織田家内外の人間に「天下人」と納得させるには、諸大名だけでなく何より徳川家康の「服従」が必要だった。
むろん、簡単には承服しかねる家康。
どうしても臣下の礼が欲しい秀吉。
さすがの知恵者・秀吉も、なかなか決定打を放てない中、くだした決断はやはり途方もない解だった――。
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政略結婚
◆秀吉が高貴な女性好きだった一方、色んな所に手を出していたのが家康。
必ずしも上流貴族・武家の出ではない女人も側室にしており、息子・松平信康の自害事件時に連座で築山殿を亡くしてからは正室の座は空いていた。
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そこに実妹をねじこむのが秀吉である。
秀吉の元へ走った石川数正は、その後、あまり表舞台には出てきませんね……。
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ラッピング
◆朝日姫さん、このとき44歳。
当時ではかなり老人域ですよね。
いくら家康が「熟女アリ」だとしても……。
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