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【豊臣秀次】
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謹慎命令だったのに本人が逆上して自殺?
自害説というのは他でもありません。
もともと、謀反の噂を聞いていた秀吉は単に「高野山で謹慎していろ」と命じただけだったのに、当の秀次が
「オレは無罪だ! 死んでそのことを示す!」
と勝手に自殺してしまったというものです。
ある意味、命令違反であり、これが真実なら秀吉にとっては嫌がらせとも言えるかもしれません。
というのも、秀次の切腹した場所が、秀吉が慕う母・大政所のためにわざわざ寄進したお寺だったのです。
秀吉はこのことにキレて、秀次の妻や小さな子どもまでを残忍に処刑したのでは?と目されています。
切腹命令書を届けるのは時間的に無理
同説は、国学院大准教授の矢部健太郎さんが唱えるもので、以下のような説明で定説を覆しております。
①7月12日に秀吉は高野山の僧侶に秀次のための料理人や世話係を用意するよう頼んでいる
②7月13日に石田三成らが署名した切腹命令書がある
③秀次は7月15日に切腹している
④ところが、京都から高野山まで山道含めて130キロもあり、3日はかかる
⑤「切腹命令書」を届け、さらに切腹までさせるのは時間的にムリがある
⑥数日後に死なす人に料理人を付けるだろうか
さらに以下の史料の解釈が大きく影響してきます。
「関白殿 昨十五日の四つ時に御腹切らせられ候よし申す 無実ゆえかくのこと候のよし申すなり」(御湯殿上日記)
上記の一文、これまでは「御腹切らせられ」を「秀吉が切らせた」と解釈されておりました。
日本語が難しいのはまさにここのところ。
「切らせられ」という言葉、普通に読めば【誰かに◯◯させられた】という意味になりますよね。
しかし、「御腹切らせられ」は【お腹をお切りになられて】という尊敬を表す言葉にもなりうる。
豊臣秀次は「関白」という朝廷最高位の人物なので、尊敬語の「お切りになられた」と読めば、スンナリこの新説も理解できるというものです。
果たして秀吉と秀次、どっちが先にキレたのか。
もしも秀次がそのまま豊臣家の後を継いでいたら、徳川家康浮上の目はなかったとも言われるだけに、注目の「IFシナリオ」であります。
それだけに『真田丸』でも採用されたのでしょう。
いずれにせよ秀次の死により、その縁者が無残にも処刑されてしまった悲劇は変わりません。ご冥福を祈るばかりです。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
堀新/井上泰『秀吉の虚像と実像』(→amazon)
豊臣秀次/wikipedia