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【ドラマ大奥幕末編 感想レビュー第19回】
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天授の君:徳川家茂
家茂が上洛すると聞き、江戸っ子たちはこう思いました。
「公方様が京都へ向かうってよ。どんな旅路になるんだろうァ」
そう想像をふくらませるニーズを読み取った版元は、家茂目線の旅路を浮世絵として売り出します。
「東海道名所風景」、通称「御上洛東海道」です。
公方様よ、いってらっしゃい。そんな愛情が感じられます。
幕末のフィクション作品において、徳川家茂の存在感は薄い。これもおかしな話です。
彼を知るものたちは、こう呼んだほど。
「天授」――天から授かったような素晴らしい方であると。
優しい。あんなに素晴らしい方はいない。どうしてあのようなお方が、あの激動の時代に生まれてしまったのか。
そう幕臣たちは涙をこらえつつ、振り返ったものでした。
家茂は和宮と育んだ愛情から、美男で素晴らしい性格であったという描写はなされます。
けれども政治能力は下方修正されて、慶喜ではないといけないという誘導がなされてしまう。
そうではなく家茂自身が聡明で、何より人柄が素晴らしいことが『大奥』から伝わってきます。
慶喜が家定のあとに将軍になればよかったって?
そんなわけねえだろ!
残念なのは、家茂公がああも早くに亡くなってしまったことだよ!
視聴者がそう思えば、それこそが当時の民意を表している。江戸っ子や幕臣の思いに近づけます。
では、どうして明治以降の歴史でそうならなかったのか? そこを考えてみることこそが供養になるかもしれません。
本作『大奥』の家茂はただの良い人であることを超えています。
衣装からして、家茂肖像画の背景を連想させる色合い。家茂の写真は撮影されていたとされますが、破損して現存しません。
代わりにあの油絵の肖像画があります。それを見た勝海舟が「よく描けている」と涙ぐんだという作品です。
男か女か、そんなことではない。
この上ない善良さと聡明さを描くことこそが重要なのだと、今回はしみじみと思えました。素晴らしい。今までみた家茂の中で間違いなく最高で、光にあふれています。
そんな自らが放つ光に、気づいているのか、そうでないのか。
薄暗い閨で家茂から「宮様こそ光」と告げられ、彼女は涙をこらえきれませんでした。
眩い光に照らされて、闇の中で生きてきた和宮が自分の価値を思い知る。そんな素晴らしい場面でした。
しかし、そんな光がどうして薄められてきたのでしょう。何か分厚い埃が積もってしまった、その理由は何でしょう?
フォースの暗黒面:一橋慶喜
思えば『大奥』における一橋家は闇のようでした。
あの忘れられない一橋治済は巨大なブラックホールと化し、命ごと多くの者を飲み込んでいった。
その後継が途絶えかけたと思ったら、水戸という別の闇から慶喜が供給される。
悪夢です。いっそ慶喜が水戸藩主の方がマシだったような気がします(最後の水戸藩主は慶喜の異母兄・昭武)。
家茂が光ならば、慶喜は闇。
ライトセーバーを装備したら赤く光る。そういう禍々しさが出ていて、これも実に素晴らしいと思います。
家茂の話となると、幕臣は涙ぐみ「あんないい人いない!」という。
一方で慶喜の話となると、「あぁ……あの情けってもんがねえ人のことか」とテンションが下がる。
そこは武士なので、表立って悪様には言わないものの、テンションは下がります。会津藩士は自分にとって直接の主君ではないためか、ハッキリと貶しました。
ではなぜ、そんな慶喜名君論が出るのか?
原因その1:欧米評価の高さ
幕末に来日した外国人は、慶喜のことを大体誉めます。
彼らはまず日本人を褒めませんので、これは珍しいといえる。
外面はよかったし、付き合いが長くないため、本質を突かれることなく表面上は取り繕えたのでしょう。
原因その2:渋沢栄一
幕末史は明治以降、大きな声で色々語った方が目立つ。
例えば勝海舟、あるいは新選組ならば永倉新八が代表例でしょう。
渋沢栄一は、幕臣からすればロクでもない存在です。
もっと厳密に言えば「オメーさんよぉ、幕臣でなくて一橋家臣だよな?」となる。
根っからの幕臣というのは、古ければご先祖が家康の代まで遡れ、江戸生まれ江戸育ちだったような層を指します。阿部正弘は彼らだけで回す政治を変えたかったわけですね。
渋沢栄一の場合、江戸生まれではない豪農です。
ここまではまだよい。しかし、一橋家に雇われた経緯が、攘夷テロのせいでお縄になりそうだから、逮捕を免れるために転がりこんだというのはいかがなものか。
根っからの幕臣である小栗忠順は渋沢に対し、チクリとこんな嫌味を言っています。
「攘夷だ、幕府は情けねえってテロまでしておいて、今度は幕府に味方すんのかい」
そもそも幕臣になったことも渋沢にとっては想定外だったのでしょう。いざ慶喜に仕えたら彼が将軍となり、これはまずいと焦っていました。
そういう輩から「幕臣です!」と言われたところで、根っからの幕臣からすれば不愉快極まりない。
幕臣の子である幸田露伴は、渋沢伝記の執筆後、彼のことが話題に出ると不機嫌そうになり、あえて逸らしていたとか。
しかし、そんな渋沢が明治になって大金持ちになった。
すると、食うに困っている幕臣出身で才能溢れる連中を雇い、自分の経歴をキラキラと装飾できる。
自分は最後の将軍に仕えた忠臣である。その主君である慶喜公こそ、神君家康公の再来だ――そう盛りに盛って『徳川慶喜公伝』を出版しました。
栄一と慶喜が残した自伝は信用できない?『徳川慶喜公伝』には何が記されてるのか
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確かにこうした書籍は史料としての価値はありますが、史料批判(つきあわせて検証すること)をしないといけません。
それが不十分なまま、さらに渋沢栄一をキラキラと仕上げたのが大河ドラマ『青天を衝け』でした。
あのドラマに私は絶望感と怒りの感情を抱き、今また『大奥』を見て、『青天を衝け』に対する怒りが再燃しています。
慶喜が帝の信頼を得ていると描いておりましたが、あれは家茂と松平容保が寄せられていた信頼を慶喜が盗んだような描き方でしょう。
孝明帝は誠意溢れる家茂と容保に信頼を寄せ、幕府と協力していこうと考えておりました。
慶喜はその横でプロデューサーのような顔をしていただけなのに、ドラマがそれを盗んだ。
推しのアイドルやミュージシャンなどを悪徳事務所が搾取していたら、みなさん腹が立ちませんか?
歴史上の人物でそういうことをしたのが『青天を衝け』です。
それを『大奥』では、あの腹立たしい慶喜が、無事に軌道修正してくれる。素晴らしいことだと思います。
「七実三虚」の誠意
七実三虚――という言葉があります。
正史『三国志』と『三国志演義』の違いを示すものとされます。
『三国志演義』は七割型史実に沿っていて、三割が虚飾だということ。
SFである『大奥』も、実はこの比率ではないか?と思えてきました。
幕末編になればなるほど、この作品は参考文献が増え、厳密になってゆきます。
男女逆転という大いなる虚無が根底にあるにも関わらず、かなり厳密。
その一例が、キャラクターの描き方にあります。
性別以外をのぞけばストイックなほどに史実に寄せてきている。
和宮はかなり捻りが効いていますが、それでも片腕欠損や替え玉は古くからある説を元にしています。
井伊直弼、勝海舟、徳川斉昭、島津久光、孝明帝といった人物まで、むしろ後世の偏見やフィクションでついた垢を落とすような造形で素晴らしい。
出来の良い原作をさらに磨き上げ、実にわかりやすくなっています。キラキラと飾り立てるのではなく、あくまで汚れを落とすようにして仕上げているのです。
遠山の金さんを目立たせながら、坂本龍馬は出さない。そういう容易な受け狙いをするわけでもない誠意も実に素晴らしい。
本当に歴史が好きで、愛のある人たちが作っているドラマにだけ宿る光が、この作品には溢れています。
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文:武者震之助
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考・TOP画像】
ドラマ『大奥』/公式サイト(→link)