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【日本史ブギウギ174話】
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バテレン追放令
◆キリスト教に傾倒していたとされる有馬晴信は、浦上の地をイエズス会に寄進しておりました。
後に様々なトラブルに巻き込まれる晴信ですが、
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肥前の戦国大名・有馬晴信の生涯~詐欺師に騙されたキリシタン大名の最期は切腹?
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それはさておき、キリスト教の拡大を懸念した秀吉は宣教師追放を掲げます。
南蛮貿易では、日本人の奴隷(日本国内での合戦で囚えられた敵エリアの農民など)がマカオ経由で世界各地へ売られていた――という由々しき事態を重んじたともされます。
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戦国時代&大航海時代は「奴隷時代」罪なき日本人はいったい何処へ売られたのか
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北野大茶湯
◆戦国著名人の茶が飲める!
と称して大々的に取り組まれた北野大茶湯(北野大茶会)。
クジを引いて
1等 秀吉
2等 千利休
3等 津田宗及
4等 今井宗久
上記のように引き当てた人からお茶をいただけるという内容でした。
しかし、秀吉の思うように人は集まらず、わずか一日で終了してしまいます……。
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秀吉が主催した北野大茶会|天下一の茶会はなぜわずか一日で終わったのか
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豊臣秀吉の生涯|足軽から天下人へ驚愕の出世 62年の事績を史実で辿る
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考えようによっては「失敗したから一日で終わり!」と、非常に素早い判断ができた秀吉はさすが……という見方は苦しいですかね。
肥後国人一揆
◆【小牧・長久手の戦い】で秀吉との対立が決定的になってしまい、どうにか延命されて肥後国の統治を任されていた佐々成政。
年貢はとったらいかん――という秀吉に無茶振りをされ、すったもんだの末、地元の国衆たちに反乱を起こされてしまいました。
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戦国末期の肥後国人一揆|成政が切腹に追い込まれたのは秀吉の策略か
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佐々成政の生涯|信長の側近から大名へ 最期は秀吉に敗れた反骨の戦国武将
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秀吉の陰謀だったのでは?とも思われるこの一件。
援軍として送られてきたのが立花宗茂らの九州勢でした。
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西の戦国最強武将・立花宗茂~関ヶ原で浪人となるも諸大名の嘆願で復活した生涯76年
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