大奥シーズン2医療編11回

大奥公式サイトより引用

ドラマ10大奥感想あらすじ

ドラマ大奥医療編 感想レビュー第11回 源内が青沼を連れて江戸へ

ときは幕末、慶応4年(1868年)4月――天璋院胤篤が、しずしずと廊下を歩んでゆきます。

彼の目指すところに先客がいます。

瀧山でした。

『没実録』を書いていますが、もうこれを引き継ぐ係の者はいないとか。

そう、これは大奥が終わりゆく光景です。

大奥初代総取締であった万里小路有功と、瓜二つの顔をした天璋院。

彼は大奥が閉じてゆくさまを見届けようとしています。

若い男性のみが罹るおそるべき流行病、赤面疱瘡のせいで、江戸時代の日本における男女比は歪みました。

女の四分の一しか、男がいない。そんな国では頂点に立つ将軍も女となり、その将軍に侍る美男三千人の世界が、この「大奥」の世界です。

闇に葬られたまことの姿、第二幕が開幕――赤面疱瘡撲滅に挑んだ八代将軍・吉宗の志を継ぎ、田沼意次が新時代に挑みます。

吉宗の薨去より、およそ二十年後の物語となります。

【TOP画像】ドラマ『大奥』/公式サイト(→link

 


吉宗の積み残した課題

本編へ入る前に、少し歴史的な背景を確認しておきましょう。

吉宗から後の世代が、何に直面したのか?

この世界観では赤面疱瘡撲滅になりますが、実際には経済の転換点でした。

日本だけでなく、東洋全体の傾向にも関わってきますので、グローバルヒストリー目線で振り返りたいと思います。

◆内向きを変えて、外向きに

江戸時代前半までの世界を経済視点から眺めると、決して西高東低ではありません。

むしろ東洋こそが豊かといえました。

清全盛期の乾隆帝は、イギリスのマカートニーから貿易を求められました。

しかし、清からすればイギリスから買いたいものはない。

清の茶葉や絹が欲しくてたまらなかったイギリスとしては、悔しい話です。

この状況は日本にとっても同じ。家康の時代は西洋の武器や技術が欲しくてたまらなかったけれど、家光時代ともなるとそうではなくなる。

むしろ貿易で金銀が海外に出ていくとなると困る――吉宗の時代も直面する問題であり、輸入超過品目の一つに朝鮮人参がありました。

中国大陸北部と朝鮮半島の狭い地域でしか取れない朝鮮人参を、なんとかして日本でも栽培可能にして、外貨流出を食い止めたのは、吉宗の大きな功績の一つでもあります。

しかし、日本、清、朝鮮といった東洋が内政を整えているころ、西洋諸国は科学革命を成しつつありました。

こうした状況を“東の停滞”と片付けてしまうのは単純化しすぎではありますが、海禁政策を取り、内向きであったことは否定できません。

そんな内向きな考え方を変えようとしたのが田沼路線です。

◆経済の変革

家康以来、幕府は江戸に都を置き、米本位体制をとりました。

そのおかげで仙台藩や庄内藩では米作が大幅に改善し、人口増大といったメリットがあります。

同時にデメリットもあります。

織田信長にせよ、豊臣秀吉にせよ、交易を重視していました。その行き過ぎが秀吉の「唐入り」の背景にもあったと考えられます。

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家康はその逆を選択しました。

金山銀山を幕府の管理下におき、あくまで米本位で経済の流れを押さえていく。徳川だけの方針でもなく、中国の明朝以降でもそうした現物主義傾向はありました。

しかし、いずれ行き詰まります。

その行き詰まりの打破に挑んだのが田沼ですが、なかなか理解されません。

金本位で経済を回すことは、贈収賄まみれだと誤解されるようなリスクがあります。経済対策の立て直しとは、汚職疑惑との対峙を意味するものでもあります。

田沼は徹底的に憎まれながらも、決して方向性は間違っていない。それはドラマの世界観でも描かれてゆきます。

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家光時代の春日局は、国がゆらぎ、また乱世に戻るのではないか?と危惧していました。家光たちはその懸念を払拭する必要があった。

綱吉時代は、思想を泰平の世にふさわしいものにせねばなりません。

生類憐れみの令はやりすぎかもしれないけれども、命を大事にする精神性を植え付けるには必要悪でもあった。

吉宗時代ともなれば、世は安定してきたようでいて、実際は綻びが見え始めている。吉宗はその立て直しに尽力するも、志半ばでした。

そうした時代の歪みと、これからを生きる人々は向き合ってゆきます。その歴史を見る目も、変わってゆきます。

吉宗までのシーズン1は、将軍目線からの歴史が描かれました。シーズン2は平賀源内青沼といった、民衆目線からの歴史が描かれます。近世から近代へ、歴史の主役も変わってゆくのです。

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権太夫、長崎へ

明和6年(1769年)夏、長崎に平賀源内が立ちます。

長崎には出島がある。国際交流の窓口であり、知識人にとっては憧れの土地でもあります。

なんせ清人に漢詩文の添削を頼んだり、オランダ人から知識を得たり、好奇心旺盛な人であれば「一度は行ってみたい!」となる場所でした。

源内は「権太夫」という名前で、吉雄耕牛という男に話しかけています。

それを不思議そうに見ているオランダ人の商船員。

なんでも女は蘭学禁止だそうで。男女比が諸外国に知られてはまずいため、幕府が禁止していたのです。それなのに源内はしつこい。

吾作という金髪碧眼の男が、源内をつかまえて凄みます。

と、源内はビビるどころか「異人だって日本語ペラペラに喋れるなら自分だって蘭語が喋れる!」と逆に嬉しそうだ。

そして吾作による鉄拳制裁を受け気を失いました。

どうやら吾作は、源内を殴ってから女性だと気付いたようです。

気絶した源内は部屋に寝かされ、介抱されています。耕牛にたしなめられ、吾作が頭を下げると、源内は内命があると明かします。

なんでも大奥に、蘭語や蘭学を学べる蘭学者を連れてこいとのこと。

大通詞で、蘭学者で、蘭方医でもある吉雄耕牛なら知っているだろうから、弟子でも紹介できないか?というわけです。

で、早速、目の前の吾作はどうか、待遇は用意するとペラペラペラペラ話が止まりません。原作の早口が見事に再現されています。

しかし吾作は鼻で笑う。そんな将軍に気に入られることばかり考えて、城に閉じ込められるなんて御免だ。

そんなやつらに蘭学はできないと言いながら、吾作は、江戸期の大通詞事情をぶちまけます。

辞書もない中、耳を研ぎ澄まし、オランダ語を話し、医学までやらなきゃいけない!

そうなのです。昔は学問の分け方が大雑把でした。例えばこの大通詞は中国語も求められたりした。幕末に英語が必要になると、それも要求されます。

言語を個別に数えるのではなく「日本語以外」とまとめてひとつのカテゴライズをするので、無茶苦茶辛いのです。

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吾作を江戸へ連れて行ってもいいかい?

吾作のリアクションを見て、源内はますますテンションが上がります。

江戸っ子に引けを取らねえ啖呵が気に入った!

しかし、師匠の耕牛は吾作を手放したくありません。いずれ長崎をしょってたつ男と見込んでいて、養子にして仕事を譲ろうとしているとか。

そのためキッパリと断る耕牛ですが、そうも言ってられない事情もありました。

彼には実子がいます。そのため妻は、養子を迎えることは大反対。吾作が“合いの子(ハーフ)”であることを持ち出し、他の通詞や医者が嫌がっていると焚き付けます。

このやりとりを廊下で聞いてしまい、胸が苦しくなる吾作。

薪割りをしていると、そこへ源内が現れました。聞けば、元々は兄がこの家の下男であり、その兄が若くして亡くなったため弟である自分が置いてもらえるようになった。

そして本をこっそりと読んでいるうちに、先生が目をかけて教えるようになったのです。

源内は、その兄の死因を臆せず聞きます。

赤面でした。なんでも源内も弟を赤面で失ったとか。そこで私たちは似ている!とまくしたてるも、吾作は戸惑います。

源内は武家の出身でありながら家を追い出されたとか。

それならなぜ偉い人の命令を受けられるのか?と吾作に尋ねられると、ちょっと照れています。なんでもその人に「ありがとう」と言われたいからだとか。

ありがとうと言われるのが何より好きだと微笑む源内。その言葉は、吾作の兄と同じものでした。

「合いの子はなんもせんでも気味悪がられる! そんな自分たちが人に好かれるには、よいことをするしかない!」

そう言い残し、赤面を患った吾作の兄は、海に身を投げました。

「お前はい〜っぱい、ありがとうって言ってもらえる人になるとよ」

それが兄の、最期に残した言葉でした。

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