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【宇喜多直家】
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「兄上の呼び出し? 鎖帷子を用意せよ」
それでもやはり謀殺・暗殺はよく用いたので、実の弟ですら
「兄上の呼び出し? 鎖帷子を用意せよ((;゚Д゚))ガクブル」
という状態だったとか。
同盟と破棄を幾度も繰り返していたので、裏切りによる殺害も含めれば、その数は倍近くなるでしょうか。
よくこれで本人が刺客を放たれなかったものです。
それとも返り討ちにしたんでしょうか。
しかし見方を変えれば、「急に親しいフリをするようになった相手」は信用しなかったという面もあります。
なぜなら、暗殺をさせた古参の家臣を使い捨ててはいないからです。
ただ単に暗殺が好きな卑怯者であれば、情報が漏れるのを恐れて口封じまでしたでしょう。
ですが、城が餓えるようなことがあれば直家自ら食を断ったり工作に励んだり、苦しみを分かち合おうとする人でもあったのです。
当初の食料不足はなかなか深刻だったようで、家臣たちも熱心に畑を耕していたとも言います。
直家は、周囲から恐れられても家臣に背かれることはない、いわゆるカリスマタイプだったのかもしれません。
毛利家と織田家の狭間に立たされ
暗殺や謀略を繰り返し、主家・浦上家を追放して戦国大名となった宇喜多直家。
その後は極めて難しい局面に立たされます。
中国地方に強大な王国を構える毛利家と、凄まじい勢いで領土を拡張していく織田家が西進してきたため、両家の狭間に立たされるのです。
なんせ彼の本拠は備前(現・岡山県東南部)ですから、地理的には仕方のない話でしょう。
この頃は豊臣秀吉が中国方面の攻略担当となり、対する毛利家は毛利元就は亡くなっていたものの、当主・毛利輝元の叔父である吉川元春と小早川隆景の二人が脇をがっちり固めていました。
![小早川隆景](https://storage.bushoojapan.com/wp-content/uploads/2022/06/a041809ba560b005793a72297e2525c1.jpg)
小早川隆景(左)と兄の吉川元春/wikipediaより引用
当然、暗殺などが通用する相手でもありません。
実は一度、毛利家の二人に対し、
「戦帰りにウチへ寄ってくださいよ(アナタ方の首を手土産にしたいんで)」
と誘いかけたのですが、あっさりバレてしまい失敗に終わっています。
そこでさすがの直家も諦め、潔く織田信長に投降する道を選びました。
![](https://storage.bushoojapan.com/wp-content/uploads/2024/06/f86197aa1c89d424e66ea2957ec272d1.jpg)
織田信長/wikipediaより引用
それまで毛利寄りだった直家が降伏の意向を示したことで、秀吉はこれを手柄にしようと信長への仲介を引き受けます。
戦をせずに傘下が増えれば、それに越したことはないですからね。
息子の秀家は豊臣五大老にまで出世
かくして織田家についた宇喜多直家は、秀吉に感謝したのか、対毛利家攻略に力を注ぎます。
そのおかげもあり長男の宇喜多秀家は後に秀吉から寵愛されて養子にもなり、前田家から正妻をもらい、さらには若くして五大老にまでなりました。
![](https://storage.bushoojapan.com/wp-content/uploads/2013/11/a8e7c05807a5fa07cb4f43699efecd70.jpg)
宇喜多秀家/wikipediaより引用
暗殺上手と忠誠心――似ても似つかない単語のような気がしますが、人は見かけだけでなくやってることにもよらないということでしょうか。
なお、当人の最期ですが……。
謀殺を重ねてきただけに、悲惨な死を迎えたのでは?
なんてことを想像してしまうかもしれませんが、実は畳の上で亡くなられております。
戦死や切腹ではなく病死だったんですね。
ただ、その死因が一風変わった病名でして「尻はす死」と記録されていて、ご興味のある方は以下の関連記事でご確認ください。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
峰岸純夫/片桐昭彦『戦国武将合戦事典(吉川弘文館)』(→amazon)
渡邊大門『宇喜多直家・秀家―西国進発の魁とならん (ミネルヴァ日本評伝選)』(→amazon)
宇喜多直家/Wikipedia