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【第三次信長包囲網】
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荒木出奔?
◆結局、荒木村重は包囲網に耐えきれず、単身で城を抜け出し、残された親類縁者たちは織田軍によって処刑されてしまいます。
三木城の別所長治も、後に【三木の干し殺し】と呼ばれる結末を迎えるのでした。
秀吉と官兵衛の「鳥取の渇え殺し&三木の干し殺し」がエグい 人は飢えると◯肉も喰う
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御館の乱
◆そのころ北の脅威こと上杉家は
上杉景勝
vs
上杉景虎
という御家騒動【御館の乱】が勃発。
以下のように上杉家の主だったメンバーが敵味方に分かれ
【景勝派】
本庄繁長・斎藤朝信・柿崎憲家・直江景綱・河田長親・新発田重家
【景虎派】
神余親綱・堀江宗親・本庄秀綱・北条高広&景広・前島修理亮
戦力が均衡したため、約1年も続いてしまいました。
織田家にとっては僥倖の極みだったでしょう。
上杉家が真っ二つに割れた「御館の乱」謙信の死後に景勝と景虎が激突した結果は?
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謀将宇喜多
◆信長包囲網の弱体化――それはすなわち織田家への裏切りが出る者を促し、宇喜多直家はアッサリと寝返ります。
戦国の謀殺王・宇喜多直家は本当に謀将?没落の身から息子は五大老へ
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結果的に息子の宇喜多秀家はその後秀吉に気に入られ、五大老の一人となるのですから成功だったのでしょう(ただし関ヶ原の戦いまで)。
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