本作は、想像以上に恐ろしいことになっているかもしれない……。
「まずい、いつやめたらいいんだ。眠れないっ!」
そんな感想がチラホラ。
更には、今年の大河が近代モノであるため、時代劇に飢えている人々が貪るように見ているようで
「一日で10話まで見終えてしまった……シゴトできません」
という声まで聞いています。
どうも皆さん
【このドラマには、大河が失ったものがある】
というのが共通認識のようで、あらためて“しがらみ”のない黒船の本領が発揮されている模様です。
実は私も、レビューはそこまで早く書けないですが、もう何話も見ており、辞められないんだ……止まらないんだ!
ネット配信の怖さは、まさにここでしょう。
一挙に10話も配信されたら、もう見る人はとことん夢中になってしまう。
週一のドラマじゃこうはいかない。
シーズン制度のために数年またぐところも、ポイントです。
以前、観光業の方からこう聞いたものです。
「以前は歴史観光といえば、ともかく大河の誘致を狙っていたけど、今は違う。大河の効果は一年だけでしょ。ゲームや漫画のほうが長いスパンになるからお得。今はゲーム会社にアピールするほうがいい」
私もこれは痛感しておりました。
海外ドラマファンが何年も同じ作品で盛り上がることができるのに、大河は一年きりなんですよ。
これからは、誘致運動も海外に目を向けることになるでしょうね。
大河というフォーマットは、現代に適しておりません。
そのことを本作が暴いてゆきます。
今回はMAGI(マギ)感想あらすじエピソード2です。
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安土城に屏風を設置して
今回は、織田信長がヴァリニャーノと四少年たちとの面会がテーマです。
信長は、気合いを入れて安土城の屏風を設置。
ここで明智光秀との意識の違いがわかります。
東の王としての権威を示したい信長。
バテレンと面会するなんておかしいと反発する光秀。
どちらが正解とは言えません。ただ、違う。
本作のこういう深みのある描き方は、ヴァリニャーノと宣教師の間、四少年にも見られるのです。
森蘭丸も登場しました。
出番が少ないとはいえ、ちゃんと美形かつ、存在感があります。
これもすごいことだと思います。
海外の視聴者は、森蘭丸なんてどうでもいいかもしれない。
けれども、日本の視聴者ならばそうではないはず。そこを意識しているんですね。
蘭丸を見る少年の目も複雑です。
信長のお気に入りであることへの嫉妬と、小姓であることへの蔑みのような感情があります。
当時の男色は許容されていたとはいえ、カトリックにとっては嫌悪すべきものです。
そういう複雑さを一瞬で読み取れなくもありません。
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まずはヴァリニャーノらが信長と面会
そしていよいよ、面会開始となりました。
やっぱり信長にはカリスマ性がある。
その前に、ヴァリニャーノらイエズス会からの贈り物が差し出されました。
フランドルの羅紗、琥珀、ビロード、酢漬けの唐芥子、そしてコンヘイトス=いわゆる金平糖があります。
ああ、手抜きしないよね……こういうの、すっ飛ばそうと思えばできるはず。でも、そうしないんですよ!
コンヘイトスを食べる信長、蘭丸もいいんだよなぁ。
信長は喜んでいるし、嬉しそう。甘いこと。ただ甘いことが、衝撃的だとわかるのです。
蘭丸の顔には緊張と喜びと驚きが混ざっております。
そうなのです。
南蛮から砂糖が入ってくる以前は、せいぜい干し柿くらいしか甘味がなかった、それが日本人の味覚ですから。
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羽根飾りつきの防止とマントも献上され、信長が試着しました。
2017年大河『おんな城主 直虎』のときのように、ブーツとマントを楽々と着こなす信長もよいとは思いますが、こんな初めての南蛮服を楽しむ信長もいい!
さらにポルトガル王から贈られたという椅子もある。小道具がみな、よく出来ているなぁ。
そして、連れてこられたのが黒人奴隷でした。
四少年が黒人奴隷について語るわけですが、それぞれ個性が出ています。
ジュリアンは、驚きを素直に口にする。
知性派のマルティノは、インドにもいると理詰めの解説。
正義感の強いミゲルは、どこからか捕らえてきたのだと反発。
そんなミゲルから、人身売買について話をふられて、マンショは複雑な反応をするのです。奴隷になるのが嫌で、彼の侍女は自刃しました。
こうした物事への捉え方、彼らの性格を丁寧に描いてゆきます。
肌が黒い者への慈悲はないのか?
信長は、黒人奴隷の肌の色に驚きつつも、その筋肉質の肉体を賞賛します。
弥助の出生地には諸説ありますが、本作はモザンビークを採用。
地球儀で場所を示されます。
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「戦で捕らえたのか?」と問いかける信長に対し、こうした肌の色の者たちは我々に仕えるために生まれてきたのだと返すヴァリニャーノ。
実はこの発言、現在に至るまで深い根をおろすもので、アメリカの南軍英雄銅像撤去とも関わりのある考え方です。
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アメリカはじめ、先住民の大量死すら、こうした理屈で正統化されてきました。
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「肌の色が違う人間は、神の意志で劣ったものとされたのだ!」
この考え方を出すことは、歴史を語るうえで外せないものです。
そして、タブーにおっかなびっくりな日本のテレビ局では、避けて通りたいものなのですね。
しかもこのドラマは世界配信。つまり、どの肌の色の視聴者もおります。
こんなことを描いたら、白人や黒人の視聴者が反発するのではないか?
なんて愚かな忖度は一切ありません。前述の通り、避けては通れない歴史。このことは頭の片隅に入れておきたいところです。
ここで光秀、バテレンは右手に十字架、左手に銃を持ってやって来た――この国の人間を拐かすつもりか?と怒りを見せます。
ヴァリニャーノは、黒人と日本人は違うと言い出します。
しかし、肌が白いという認識を語る相手の言葉に、信長が反発を示します。
「肌の色で、人間の優劣が決まるというのか?」
ヴァリニャーノが、実際に劣った人種だと言うと、納得いかなさそうな反応の信長。
されど、すぐに議論をやめ、信長は高山右近はじめとする京都周辺にいると言います。
キリシタンは裏切らないからよいと。
それはキリストへの愛ゆえだとヴァリニャーノは説く。
「愛とは何だ、巡察使」
マントをバサリと払いつつ、信長はそう問いかけます。こ
まるで信長の心の底には疑念がよぎっていることが無言の声となって届くかのよう。
それなのに、抑えて思ったことをすべては言い出さない。
うーん、深い……思ったことを片っ端からペラペラ言い切る、駄作にはない世界観だ!
視聴者(もバカじゃないってこと)を信じている証拠でしょう。
作り手と受け手の信頼関係、日本が舞台の歴史劇で感じるのは久々のような気がしてしまいます。
愛問答が始まりました。
『天地人』で直江兼続の前立てを「LOVEでぇぇ〜す!」と言い切った大河班にはたどりつけない境地だわ!
それを聞き信長は、
「あの黒人奴隷に慈愛はいらないのか」
「自分たちを信じる者にだけ与えられるのか」
と突きつけるのです!
これですよ、これ。
当初、宣教師たちは日本の発見にウキウキしたものなのです。
それがアッサリと喝破されてしまい、日本を舐めていたのかもしれない……と反省モードに入るのです。
だからこそキリストの教えではなく、火縄銃という利益で釣ろうとした。
それも歴史の一面です。
キリシタンといえば心がキレイキレイ!で終わる近年大河には、絶対にたどりつけない境地なんすわ。
四少年の元に、再び蘭丸がやって来ます。
彼がいいんですよ。
奥の空気は険悪だ、信長は短気だから何が起こるかわからないのだと。
自分の立場を理解して、猫がネズミをいたぶるような、そんな意地の悪さもちょっとにじませております。
ヴァリニャーノ、反論す!
ヴァリニャーノは本気で信長を言い負かそうとしたのか。
いささかムキになって
「比叡山を焼き討ちにした信長に愛を問われるとは」
と返しました。
あぁ、この人、短気で負けず嫌いだわ~!
そしてフロイスと光秀を無視し、怒濤の反撃です。
まずは一向一揆の殲滅。
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さらには留守中に遊びに出かけた侍女の殺害。
「あなたに愛を問う資格があるとは思えません!」
強い口調で言い返した――そんな最悪のタイミングで、四人が到着します。
信長は、冷静に愛について問いかけます。
うーむ、ただの短気な人じゃないのがいいねぇ。
語りたいんだ、信長は愛について語りたいんだ。
ヴァリニャーノは、イエスの愛に形はないと言います。
おそらく、彼自身もまだ探している途中。ある意味誠実な彼は、そのことを隠し通せないのかもしれない。
そうだ、彼は割り切れないんだ。
だから、技術やうまい餌で布教を広げる者、誤魔化そうとする者、信長と真剣に議論しない者とは折り合えないのか!
そんなことで愛について問えるのか。
ヴァリニャーノは正直です。
イエスも、周囲からこう問われたと言ってしまうのです。
「形のない愛より、形のあるパンが欲しいのだと」
イエス自身が、愛とは何かを問い続けていた。だからこそ弟子も離れてしまった。イエスが戦ってくれると思っていた民衆も去った。
それでもイエスは、荒野を彷徨い、十字架にかけられるまでそうしていたのだと。
戦いに勝利して愛を説いても、人は忘れてしまう。愛よりもパンだと思ってしまう。
けれども、愛のために命を捨てた人間だけが、愛の尊さを伝えることができる。
それがイエスの思いである、と。
信長は少年とも語り合いたいのだ
続けて織田信長の前に出た四人の少年たち。
まずジュリアンは、キリシタンの強さを知りたいから旅をすると語りました。
横からフロイスが口を挟もうとすると、信長が不機嫌そうに「聞いているのは少年だ」と返すところがいいですね。
ジュリアンの求める強さ。
それは武士の強さではありません。犠牲をおそれぬ精神性なのです。
次はマルティノ。
彼は様々なものが見たい、そんな知的好奇心を見せます。さらに、ラテン語で語り出すのでした。
おお、ラテン語まで! これはかなり大変なことですよ。
お次はミゲルの番です。
戦国の世、どうせわからぬ命なら、航海を恐れても仕方ない。そう言い切るのでした。
そしてマンショだけは、「まだ行くかどうか決めていない、教えを信じていない、信長に会うことが目的だ」と正直に語ります。
マンショは、負け知らずの信長の強さ、戦い続けられた理由を知りたいのです。
光秀もその武功を褒め称えるわけですが、マンショの問いかけはちょっと違う。
戦うことに虚しさを覚えない――その精神性の真髄を彼は知りたいのです。
ここでヴァリニャーノが、イエスは戦うことの虚しさを知っていたから愛を説いたと口を挟み、信長がまたムッとしながら黙っているよう遮ります。
彼は、あくまでマンショと語りたい。
「何があったか?」とマンショに問いかける信長。
彼の心にある傷を察知したのでしょうか。しかし、何もないと無愛想に答えるマンショ。蘭丸は怒り、斬ろうとすらします。
しかし信長は、特に怒っていない……。
それどころか、肝が据わっていると感心します。
命などいらぬと思って生きて来た。信長もそうではないか?とマンショは問うのです。
しかし、答えは逆でした。
信長は「そういう人間は戦に出ればすぐ死ぬ」と断言しみあす。
何が何でも生き抜くと思っていたからこそ、生き抜いてこられた。それが信長なのだと。
そして「海の向こうの、見知らぬ国に行け、愛とは何か、自分を信じて真っ直ぐ生きるとはどういうことか」探して来るよう励ますのでした。
それを帰ってきて話して聞かせるのだと。
その鎖を外せ!
一通り話し終えると、信長は「黒人奴隷の鎖を外せ」と言いました。
逃げる恐れがあると止められても「外せ」と強めます。
この鎖が重要です。
重たく、ジャラリと音を立てながら外される。
これぞ、奴隷の象徴です。
差別や迫害、虐待の象徴だからこそ、視聴者に見せ付けねばならないのです。
信長は教会建設を許可しました。
光秀が内裏の禁教令を持ち出しても、一切動じません。羽根飾りの帽子を被り、椅子でくつろぐ。
弥助となった黒人奴隷のことがごく短く語られます。
弥助の扱いが実によいものです。
信長は黒人差別なんてしなかったのだ――なんて嘘くさいアピールでの強調をしません。
弥助は諸肌脱ぎになったままずっと立ち尽くすままですし、登場人物も差別的とも取れることを口にしています。
そんな中で、信長が反対論を一蹴して鎖を外したことだけで、信長の精神性や弥助の感動まで表現しきった!
そこには、視聴者の受け止め方に委ねる信頼感があるのです。
ここで、信長の金屏風がローマへ向かうと説明されます。
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