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決戦、小田原征伐! 秀吉による北条氏政・氏直親子退治、始まる【戦国boogie-woogie116】

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後北条氏とは?
その名の通り鎌倉幕府で執権職を独占していた北条一族と区別して呼ばれた、関東最大の戦国大名であり、元々は北条早雲(伊勢宗瑞)を始祖として伊豆~相模で勃興。
以降は氏綱(2代)―氏康(3代)―氏政(4代)―氏直(5代)と、5代に渡って東国の支配者として勇名を馳せ、氏康の代には上杉謙信や武田信玄、今川義元たちとも真っ向から五分に渡り合ったことでも知られる。
とりわけ有名なのが堅強で知られる小田原城であろう。
惣構えと呼ばれる防御壁で街全体を囲み、その規模は日本最大とも目されていて、かの武田信玄も上杉謙信も、小田原を前にして戦線から撤退。
小田原さえあれば誰にも負けない――。
後北条氏に確固たる自信を持たせたのはまさしく小田原であり、そしてその小田原が原因で滅亡への道を進んだのであった。
豊臣秀吉による小田原征伐、スタート!

 

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キッカケは沼田の名胡桃城でした

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◆九州を制圧し、ほぼ天下人に昇り詰めていた秀吉にとって、目の上のたんこぶとも言える存在が東国でした。
現代でも絶対的人気を誇る奥州の伊達政宗や、その親類・最上義光(政宗母ちゃんの兄)など。東北にも諸勢力はおりましたが、やはり関東最大の北条氏は圧倒的。
小田原を根城に秀吉を舐め続けた北条氏政・氏直親子は、ついに合戦を迎えることとなります。
キッカケは、真田昌幸支配下の名胡桃城(沼田城の支城・群馬県)へ、北条方が突如として攻め込んだことでした。
※大河ドラマ『真田丸』でちょうど話題になっている沼田地域のイザコザでした

 

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秀吉が攻めてくる? よっしゃ、コチラは小田原評定じゃ!

戦国ブギウギ20160530-2
◆一説によると小田原征伐で秀吉が用意した軍勢は20万超。
東海道からは豊臣本隊や徳川勢が進み、東山道からは北陸~越後勢の前田・上杉軍が参戦し、さらには九鬼水軍などに海上封鎖も進めさせ、圧倒的勢力で圧をかけていきます。
これに対し、北条一族は会議ばっかり開いて何もせず、ウダウダと滅亡への道を進んでいった――と後世ではバカにされておりますが、実際には伊豆箱根方面で城を固めるなど一応の防備は整えておりました。
しかし、後詰(救済)なき籠城は自殺行為に等しく、このときの後北条氏はまさしく袋のネズミ状態へと落ちこんでいくのでありました……。

 

小田原征伐で復活する人、殺される人

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◆小田原征伐といえば、秀吉の圧倒的勢力の前にただただ北条が自滅していった――そんなイメージもありますが、もちろん戦闘は起きております。
有名なのが『のぼうの城』で一躍有名になった忍城でしょうか(後述)。
その一方であまり知られてないのが、小田原手前の支城で起きた合戦でしょうか。例えば、このとき九州攻めで惨敗して改易となっていた仙石秀久が、わずかな手勢で合戦に参加。伊豆山中城で鈴を全面にあしらったド派手な陣羽織で突撃して大活躍しております。
さらに秀久は、小田原城攻めでも虎口(最も危険とされる防御門)に乗り込み、後に秀吉から賞賛されて大名復活を果たすという、アメリカンドリームな話も。
一方、同じく九州攻めでヘタを打っていた尾藤知宣は大した働きもなく秀吉の前に出て、結局、手打ちにされてしまいました。いやぁ、秀吉さんって怖いです。

 

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のぼうの城はいかにして攻めようか?

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◆『のぼうの城』で一躍全国区になった「忍城」は、石田三成さんが水攻めで囲みました。
御存知の通り、三成さんは忍城攻めで四苦八苦。「戦下手」のレッテルを貼られてしまいます。
が、もともとこの城は秀吉が自らのパフォーマンスのため「ただ水で囲んでおけ」という指令が出ていたという話があり、三成さんを無能とするのも可哀想なんすよね……。

【関連記事】『のぼうの城』は最初から豊臣秀吉が落城させる予定だった!? 石田三成さんは悪くな~い!
©富永商太豊臣秀吉4

 

(来週へ続く)

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