和宮が女だった――瀧山はあまりのことに仰天しています。
これでは公武合体のために子ができぬ。こいつは何者? もしや間者では?
そう判断した瀧山は、初夜を待つ徳川家茂のもとへ偽和宮を抱えてゆきます。
和宮は女の間者なのか?
驚く家茂に、成敗しなければならぬという瀧山。
しかし家茂は冷静です。
こんな簡単に見抜ける間者などいるのか? それどころか、和宮がくしゃみをすると気遣い、そっと着物をかけています。
寒くないと強がる和宮に対し、家茂は風呂で恥ずかしくなかったか?と問う。
東の者に見られても虫ケラと同じだと強がる彼女のことを、家茂は高貴な生まれであろうと探っているようです。
その直後、和宮は気が抜けて倒れ込んでしまうのでした。
家茂が、和宮に随行してきた者たちを尋問すると、土御門が「本物の和宮は首を括った」と居直る。
そこまで江戸下りが嫌われているのか……。
瀧山はそれならば帝に伺いを立て別の男子にせぬかというと、なかなか大変なことが語られます。
岩倉という薩摩と近い公家が何をするのかわからない。
岩倉具視ですね。金欠であるため、ぬけぬけと贈収賄に転ぶ公家が多かった中、岩倉具視はさらに輪をかけて何かを企んでいました。
他の公家と一味違うことは、明治政府でも実績があることから窺えます。お飾りで入った公家とは、腹の座り方も知能も違ったのです。
では、あの偽和宮は誰なのか。家茂が尋ねると、観行院が本物の姉だと明かします。
生まれつき左手が欠損していたため、表に出さずに育ててきた。いてもいないような人ならば身代わりにできる。
この観行院こそが、和宮と偽和宮の実母でした。
そして和宮の姉の乳母だと堂々と宣言する土御門は、お手打ちにするか? 徳川を謀ったかと訴えるか? と開き直り、公武合体を盾にとってきます。
瀧山が顔色を変えそうなところを、家茂が制する。和宮が女であることを固く秘すことと宣言します。
皆はその威厳にハッとさせられているのでした。
鈴の廊下を歩く「最後の将軍」
家茂は和宮にやさしくそっと声をかけ、夜具の隣に身を横たえます。
翌朝、和宮が目覚めると、母の観行院が横にいました。朝食を食べる和宮。その周りには几帳が立てられ、京風となっています。
一連の出来事を瀧山から聞いて驚く天璋院。
しかも帝は知らぬとのこと。公武合体のために守るべき秘密ができました。
いくら秘密にしようとも姿や声で気づかれないかという懸念が拭えません。薩摩の間者ならたやすく見抜くでしょう。
そこで瀧山は、和宮の性別を隠すことを第一としたいと提言します。
鈴が鳴り、新たなる将軍にして、最後の将軍である家茂が大奥を渡ってゆく。
最後の将軍というと徳川慶喜ではないか?
そう思いますよね。学校でそう習いますし、実際、本にも書いてある。大河ドラマ『徳川慶喜』は司馬遼太郎の原作タイトルも『最後の将軍』です。
しかし、それはあくまで名目上のこと。
明治の幕臣、御家人、旗本、江戸っ子にとっては、家茂こそ最後の公方様でした。
そして大奥から暇を出された者にとって、慶喜は将軍として大奥で寝起きもしておりません。なんせ父・徳川斉昭と揃って大奥に経費節約圧力をかけてきた“敵”です。
慶喜はこのドラマでも鈴の廊下を歩くことはない。
そこを踏まえ、この凜とした家茂が歩くさまはなんと儚く、美しいことでしょうか。夜空に消える花火のように見えます。
しかし家茂の後ろには御台がおらず……大奥の男たちはヒソヒソと話しています。気が気でない瀧山。
仲野は、大奥の男たちをなんとかなだめようとしています。高貴な身分であるがゆえに人前に姿を見せないと……。
東西対決
あの几帳もそうか?
和式建築の遮蔽物ならば江戸にも当然ありますが、屏風になります。
京都は時間が止まったと言いますか、更新されていない。この几帳はちょっと手入れすれば『光る君へ』でも流用できそうですもんね。
するとそこへ和宮つきの者たちが扇を手にし、「ほほほほ」と笑いながらやってきます。
フィクションでおなじみの麻呂笑いですね。彼らが手にしている扇にご注目ください。
『鎌倉殿の13人』で大江広元が手にしていたようなクラシックな作り。この時代の江戸っ子となれば、今とさして変わらぬ竹の骨で薄い紙を貼ったものが主流です。
そしてそんな江戸からすれば、裸足で歩く連中は行儀が悪い!
これも技術進歩の差です。『鎌倉殿の13人』では足袋すら履けないから大変だったと演者が振り返っています。足袋は、時代が降ってやっとできたもの。
几帳と屏風。扇子のちがい。裸足と足袋。どれも数世紀分の技術力の差があるのです。
京風はそれが雅とかなんとか言い繕っても、要するに文明進歩が止まっているということでもある。
呼び止められた江島は嫌味たっぷりにこう返す。
「下沓(しとうず)を履くんは帝のお許しを賜っただけ」
逆に言えば、そんな時以外は裸足であり、なかなか大変なことだと思います。
江島はさらに将軍のことを「東の代官」だと煽ります。
これも時の流れでしょう。家光や綱吉の時代は、有功にせよ、左衛門佐にせよ、その将軍の命じるままになるしかならなかった。
ただの歪み合いではなく、将軍の権力低下と、尊皇の強まりを一瞬で描く、秀逸な場面ですね。
瀧山は江島たちに頭を下げて詫び、他の者たちにも謝罪を促します。
調子に乗った江島は瀧山の手まで踏みつけ、高笑いしながら去ってゆくのでした。
不満げな大奥の男たちに対して瀧山はさらに詫び、この国ためにも堪えて欲しいと頭を下げます。
悔しげな瀧山の表情を見ていると、なんと大変な時代になったのかとこちらも悲しくなってくるほどだ。
その後、縁側で仲野に肩を揉まれている瀧山。
芝居も上手だと仲野が誉めると、芝居はいくらでもするが、あちらもわきまえて欲しいとつぶやくの瀧山でした。
天璋院のあやまち
そして天璋院の出番です。
諭すように頼まれた天璋院は、薩摩切子を準備して和宮一行を呼び出します。
しかし、几帳はあっても座布団すらない。どこに座れというのか?と土御門が指摘します。
慌てて敷物を用意させようとすると、「気持ちはようわかった」と去ってしまう和宮。
逆効果でした。こうした話は実際にあったことだとか。
認識やら何やらの違いはあります。家茂は天璋院を義父と呼び恭しい、儒教倫理が徹底されているため、長幼の序をわきまえています。
和宮の場合、そこに東西の差が入ってくるからややこしい。そこが甘かったと悔やむ天璋院。それだけ天皇の血が尊くなってきているということでしょう。
胤篤が瀧山に詫びます。同席する家茂は怒るどころか、和宮の好物を知りたがっている。
まずいだの味が濃いだの言っていないか?と瀧山が懸念の表情を浮かべると、文句を言いながらよく食べると中澤が返す。
これは関西人あるあるネタだ。「東京のうどんの汁は真っ黒や」ですね。塩分量というよりも、使う醤油の色が違うとも指摘されますね。
家茂は食事と聞いて、ハッとしています。
思い出の味
家茂は、和宮のためにカステラを用意しました。
着眼点が大変よろしい上に、彼女は本当に聡明だ。
当時の砂糖は高級品です。貧乏皇族が食べられたとも思えない。それに甘いものは万国共通で好かれます。このころ来日し始めた外国人も、柿やお菓子は食べましたから。
和宮は真っ黄っ黄で気味が悪いと言いつつ、促されて一口食べると黙り込む。
彼女は無表情なようでいて、美味しいときは少しだけ顔が変わるんですね。カステラの美味しさが伝わってくる。それでも口では「花びら餅に比べたらあじない」と悪態をつくのですが……。
しかし何ら怯まないのが家茂。花びら餅は何かと尋ねると、牛蒡を味噌のあんで包んだ正月の菓子だと言われ、家茂は珍しがっています。
これにも東西の差があります。味噌と醤油では、味噌の方が歴史は古い。
醤油は中国を経て伝わってきた醤(ひしお)を元に技術を高めていった調味料です。日本全国どこでも食べるとはいえ、西は味噌、東は醤油上位となります。
お雑煮の作り方にも反映されています。
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はしゃぐ家茂に、そんなに甘いもんが好きかと少し呆れる和宮。
甘いものばかり食べ過ぎると叱られていたと振り返ります。一方で和宮は正月くらいしか甘いものなど食べられない。東西の経済格差がここでも浮かんできますね。
家茂はそれを察し、皇族ですら甘いものを食べられないとは、調停を粗略に扱った証であると頭を下げます。
嫌味を真に受けるなと困惑する和宮。
「せっかくのカステラがまずくなる」
思わず本音を漏らしてしまう和宮に対し、美味しいくて気に入ってくれたのかと家茂がはしゃいでいます。
「そこそこや……」と強がる和宮。
家茂の圧倒的な善意と素直さ、聡明さが相手の心を溶かしてゆく。
家茂はさらに大量のカステラをすかさず持ち出し、残りを皆で召し上がって欲しいと告げるのでした。
「お母さん、お母さん。これほんまに美味やからはよ召し上がっとくれやす。土御門も!」
和宮は母と乳母に振る舞っています。満足げに食べる相手を見て、喜ぶ和宮。そんな彼女の笑顔もこわばります。
観行院は感動しつつ、“本物の和宮“に食べさせたい!と声に出してしまうのです。
幕府は朝廷の言いなりなのか?
家茂のもとに、薩摩から国父こと島津久光がやってくるという知らせが届きます。
久光は兄・斉彬の死後、男児のいない兄の代わりに藩主となるのではなく、我が子の忠義(藩主時代は茂久)を継がせます。
ただし実権は掌握していました。自身にアンチが多いことを知り尽くしていた彼は表に出るのを敢えて避けたのです。
その上で兄の成し遂げられなかった路線を実現させるのだからデキる。
尊王意識が高まる中、敢えて江戸ではなく、兵と共に京都へのぼるのです。そして朝廷の後ろ盾を得ながら、江戸へプレッシャーをかける。
久光の要望は、一橋派の復権に加え、亡兄・斉彬も推していた「一橋慶喜の将軍後見職」でした。
このことを家茂に告げる際、板倉勝静の顔が少しひきつったところが絶妙です。
何か嫌な予感はあったのでしょう。彼は理解しています。
要するに、一橋派の目的が合議制であるということ。将軍と幕閣の力を削ぎ、自分たちの意見を通したいのです。
説明を少し加えておきますと、水戸藩は暴走した徳川斉昭の死の前後から、まとまりを欠いてしまい、やたらと危険思想を振り回す暴徒を撒き散らすことになります。
わかりやすい一例が芹沢鴨でしょうか。新選組の結成早々、あまりに暴れ回るため「あいつを野放しにしたら組織が崩壊する!」と危険視されて粛清されました。
新選組の幹部ですら制御できないほど水戸藩士は危険です。
そんな水戸藩士にとって待望のプリンス・一橋慶喜を後見職に――こう考えると、いかにこれが破滅的な一手か見えてくるでしょうか。
状況を理解した家茂は、そこで先手を打つことにしました。
勅使がやってきて、挨拶をする家茂。
後ろにいる久光が実に素晴らしい。幕末のお殿様らしい細面に、薩摩隼人らしい日焼けした肌。聡明さと上品さがあります。
どうにも久光は後世の悪評に引きずられ、変なキャラ付けをされがちで、馬鹿殿にされるのが一例でしょう。
役者は素晴らしいにも関わらず、脚本と演出がふざけていた『西郷どん』については、当時の島津当主が苦言を呈するほどでした。
『青天を衝け』でも、兄より老けて見える上に暗愚な描き方でした。
しかし、本作は違う。偏見を削ぎおとし、気品がある。この作品は、徳川斉昭といい、偏見抜きの再現度が素晴らしいと思います。
所作指導も厳しいため、すっと静かに頭を下げる姿も美しい。こういう久光が見たかった……としみじみ納得してしまいます。
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そこで家茂は勅使に対し先手を打ち、自ら「慶喜を後見職につけたい」と申し出るのでした。
公武合体を強化するためだと理由もつける家茂。
慶喜の生母は皇族であるため、この理屈は通ります。
背後では、久光が殿様らしく微かな動揺を見せています。久光はこの瞬間を忘れられないことでしょう……なぜ私はあんな男を政治に引っ張り込んだのかと、唇をわななかせながら悔しがる日が来る。
かくして家茂は「幕府が朝廷の意に従ったわけではない」という体裁だけは整えました。
慶喜が将軍後見職になってしまった
慶喜が将軍後見職になってしまった一連の出来事を家茂から聞かされる天璋院。
小手先であることは理解している家茂は、微かな希望も持っています。慶喜は朝廷や薩摩の覚えがめでたい、と。
しかし天璋院は複雑な顔をしています。
脳裏には、家定が断固として慶喜だけは拒んでいた思いがあるのかもしれません。
実際、慶喜が表舞台に出てくることは、数多の悲劇を生みます。
その理由は、このあと出てきた徳川慶喜の顔が映った瞬間に、私の胸の中にこみあげてきました。
カーッと嫌な思いが湧いてきたぞ!
和宮のおつきの者である江島たちも、オホホホと大笑い。幕府にはもう力がないとはしゃいでいます。
そんな者たちを静かに見ている和宮。母の観行院は、それなら公武合体はもういらない、京都に戻れるのではないかと期待を見せます。
即座にそれを否定するのが土御門。どう気張ってもこんなお手当もらえまへんし、貧乏暮らしに逆戻り……と生々しい本音が出てきた。
さらには“志士”という輩がうろつき回って、えらい物騒なことになっているとも付け加えます。
あまり大きく取り上げられませんが、実際、公家の中にも斬られた者がいます。しかも志士の連中は遺体損壊上等でやる者がいる。
生首を晒す。女は生き晒しにする。切った人体の一部を嫌いな人物の家屋敷に投げ込む。
幕末は、そこまで遠い昔でもない時代です。ご先祖が斬られた指がポロポロ落ちているのを見た、などという証言があるのが京都です。
それだけに、この短い台詞は実に秀逸でした。
幕末作品の京都は「青春の街のようなノリ」すらうっすらありますが、実際はテロリストがうろつき危険だと端的に示してくれました。
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彼女たちの話は観行院にとって不安でしかありません。すっかり混乱し、そんなところに居て本物の和宮は大丈夫か?と声を上げてしまいます。
大慌てで窘めれ たしなめられてしまうのでした。
観行院は偽和宮に、あの子はあんたみたいな胆の据わった子とは違うと訴えかけます。
とにかく帰りたい! 優しく細やかなあの子を守りたいと訴えます。
偽和宮は、これは政だから気持ちだけではどうにもならへんと静かに諭します。袖を握る娘の手を振りほどき、立ち上がって去ってゆく観行院でした。
花びら餅の味に思いだすことなど
和宮は思い出しています。
左手が欠損した娘が生まれたとき、母である仁孝帝典侍・橋本経子は帝にはいなかったことにすると決意を固めました。
それを聞いた兄は、そんなことをしたら帝からの養い金も頂けんようになると慌てるばかり。
幕末の皇室公卿は金がありません。
なにせあの明治天皇が生まれるとき、出産費用が足りず、仕えていた田中河内介が自腹を切って出したほど。
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左手が欠損した女児として生まれ、隠し通されたこと。養育費すら帝からもらえない。
母はもう一人の宮を産むと張り切りました。そして待望の弟が生まれると、母の愛は全てそちらに注がれました。
「ほんに宮さんはええ子、この家の光やわ」
そう喜ばれ、母の腕に抱かれる弟を、姉はじっと見ていました。
辛い生い立ちを思い出し、暗い気持ちへと沈んでゆく和宮。そこへ家茂がやってきて花びら餅を差し出します。なんでも御膳所に作らせてみたのだとか。
和宮は呆れつつも口に運びます。
「そうそう、この味」
懐かしい味に郷愁を誘われた和宮を見て、家茂は京都に戻りたいのなら何か手立てを考えると切り出します。先ほども夢に見ていたのではないかと気遣う。
咄嗟にそれを否定する和宮。それほど戻りたいわけではない。気を回すなと止め、それでいてお願いはあると切り出します。
母の観行院に金魚の琉金を贈ることでした。
金魚鉢を嬉しそうに眺める観行院。家茂は和宮様から承ったものだと言い、和宮は言わんでもよいと言いつつ嬉しそうな表情を浮かべます。
そこへ天璋院がお詫びにやってくる。連れてきたのはかわいらしい白猫……さと姫です!
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自信満々の笑顔だったのに、最悪のタイミングでした。金魚を見た途端、猫は早速飛びかかってしまう。
慌てて猫を捕まえ、出直してくると告げる天璋院。
観行院はこらえきれず笑ってしまい、和宮も嬉しそうにしています。
勝海舟は提言する
そんな時、恐るべき事件が――生麦事件です。
色々と不幸な行き違いがあり、イギリス人4名が殺傷された事件はあっという間に江戸に広まりました。
素朴な攘夷に喜ぶ庶民もいれば、そうでない者もいる。忙しく早足で歩く勝海舟その人だ。
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この勝が素晴らしい。江戸っ子らしい大股の歩き方。自然なようで、和装に慣れていないとなかなか大変ですし、袴をつけていない着流し姿がなんとも粋だ。
事件の重大性を理解すると、考えをめぐらし、即座に走り出す。着流しなので裾がまくれて脛がでるのがこれまたいい。
そして着替えて千代田まで登城し、べらんめぇ口調混じりで「これは恐ろしい話だ」と家茂に報告しています。
この声だけでもずっと聞いていたいくらい、いい江戸っ子口調、見事です。この声で読み上げる『氷川清話』のオーディオブックが欲しくなりますね。
軽快な口調で、大量の賠償金、あるいは開戦の危険性をズバリ言い出す勝。
これは当時の幕府も警戒しており、江戸っ子にも伝わりました。今後、治安が悪化し酷いことになってゆくと。
天璋院は、薩摩とイギリスが戦になる可能性を心配しつつも、それにより開国派になるのではないかと言います。
「現」(うつし)により考えを変える、薩摩の特長を知る天璋院らしい懸念です。
勝はいくらなんでもそんなはずはないと否定しかけ……この前会った坂本のことを話します。
攘夷論者として勝のことを斬りに来たのに、西洋の話を聞かせたら開国派になって帰っていった。
坂本龍馬のことですね。
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これは何も坂本龍馬個人の開明性のあらわれだけでもないと見た方がよいでしょう。
土佐藩には、吉田東洋という開明的な逸材がいて、山内容堂も全幅の信頼を抱いておりました。
しかし、この吉田東洋は、攘夷派の土佐勤王党に殺されてしまいます。
若い龍馬は、こうした情勢の中で揺れ動いてはいた。武市瑞山のような土佐勤王党の熱意もわかる。しかしどうにも血腥い。
そう揺らいでいるところに勝海舟の話がスッと入ってきて、迷いが吹っ切れたとすれば?
そんな土佐藩の一青年のことが語られることで、幕末史が説得力をもって見えてきます。
ご機嫌取りのために上洛せよ
そんな家茂のもとに、一橋慶喜がなんとも慇懃無礼な態度でやってきます。
用件は家茂に対する上洛の要請でした。都に拝謁せよとのことで、自分の預かり知らぬところで事態が進む家茂は動揺し、その経緯を尋ねます。
なんでも帝からすれば、攘夷をさせるために和宮を嫁がせたのだから、それをしようとしない幕府に怒っているとか。
今さら攘夷なんてできないと苦悶の表情の家茂。
外国と違約などしたら、それこそ攻める口実を与えてしまいます。
そこで慶喜に対し、後見役としてそのことを帝に伝えて欲しいというと、あからさまに面倒そうな顔を浮かべます。
なんでも朝廷側の機嫌を損ねるわけにはいかないとのことで、いやらしさ満点の口調で、水戸、薩摩、そして朝廷側の攘夷の期待を背負って復権したと言いだす。
今ここで彼らの機嫌を損ねたら公武合体など消えてしまう。
だから華麗に上洛せよとせっついてきます。
上洛にどれほどの意味があるのか?と家茂から返されると、こうですよ。
「要するに、帝の御機嫌取りにございますよ。何より大事にございましょう? ご機嫌とぉり」
いやらしさを煮詰めたような慶喜のこの顔よ。
そしてこれがこの男の最低最悪のところです。
慶喜は、家定が喝破した通り、人を思う心がない。そのくせ彼自身が、人はご機嫌さえ取り繕えば、思うままに動くと理解している。
人の心を操って思うままに操作し、役に立たなくなったら捨てる――そんな人でなしとしか言いようのない奸悪ぶりが詰まった人物です。
そりゃ、幕臣が嘆き、会津藩士は怒り狂うってもんですよ。
あなたこそ、この世を照らす光
夜、褥で家茂から事の次第を聞き、和宮は慶喜に対して怒っています。
しかし家茂は、帝と話す良い機会になると、かえってプラスにとらえている。開国派にできないかと期待を込めるのですが……。
そんなことできるのかと不安そうな和宮。
わからないけれど、やってみる値打ちはあると家茂。
家茂はここで、和宮の本名を聞こうとします。帝に宮様のことを聞いてみたいのだとか。
なにせ、このままでは何かあったとき、ただの和宮の偽物とされてしまう。そうならないためにも、妹宮としての証拠をいただきたいというのです。
和宮は不思議がります。なぜ自分に対しそこまでしてくれるのか。
宮様が来てくれたからこそ、徳川は公武合体ができた、大事なかけがえのない人だと家茂が応えますが……和宮は戸惑っている。
今までずっと粗雑に扱われ、人の好意を受け取りにくいのかもしれない。
和宮が、徳川のために来たわけではないと返すと、それもわかっていると家茂。
すると何か吹っ切れたのか、本物の和宮は生きていると、偽和宮の彼女は思わずつぶやいてしまいます。存じて……と頭を下げようとして驚く家茂に、偽和宮は説明します。
彼女は母を独り占めしたかった。左手がないから生まれたことを隠され、人目につかないように育てられた。それでも小さいうちは母がかわいがってくれた。
けれどもそれは弟が生まれるまで。母は弟に夢中になってしまった。
その弟に徳川に嫁ぐ話がでた。和宮は嫌だと抵抗するものの、莫大な金がもらえる。観行院は男装してついていくと言い、なんとか宥めようとするも、和宮は自害しようとまでしています。
これを聞き、姉である偽和宮の彼女が身代わりになることを決意。
本物の弟には出家を促します。
女の身ですぐに知られると母の観行院は懸念するも、それでも破談にしたら徳川には大恥だから受け入れるしかない。和宮が死んだことにすれば、どうにもならない。
そう深慮遠謀をめぐらせ、弟だって死にたくないはずだと説得するのです。
かくして和宮となりかわった姉は、土御門だけでなく母にもついてきて欲しいと頼んだのでした。
和宮を守るためだと脅すように母を説得し、そのうえで母を独り占めにする。悲しい子の願いです。
「ほんでこういうことになったわけや」
家茂は涙を落とします。
そんな思いでここまできているなんて……と感動しています。
騙されてどうして感動するのかと困惑する和宮。
家茂の感激は確かなものでした。
母を独占するしょうもない企みのおかげで、本物の和宮は守られた。誰も死なせずに済んだと家持ちは喜んでいます。
そして「何か気づかないか?」と問いかける。
知らぬ間に多くを救っているのだと言われ、和宮は混乱しています。家茂は江戸への道中で気づいたことはないかと問い掛けます。
思っているよりもよい旅だったと振り返る和宮。
土地の者はよい料理を出してくれる。布団は綺麗でやわらかい。花まで生けてあった。
「それは、民にとっても宮様が光だからです。日々暮らす民にとっては傍迷惑でしかない戦。公武合体はこれを避けるためのものです。そのために住み慣れた京を離れ江戸へ下ってくださる勇気ある宮様。これが光でなくて何でしょう。そのお方がそこにいらっしゃる。ただそれだけで、図らずも救われる人間が山のようにいる。そのようなお方を世の光と呼ぶのだと、私は思います」
そう言われ、目が泳ぐ和宮。
いちいち真面目で肩が凝ると言い、「もうやめて」と布団を被ります。
欠けた左手に顔を埋め、涙を流すのでした。
あふれる誠意の光が、帝の御心を動かす
翌朝、鈴の廊下では男たちが「また上様一人の総触れだろ」と軽口を叩いています。
すると和宮が静かに歩いてやってきた。
続いて現れた天璋院も彼女を見て、無言で驚く。
鈴が鳴り、家茂が歩いてきます。
改めてこの場面を流すことで、希望が満ちた歳月はなぜ短いのかと悲しくなってきます。
瀧山もほっと一息ついたあと、家茂は上洛することになります。
天璋院は「人が心を寄せる天賦の才をお持ちだ」と期待を込めたように言う。相手の懐に深く潜り込む才で、帝の心も掴むかもしれないと。
和宮が家茂の黒髪を切り、文久3年(1863年)、3千を率いて上洛。
徳川家光以来、実に229年ぶりのことでした。
帝の御前にて、公卿たちが「十二単でも来てやってくるのでは」「将軍が来たらからかってやろう」と待ち受けています。
そこへ装束姿の家茂が現れた。
凛々しく気高いその姿に、公卿たちは黙り込むしかなく、御簾の奥で帝が目を見張っています。
女でありながら、帝を守るために男装してきたというその誠意に、帝は心動かされている。
江戸では、和宮が旅立った家茂のことを思い出していました。
と、そのとき、何かが砕ける音がします。
観行院が金魚鉢を割ってしまいました。
天授の君:徳川家茂
家茂が上洛すると聞き、江戸っ子たちはこう思いました。
「公方様が京都へ向かうってよ。どんな旅路になるんだろうァ」
そう想像をふくらませるニーズを読み取った版元は、家茂目線の旅路を浮世絵として売り出します。
「東海道名所風景」、通称「御上洛東海道」です。
公方様よ、いってらっしゃい。そんな愛情が感じられます。
幕末のフィクション作品において、徳川家茂の存在感は薄い。これもおかしな話です。
彼を知るものたちは、こう呼んだほど。
「天授」――天から授かったような素晴らしい方であると。
優しい。あんなに素晴らしい方はいない。どうしてあのようなお方が、あの激動の時代に生まれてしまったのか。
そう幕臣たちは涙をこらえつつ、振り返ったものでした。
家茂は和宮と育んだ愛情から、美男で素晴らしい性格であったという描写はなされます。
けれども政治能力は下方修正されて、慶喜ではないといけないという誘導がなされてしまう。
そうではなく家茂自身が聡明で、何より人柄が素晴らしいことが『大奥』から伝わってきます。
慶喜が家定のあとに将軍になればよかったって?
そんなわけねえだろ!
残念なのは、家茂公がああも早くに亡くなってしまったことだよ!
視聴者がそう思えば、それこそが当時の民意を表している。江戸っ子や幕臣の思いに近づけます。
では、どうして明治以降の歴史でそうならなかったのか? そこを考えてみることこそが供養になるかもしれません。
本作『大奥』の家茂はただの良い人であることを超えています。
衣装からして、家茂肖像画の背景を連想させる色合い。家茂の写真は撮影されていたとされますが、破損して現存しません。
代わりにあの油絵の肖像画があります。それを見た勝海舟が「よく描けている」と涙ぐんだという作品です。

徳川家茂/wikipediaより引用
男か女か、そんなことではない。
この上ない善良さと聡明さを描くことこそが重要なのだと、今回はしみじみと思えました。素晴らしい。今までみた家茂の中で間違いなく最高で、光にあふれています。
そんな自らが放つ光に、気づいているのか、そうでないのか。
薄暗い閨で家茂から「宮様こそ光」と告げられ、彼女は涙をこらえきれませんでした。
眩い光に照らされて、闇の中で生きてきた和宮が自分の価値を思い知る。そんな素晴らしい場面でした。
しかし、そんな光がどうして薄められてきたのでしょう。何か分厚い埃が積もってしまった、その理由は何でしょう?
フォースの暗黒面:一橋慶喜
思えば『大奥』における一橋家は闇のようでした。
あの忘れられない一橋治済は巨大なブラックホールと化し、命ごと多くの者を飲み込んでいった。
その後継が途絶えかけたと思ったら、水戸という別の闇から慶喜が供給される。
悪夢です。いっそ慶喜が水戸藩主の方がマシだったような気がします(最後の水戸藩主は慶喜の異母兄・昭武)。
家茂が光ならば、慶喜は闇。
ライトセーバーを装備したら赤く光る。そういう禍々しさが出ていて、これも実に素晴らしいと思います。
家茂の話となると、幕臣は涙ぐみ「あんないい人いない!」という。
一方で慶喜の話となると、「あぁ……あの情けってもんがねえ人のことか」とテンションが下がる。
そこは武士なので、表立って悪様には言わないものの、テンションは下がります。会津藩士は自分にとって直接の主君ではないためか、ハッキリと貶しました。
ではなぜ、そんな慶喜名君論が出るのか?
原因その1:欧米評価の高さ
幕末に来日した外国人は、慶喜のことを大体誉めます。
彼らはまず日本人を褒めませんので、これは珍しいといえる。
外面はよかったし、付き合いが長くないため、本質を突かれることなく表面上は取り繕えたのでしょう。
原因その2:渋沢栄一
幕末史は明治以降、大きな声で色々語った方が目立つ。
例えば勝海舟、あるいは新選組ならば永倉新八が代表例でしょう。
渋沢栄一は、幕臣からすればロクでもない存在です。
もっと厳密に言えば「オメーさんよぉ、幕臣でなくて一橋家臣だよな?」となる。
根っからの幕臣というのは、古ければご先祖が家康の代まで遡れ、江戸生まれ江戸育ちだったような層を指します。阿部正弘は彼らだけで回す政治を変えたかったわけですね。
渋沢栄一の場合、江戸生まれではない豪農です。
ここまではまだよい。しかし、一橋家に雇われた経緯が、攘夷テロのせいでお縄になりそうだから、逮捕を免れるために転がりこんだというのはいかがなものか。
根っからの幕臣である小栗忠順は渋沢に対し、チクリとこんな嫌味を言っています。
「攘夷だ、幕府は情けねえってテロまでしておいて、今度は幕府に味方すんのかい」
そもそも幕臣になったことも渋沢にとっては想定外だったのでしょう。いざ慶喜に仕えたら彼が将軍となり、これはまずいと焦っていました。
そういう輩から「幕臣です!」と言われたところで、根っからの幕臣からすれば不愉快極まりない。
幕臣の子である幸田露伴は、渋沢伝記の執筆後、彼のことが話題に出ると不機嫌そうになり、あえて逸らしていたとか。
しかし、そんな渋沢が明治になって大金持ちになった。
すると、食うに困っている幕臣出身で才能溢れる連中を雇い、自分の経歴をキラキラと装飾できる。
自分は最後の将軍に仕えた忠臣である。その主君である慶喜公こそ、神君家康公の再来だ――そう盛りに盛って『徳川慶喜公伝』を出版しました。
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栄一と慶喜が残した自伝は信用できない?『徳川慶喜公伝』には何が記されてるのか
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確かにこうした書籍は史料としての価値はありますが、史料批判(つきあわせて検証すること)をしないといけません。
それが不十分なまま、さらに渋沢栄一をキラキラと仕上げたのが大河ドラマ『青天を衝け』でした。
あのドラマに私は絶望感と怒りの感情を抱き、今また『大奥』を見て、『青天を衝け』に対する怒りが再燃しています。
慶喜が帝の信頼を得ていると描いておりましたが、あれは家茂と松平容保が寄せられていた信頼を慶喜が盗んだような描き方でしょう。
孝明帝は誠意溢れる家茂と容保に信頼を寄せ、幕府と協力していこうと考えておりました。
慶喜はその横でプロデューサーのような顔をしていただけなのに、ドラマがそれを盗んだ。
推しのアイドルやミュージシャンなどを悪徳事務所が搾取していたら、みなさん腹が立ちませんか?
歴史上の人物でそういうことをしたのが『青天を衝け』です。
それを『大奥』では、あの腹立たしい慶喜が、無事に軌道修正してくれる。素晴らしいことだと思います。
「七実三虚」の誠意
七実三虚――という言葉があります。
正史『三国志』と『三国志演義』の違いを示すものとされます。
『三国志演義』は七割型史実に沿っていて、三割が虚飾だということ。
SFである『大奥』も、実はこの比率ではないか?と思えてきました。
幕末編になればなるほど、この作品は参考文献が増え、厳密になってゆきます。
男女逆転という大いなる虚無が根底にあるにも関わらず、かなり厳密。
その一例が、キャラクターの描き方にあります。
性別以外をのぞけばストイックなほどに史実に寄せてきている。
和宮はかなり捻りが効いていますが、それでも片腕欠損や替え玉は古くからある説を元にしています。
井伊直弼、勝海舟、徳川斉昭、島津久光、孝明帝といった人物まで、むしろ後世の偏見やフィクションでついた垢を落とすような造形で素晴らしい。
出来の良い原作をさらに磨き上げ、実にわかりやすくなっています。キラキラと飾り立てるのではなく、あくまで汚れを落とすようにして仕上げているのです。
遠山の金さんを目立たせながら、坂本龍馬は出さない。そういう容易な受け狙いをするわけでもない誠意も実に素晴らしい。
本当に歴史が好きで、愛のある人たちが作っているドラマにだけ宿る光が、この作品には溢れています。
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【参考・TOP画像】
ドラマ『大奥』/公式サイト(→link)











