これでは公武合体のために子ができぬ。こいつは何者? もしや間者では?
そう判断した瀧山は、初夜を待つ徳川家茂のもとへ偽和宮を抱えてゆきます。
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和宮は女の間者なのか?
驚く家茂に、成敗しなければならぬという瀧山。
しかし家茂は冷静です。
こんな簡単に見抜ける間者などいるのか? それどころか、和宮がくしゃみをすると気遣い、そっと着物をかけています。
寒くないと強がる和宮に対し、家茂は風呂で恥ずかしくなかったか?と問う。
東の者に見られても虫ケラと同じだと強がる彼女のことを、家茂は高貴な生まれであろうと探っているようです。
その直後、和宮は気が抜けて倒れ込んでしまうのでした。
家茂が、和宮に随行してきた者たちを尋問すると、土御門が「本物の和宮は首を括った」と居直る。
そこまで江戸下りが嫌われているのか……。
瀧山はそれならば帝に伺いを立て別の男子にせぬかというと、なかなか大変なことが語られます。
岩倉という薩摩と近い公家が何をするのかわからない。
岩倉具視ですね。金欠であるため、ぬけぬけと贈収賄に転ぶ公家が多かった中、岩倉具視はさらに輪をかけて何かを企んでいました。
他の公家と一味違うことは、明治政府でも実績があることから窺えます。お飾りで入った公家とは、腹の座り方も知能も違ったのです。
では、あの偽和宮は誰なのか。家茂が尋ねると、観行院が本物の姉だと明かします。
生まれつき左手が欠損していたため、表に出さずに育ててきた。いてもいないような人ならば身代わりにできる。
この観行院こそが、和宮と偽和宮の実母でした。
そして和宮の姉の乳母だと堂々と宣言する土御門は、お手打ちにするか? 徳川を謀ったかと訴えるか? と開き直り、公武合体を盾にとってきます。
瀧山が顔色を変えそうなところを、家茂が制する。和宮が女であることを固く秘すことと宣言します。
皆はその威厳にハッとさせられているのでした。
鈴の廊下を歩く「最後の将軍」
家茂は和宮にやさしくそっと声をかけ、夜具の隣に身を横たえます。
翌朝、和宮が目覚めると、母の観行院が横にいました。朝食を食べる和宮。その周りには几帳が立てられ、京風となっています。
一連の出来事を瀧山から聞いて驚く天璋院。
しかも帝は知らぬとのこと。公武合体のために守るべき秘密ができました。
いくら秘密にしようとも姿や声で気づかれないかという懸念が拭えません。薩摩の間者ならたやすく見抜くでしょう。
そこで瀧山は、和宮の性別を隠すことを第一としたいと提言します。
鈴が鳴り、新たなる将軍にして、最後の将軍である家茂が大奥を渡ってゆく。
最後の将軍というと徳川慶喜ではないか?
そう思いますよね。学校でそう習いますし、実際、本にも書いてある。大河ドラマ『徳川慶喜』は司馬遼太郎の原作タイトルも『最後の将軍』です。
しかし、それはあくまで名目上のこと。
明治の幕臣、御家人、旗本、江戸っ子にとっては、家茂こそ最後の公方様でした。
そして大奥から暇を出された者にとって、慶喜は将軍として大奥で寝起きもしておりません。なんせ父・徳川斉昭と揃って大奥に経費節約圧力をかけてきた“敵”です。
慶喜はこのドラマでも鈴の廊下を歩くことはない。
そこを踏まえ、この凜とした家茂が歩くさまはなんと儚く、美しいことでしょうか。夜空に消える花火のように見えます。
しかし家茂の後ろには御台がおらず……大奥の男たちはヒソヒソと話しています。気が気でない瀧山。
仲野は、大奥の男たちをなんとかなだめようとしています。高貴な身分であるがゆえに人前に姿を見せないと……。
東西対決
あの几帳もそうか?
和式建築の遮蔽物ならば江戸にも当然ありますが、屏風になります。
京都は時間が止まったと言いますか、更新されていない。この几帳はちょっと手入れすれば『光る君へ』でも流用できそうですもんね。
するとそこへ和宮つきの者たちが扇を手にし、「ほほほほ」と笑いながらやってきます。
フィクションでおなじみの麻呂笑いですね。彼らが手にしている扇にご注目ください。
『鎌倉殿の13人』で大江広元が手にしていたようなクラシックな作り。この時代の江戸っ子となれば、今とさして変わらぬ竹の骨で薄い紙を貼ったものが主流です。
そしてそんな江戸からすれば、裸足で歩く連中は行儀が悪い!
これも技術進歩の差です。『鎌倉殿の13人』では足袋すら履けないから大変だったと演者が振り返っています。足袋は、時代が降ってやっとできたもの。
几帳と屏風。扇子のちがい。裸足と足袋。どれも数世紀分の技術力の差があるのです。
京風はそれが雅とかなんとか言い繕っても、要するに文明進歩が止まっているということでもある。
呼び止められた江島は嫌味たっぷりにこう返す。
「下沓(しとうず)を履くんは帝のお許しを賜っただけ」
逆に言えば、そんな時以外は裸足であり、なかなか大変なことだと思います。
江島はさらに将軍のことを「東の代官」だと煽ります。
これも時の流れでしょう。家光や綱吉の時代は、有功にせよ、左衛門佐にせよ、その将軍の命じるままになるしかならなかった。
ただの歪み合いではなく、将軍の権力低下と、尊皇の強まりを一瞬で描く、秀逸な場面ですね。
瀧山は江島たちに頭を下げて詫び、他の者たちにも謝罪を促します。
調子に乗った江島は瀧山の手まで踏みつけ、高笑いしながら去ってゆくのでした。
不満げな大奥の男たちに対して瀧山はさらに詫び、この国ためにも堪えて欲しいと頭を下げます。
悔しげな瀧山の表情を見ていると、なんと大変な時代になったのかとこちらも悲しくなってくるほどだ。
その後、縁側で仲野に肩を揉まれている瀧山。
芝居も上手だと仲野が誉めると、芝居はいくらでもするが、あちらもわきまえて欲しいとつぶやくの瀧山でした。
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