こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【沖田畷の戦い】
をクリックお願いします。
釣りノブセ
◆数万を率いる龍造寺軍と数千の有馬・島津連合軍。
隆信が失笑してしまうほど、この合戦の事前の趨勢は龍造寺有利なものでした。
しかし、相手は「釣り野伏」という戦法を駆使し、さらには古くから鉄砲を駆使した戦いの得意な島津です。おまけに鎌倉時代以来というコッテコテの名家のご子息です。
-

薩摩に屈強な武家を築いた島津氏初代・島津忠久~実母は源頼朝の乳兄弟だった
続きを見る
ナメたらダメ、絶対!
鍋島直茂は釘を刺したのですが……。
龍造寺四天王
◆島津、大友、龍造寺――。
九州は、一瞬、この三家による『三国志』のような様相を呈しておりました。
やはり一代で勢力を急拡大させた龍造寺隆信の才覚は疑うべきものではないのでしょう。
しかしながら【沖田畷の戦い】で最期は惨めとしか言いようのない展開となったのは、酒に溺れて我を見失ったとする説が有力なのかもしれませんね。
「畷(なわて)」とは湿地帯・田んぼのなかにある小道・あぜ道のことで、そんな場所に大軍を無理に進めたどうなるのか。少し考えたら、誰でもわかりそうなハズですが……。
逆に島津は、ここで龍造寺の攻撃を受けるべく準備を進めていたと言いますから、やはり指揮官の能力が左右したんですね。
恐るべし薩摩。
あわせて読みたい関連記事
-

耳川の戦いで島津軍が九州覇者へ「釣り野伏せ」で大友軍を完膚なきまで叩き潰す
続きを見る
-

薩摩に屈強な武家を築いた島津氏初代・島津忠久~実母は源頼朝の乳兄弟だった
続きを見る
-

薩摩の戦国大名・島津貴久の生涯「中興の祖」とされる四兄弟の父 その功績とは?
続きを見る
-

鬼島津と呼ばれた戦国武将・島津義弘の生涯~関ヶ原を突破し薩摩の礎を築いた勇将
続きを見る
-

薩摩で戦の神と称される戦国武将・島津歳久の生涯~秀吉に矢を放ち最後まで抵抗
続きを見る
-

なぜ島津の退き口は成功した?関ヶ原の敗戦が決まり 逆に敵陣へ突撃した鬼の撤退劇
続きを見る
-

戦国島津に名を轟かせる 新納忠元は薩摩随一の猛将で泣かせる忠臣だった!
続きを見る
-

戦国島津家ドロドロの内紛「庄内の乱」とは? 関ヶ原直前に起きた薩摩の大乱
続きを見る
-

実際の薩摩隼人はフィクション以上にパワフルだった?漫画やアニメで検証だ
続きを見る
-

九州の戦国武将・鍋島直茂が秀吉や家康に許され大名になるまでの混乱
続きを見る
-

肥前の戦国大名・有馬晴信の生涯~詐欺師に騙されたキリシタン大名の最期は切腹?
続きを見る
-

賤ヶ岳の戦い|秀吉と勝家が正面から激突!勝敗を左右したのは利家の裏切り?
続きを見る
-

柴田勝家の生涯|織田家を支えた猛将「鬼柴田」はなぜ秀吉に敗れたか
続きを見る
-

豊臣秀吉の生涯|足軽から天下人へ驚愕の出世 62年の事績を史実で辿る
続きを見る
-

織田信雄(信長次男)の生涯|信長の血を後世に残した男は本当に愚将だったのか
続きを見る
-

徳川家康の生涯|信長と秀吉の下で歩んだ艱難辛苦の75年を史実で振り返る
続きを見る
著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休
書籍版『戦国ブギウギ』です!


















