと、スッと心の隙間に入り込む。
非常に巧みな人心掌握術を用いています。
堅物の光秀に対しては通じないけれど、会話の前におどけ、明るい口調で雑談から入るような手法を用いていました。
そこから一転、自分の「人たらし」が通じないとなると、すっと底冷えするような目線になる。
いわば二面性がある人物像で、邪魔になった弟を謀殺する描写もあります。
この作品は心理描写を重視していました。
光秀と信長はよくも悪くも裏表がなく、不器用な人物。一方で秀吉は器用に振る舞う。そんな対比を見せていたのです。
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