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【沖田畷の戦い】
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釣りノブセ
◆数万を率いる龍造寺軍と数千の有馬・島津連合軍。
隆信が失笑してしまうほど、この合戦の事前の趨勢は龍造寺有利なものでした。
しかし、相手は「釣り野伏」という戦法を駆使し、さらには古くから鉄砲を駆使した戦いの得意な島津です。おまけに鎌倉時代以来というコッテコテの名家のご子息です。
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島津忠久から始まった 鎌倉以来の伝統ナンバー1武門・薩摩島津家
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ナメたらダメ、絶対!
鍋島直茂は釘を刺したのですが……。
龍造寺四天王
◆島津、大友、龍造寺――。
九州は、一瞬、この三家による『三国志』のような様相を呈しておりました。
やはり一代で勢力を急拡大させた龍造寺隆信の才覚は疑うべきものではないのでしょう。
しかしながら【沖田畷の戦い】で最期は惨めとしか言いようのない展開となったのは、酒に溺れて我を見失ったとする説が有力なのかもしれませんね。
「畷(なわて)」とは湿地帯・田んぼのなかにある小道・あぜ道のことで、そんな場所に大軍を無理に進めたどうなるのか。少し考えたら、誰でもわかりそうなハズですが……。
逆に島津は、ここで龍造寺の攻撃を受けるべく準備を進めていたと言いますから、やはり指揮官の能力が左右したんですね。
恐るべし薩摩。
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著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休
書籍版『戦国ブギウギ』です!