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【賤ヶ岳の戦い】
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賤ヶ岳で一進一退のまま睨み合い
しかし、柴田勝家も黙って春を待っていたわけではありません。
まだ雪解けが終わりきらないうちから兵を出し、両者は直接ぶつかり合います。
一ヶ月ほどは一進一退という状況でしたが、ここにきてまたしても秀吉と勝家それぞれの違いが明らかになりました。
勝家方はいわば織田家の重臣たちの連合ですから、明確な上下関係がありません。
多少顔を立てたり先輩後輩のような意識はあったでしょうが、「勝家に絶対従わなくてはならない」という感覚は薄かったでしょう。
そのためか、度々勝家の命令に従わず、独自の判断をする軍もありました。
一方、秀吉方の中核や要所を押さえていたのは、秀吉自身の家臣たちです。
黒田官兵衛やいわゆる【賤ヶ岳の七本槍】ですね。

黒田官兵衛/wikipediaより引用
七本槍は、実は九本槍では?
なんて話もありますが、その詳細は以下の記事に譲りまして。
-
賤ヶ岳の七本槍って実は九本槍!? 戦場ではどんな活躍を? まんが戦国ブギウギ81話
続きを見る
ともかく、指揮系統がどれだけ徹底されていたかという点において、秀吉は勝家よりも勝っていたということになります。
それでも事態は膠着し、戦況はなかなか変わらず。
先に動いたのは秀吉でした。
美濃にいるはずの秀吉が突如帰還!
両軍共に陣(守り)を固め、先に攻めかかった方が不利になる――それゆえ戦況が動かずにいたのに、なぜ秀吉が先に動いたのか?
それは背後で織田信孝が挙兵して、岐阜に迫っていたからです。
前方に柴田勝家。
後方に織田信孝。
挟み撃ちに合えば危機は免れない。
そう判断した秀吉は、賤ヶ岳の戦場から離れて岐阜へと向かい、大垣城へ入ります。
好機!とばかりに、ここで動いたのが鬼玄蕃として恐れられた佐久間盛政という武将でした。

『佐久間盛政秀吉ヲ襲フ』/wikipediaより引用
佐久間盛政は、信長に追放された佐久間信盛の親類です。
と同時に、母が柴田勝家の姉であり、勝家から見ると頼れる甥っ子でもありました。
盛政は、戦闘に長けたタイプであり、秀吉不在となった陣への攻撃を勝家に提言。いささか強引に軍を進めながら、中川清秀を討ち、高山右近の軍を退去させるという快挙を達成します。
すわ柴田軍の勝利か――。
と、そこで戦場に凄まじい速度で戻ってきたのが秀吉でした。
美濃から50km以上も走り続けた秀吉軍が、突如、佐久間盛政らに襲いかかったのです。
ここで並の武将でしたら、秀吉の出現に慌てふためき、散々に打ちのめされたでしょう。
しかし、さすが鬼玄蕃として知られる佐久間盛政。
襲いかかる秀吉軍に対して、殿部隊が見事な働きを遂げ、無事に退却を果たします。
さすがの秀吉もこれには腸(はらわた)煮えくり返ったようですが、そこですぐに頭を切り替えられるのが天賦の才なのかもしれません。
秀吉は、次なる敵を佐久間盛政の弟・柴田勝政と定め、ほとんど休む間もなく襲いかかったのです。
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