まんが日本史ブギウギ

第三次信長包囲網はなぜ瓦解した?織田の僥倖 毛利の誤算~日本史ブギウギ167話

2020/07/12

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
第三次信長包囲網
をクリックお願いします。

 

荒木出奔?

◆結局、荒木村重は包囲網に耐えきれず、単身で城を抜け出し、残された親類縁者たちは織田軍によって処刑されてしまいます。

三木城の別所長治も、後に【三木の干し殺し】と呼ばれる結末を迎えるのでした。

戦国時代屈指の凄絶な籠城戦となった「鳥取の渇え殺し」と「三木の干し殺し」。豊臣秀吉と黒田官兵衛はいかにして2つの城を兵糧攻めしたか。史実から振り返る。
鳥取の渇え殺しと三木の干し殺し|秀吉と官兵衛が仕掛けた凄絶な飢餓の包囲戦

続きを見る

 


御館の乱

◆そのころ北の脅威こと上杉家は

上杉景勝
vs
上杉景虎

という御家騒動【御館の乱】が勃発。

以下のように上杉家の主だったメンバーが敵味方に分かれ

【景勝派】
本庄繁長・斎藤朝信・柿崎憲家・直江景綱・河田長親・新発田重家

【景虎派】
神余親綱・堀江宗親・本庄秀綱・北条高広&景広・前島修理亮

戦力が均衡したため、約1年も続いてしまいました。

織田家にとっては僥倖の極みだったでしょう。

上杉景勝の肖像画
謙信の死後に上杉家が真っ二つに割れた「御館の乱」なぜ景勝と景虎は激突した?

続きを見る

 

謀将宇喜多

◆信長包囲網の弱体化――それはすなわち織田家への裏切りが出る者を促し、宇喜多直家はアッサリと寝返ります。

宇喜多直家
戦国の謀殺王・宇喜多直家の生きる道~没落の身から息子の秀家は五大老へ出世

続きを見る

結果的に息子の宇喜多秀家はその後秀吉に気に入られ、五大老の一人となるのですから成功だったのでしょう(ただし関ヶ原の戦いまで)。

※続きは【次のページへ】をclick!


次のページへ >

リンクフリー 本サイトはリンク報告不要で大歓迎です。
記事やイラストの無断転載は固くお断りいたします。
引用・転載をご希望の際は お問い合わせ よりご一報ください。
  • この記事を書いた人
  • 最新記事

アニィたかはし

漫画家。現在は武将ジャパンにて、まんが『大河ブギウギ べらぼう編』シリーズを連載中。 2014年より歴史漫画家として活動を開始し、2015年には連載作品をまとめた商業コミック『織田信長の戦国ブギウギ』(鉄人社)を全国発売。 以降、独自のポップ表現と歴史知識を融合させた「ブギウギシリーズ」を継続し、戦国・江戸・幕末など幅広い時代を題材とした作品を制作している。 2024年からは大河ドラマの各回を題材にした“ドラマ考証型マンガ”へと表現領域を拡大し、作品の幅をさらに広げている。 ◆主な著書 『織田信長の戦国ブギウギ』(鉄人社、2015年、ISBN:978-4865370324) ◆国立国会図書館データ https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/001200494

-まんが日本史ブギウギ

目次