そう即答したくなりますが、四兄弟(義久・義弘・歳久・家久)が頭角を現す前、広大なエリアを制していたのは大友家でした。
キリシタン大名としてお馴染みの大友宗麟。
そのもとには立花道雪や吉弘鑑理などの勇将がおり、あの毛利元就ともバチバチやりあっていたほとです。しかし……。
毛利家との激しい戦いに大友家が消耗していると、西からは龍造寺、南からは島津の侵攻に遭い、気がつけば九州は三国志状態へ。
とりわけ島津四兄弟の勢い凄まじく、【沖田畷の戦い】で龍造寺を破り、【耳川の戦い】で大友に勝つと、いよいよ九州制覇!というところまで領土を拡大していきました。
そこに現れたのが天下人・秀吉――というわけで、マンガ「日本史ブギウギ」第173話スタート!
燃える九州
◆九州王者とも、あるいは愚者とも言われてしまう大友宗麟(大友義鎮)。
確かにその一生は不安定でもありました(関連記事あり)。
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惣無事令
◆島津四兄弟の長兄にして当主――島津義久は秀吉のことを舐めきっておりました。
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成りあがり
◆【賤ヶ岳の戦い】で柴田勝家に勝利して織田家を制圧し、【小牧・長久手の戦い】で徳川家康を封じ込んだ徳川家康。
さらには長宗我部元親相手の【四国征伐】を済ませると、もはやその勢いは止まりません。
【九州征伐】の始まりです。
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