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第三次信長包囲網はなぜ瓦解した?織田の僥倖 毛利の誤算~日本史ブギウギ167話

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荒木出奔?

◆結局、荒木村重は包囲網に耐えきれず、単身で城を抜け出し、残された親類縁者たちは織田軍によって処刑されてしまいます。

三木城の別所長治も、後に【三木の干し殺し】と呼ばれる結末を迎えるのでした。

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鳥取の渇え殺しと三木の干し殺しで人肉の恐怖~人は飢えると獣になる

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御館の乱

◆そのころ北の脅威こと上杉家は

上杉景勝
vs
上杉景虎

という御家騒動【御館の乱】が勃発。

以下のように上杉家の主だったメンバーが敵味方に分かれ

【景勝派】
本庄繁長・斎藤朝信・柿崎憲家・直江景綱・河田長親・新発田重家

【景虎派】
神余親綱・堀江宗親・本庄秀綱・北条高広&景広・前島修理亮

戦力が均衡したため、約1年も続いてしまいました。

織田家にとっては僥倖の極みだったでしょう。

御館の乱
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謀将宇喜多

◆信長包囲網の弱体化――それはすなわち織田家への裏切りが出る者を促し、宇喜多直家はアッサリと寝返ります。

宇喜多直家
戦国の謀殺王・宇喜多直家は本当に謀将?没落の身から息子は五大老へ

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結果的に息子の宇喜多秀家はその後秀吉に気に入られ、五大老の一人となるのですから成功だったのでしょう(ただし関ヶ原の戦いまで)。

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