こちらは3ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【ドラマ大奥医療編 感想レビュー第11回 源内が青沼を連れて江戸へ】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
ありがとうと言われるために、手を尽くす
青沼は、黒木が迎えにくるまで『没実録』を読み耽っていました。
赤面が流行しだした由来を知り、驚愕しています。
しかし、これだけ貴重な情報があって閲覧制限もないのに、大奥の者たちは保身ばかりに夢中で、書物などには興味がないと黒木は吐き捨てる。
黒木も、初めて読んだ時は驚いたとか。けれども、彼は医者も蘭学も嫌いなのだとか。
捨てられているサボンに目をとめる黒木。
笑顔で受け取り、捨てられていたのです。青沼は苦笑しつつ、それを拾うのでした。
蘭学講義には、誰も受講者がいません。そんなことには慣れっこだとして、黒木に着席する促す青沼。
教え子として講義を成立させて欲しいと頼みます。
するとそこへ、僖助という男がきて、驚いてしまいます。なんでも御半下部屋に病人が出たとかで、大奥の医者は御目見以上しか診察しないとか。
青沼は力強く、参りましょうと答え、病人のもとへ向かいます。
御半下の病人は怯えるものの、青沼はかえって脅しつけつつ、冷静に治療します。
風熱(インフルエンザ)でした。
感染を広げないようにするべく、隔離を指示して、サボンによる手洗いを推奨。
同時に部屋の湿度をあげ、体を冷やし、対症療法を進めます。
隔離、予防、治療と適切に処置してゆく青沼。
親身な治療に黒木は驚いています。
脈を取り、薬を飲ませて終わりではないのかと疑問を口に出すと、病の治すのは患者の体の力だと青沼が答えます。薬も看病も、その体の感情を減じないようにするものとのこと。
その瞬間、黒木は、自身の父を思い出しています。
父は、プラシーボを飲ませて大金をせしめる悪徳医者でした。その姿に幻滅していた黒木。父は、青沼と同じことを口にしていました。患者の体の力を助けるだけだと。
黒木には父の言葉は詭弁に聞こえ、医者は浅ましいと軽蔑していました。
青沼は、好かれたくて、ありがとうと言われたい自分も浅ましい医者だと言います。
うつむき、何かを考えてしまう黒木。
彼は悟りました。感謝を銭金に変えて求めることが浅ましいことだと。心を、誠意を、謝意を欲するだけならば浅ましくはない。
そう青沼に言うことで、彼の中にある父へのわだかまりが消えたのでしょう。医者が悪いのではない。誠意ある医者になればよいのだと。
風熱の結果、御目見以上は24名が亡くなりました。それなのに、今回は御目見以下のほうが犠牲が少ない。その報告を受けた田沼が驚いています。
これも医学を考える上で大事なことでしょう。
中世ヨーロッパの絵画では、死神が鎌を振るって王侯貴族から庶民まで殺してゆきます。
しかし病による死は不平等であり、貧しい者ほど多く亡くなります。
患者の体の力そのものが大事ならば、良いものを食べ、清潔な暮らしをしているもののほうが抵抗力がある。現在にも通じることでしょう。
田沼がその理由を尋ねると、高岳は「青沼のサボンではないか?」と差し出します。
新たなる青沼の教え子たち
黒木が上機嫌でオランダ文字を書いています。
青沼が褒めると、初めて字を褒められたと答える黒木。
青沼が、悪筆のたとえである「ミミズがのたくったような」と言いますが、褒めたつもりなのでしょうね。綺麗な筆記体です。
黒木は困惑しながら、自分は蘭学に向いているのかと疑問を口にします。
蘭学が嫌いなのかと尋ねられ、それでも好かれれば好意を持つのが定めだと黒木は言い出します。蘭学が自分を好きなら、好きになろうということ。照れていますね。
するとそこへ、反抗的な態度の受講希望者・伊兵衛が入ってきます。堂々と春本を広げ、青沼が驚いています。
黒木が「大奥では禁止だ」と嗜めると、「そんなこと言って没収して自分が読むのか?」とからかう伊兵衛。
するとそこへ、回復した僖助たちがやってきてお礼を言うと、続けて、家治と正室の五十宮も入ってきました。
夫妻は仲睦まじく、サボンに興味が持ったとか。
誠実な青沼は、サボンそのものが風熱から守るわけでも治すわけでもないと答え、病気予防の術はまだ見つけていないと言います。
五十宮はその誠意に感服しています。そして彼も、今日からここの教え子だとして講義の席につくのでした。
そのころ源内は猟師と共にいました。鉄砲で熊を倒し、皮を剥ぐと、皮膚の下は一面赤面疱瘡ができていました。
江戸後期の進歩は、西と東が混ざり合ってこそ
本作は、森下佳子さんが脚本だけあって、医学進歩の描写が盤石だと思えます。
平賀源内が本草学者ということも出てきて、ドラマ自体はSFでありながら『らんまん』にまで接続できる秀逸さです。
回想に出てきた小川笙船の取り組みも重要。その成果が、貧民救済やインフラ整備です。
黒木父のような儲け主義の医者が出てしまうほどに、医療が民衆にまで浸透した。
しかし簡単な薬でも、普及までには時間がかかるものであり、落語でおなじみの悪口に「葛根湯医」というものがあります。
誰だろうが葛根湯しか出さねえヤブ医者が!
そういう意味の言葉です。葛根湯は副作用があまりなく、適応範囲も広いので、無難っちゃ無難。今でも薬局で売られるほどには汎用性は高い。
吉宗以前の時代は、「葛根湯医」ですら、なかなか存在しません。
『麒麟がくる』の駒は、芳仁丸という汎用性が高く、安価な丸薬を販売していました。それが当時では画期的という設定でした。
戦国末の、駒ですら奇跡的になりかねない状況が変わったのが、江戸時代も折り返しを過ぎた頃のこと。それも一通り普及してしまうと、人はありがたみも忘れてしまうのでしょう。
民衆が最低限の医療へアクセスできること。そこまでが描かれ、次のステップとして、予防医学へ進みました。
手洗いをして、菌やウイルスを近づけない。衛生環境ゆえに患者が減っているのです。
「なんだ、そんなことか」と思ってしまうのは現代人だから。
西洋医学でもこの頃は手洗いの効能すら理解できておらず、「血まみれでこそ医者だろ」と言わんばかりの姿でうろつく者がいたほど。不潔な治療で、アメリカ大統領すら命を落としたこともあるほどです。
実はこの話は、人種差別も関係しています。
大統領治療の際、黒人の医者が不潔な治療が悪いのではないか?と疑念を抱き、白人の医者に進言しているのです。
それを「黒人が何を言うのだ」と一蹴したせいで最悪の結果を招いています。
命がかかっていても差別をやめられないこと。それこそが人の心の病かもしれません。
手を洗わずに手術や出産をして死者多数の時代~アメリカ大統領も死んでいた
続きを見る
そこを踏まえ、経験則でサボンの効能を知っていたのが青沼と師匠の耕牛なのでしょう。
今回はさわりで、登場人物の紹介になり、次回でいよいよ大きく物語も医療も動き出します。期待も高まります。
とはいえ、このドラマが凄まじいのは、希望の芽生えと絶望の予感も同時にあるところです。
一橋治済は、まるで彼岸花のよう。
真っ赤で美しいのに、毒を持ち、どこか死の翳がある。次回を楽しみに待っています。
あわせて読みたい関連記事
ドラマ10大奥・平賀源内は史実でも田沼が重用? 天才本草学者の生涯
続きを見る
ドラマ大奥・青沼のモデルは?鎖国下の日本で青い目の侍はあり得る?
続きを見る
漫画・ドラマ『大奥』で怪物と称された徳川治済はどんな人物だった?
続きを見る
小川笙船が吉宗と共に日本中へ広めた医療改革~今まさに見直される東洋医学史
続きを見る
徳川吉宗は家康に次ぐ実力者だったのか?その手腕を享保の改革と共に振り返ろう
続きを見る
らんまん主人公モデル・牧野富太郎はカネに無頓着な植物バカ一代
続きを見る
NHKドラマ10大奥で描かれた「家光~吉宗将軍期」は実際どんな時代だった?
続きを見る
文:武者震之助
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考・TOP画像】
ドラマ『大奥』/公式サイト(→link)