どうする家康感想あらすじレビュー

どうする家康感想あらすじ

『どうする家康』感想あらすじレビュー第45回「二人のプリンス」

2023/11/27

宴の時じゃ――と登場する豊臣秀頼。

小柄な秀吉に対して大男だったとされるように見事な身丈です。

しかし成長曲線があまりに不自然だったことが頭をよぎります。

先週の放送で柱の傷を用いて成長の度合いを示していましたが、11~15歳までわずかな伸びだったのに対し、17~19歳にかけて急激に伸びていた。

人間の身長が一番伸びる第二次性徴期は10代半ば、13~16歳ぐらいのはず。

むろん個人差はあり、10代後半にかけて伸びる方もいますが、本作においてはドラマの展開に無理に合わせているようで興ざめしてしまうのです。

北半球なのに南に虹が出るとか。VFXが物理法則すら無視しているとか。甲冑に刀で切り付けるとか。重傷を負っているのにハキハキと話すとか。還暦過ぎた女性が若々しいままとか。

そういう現実味の薄さが、場面場面でドッと押し寄せてきて、辟易とさせられるのです。

民放やVODでワイワイやっていたなら、まだトンデモ歴史作品として認識できたのに、NHKの大河という枠で放送されるから辛くてたまらなくなってしまいます。

 


どうしようもない大坂城

ロケをとことん排除したこのドラマ。

だからこそ「城内で舞う」というわけのわからない描写が出てくるのでしょう。

青海波を舞う光源氏でも意識したのでしょうか。それともアイドルは踊るものという意識でもあるのでしょうか。

そして、ここでも衣装とヘアメイクが不可解です。

なぜ秀頼は頭頂部がそのままなのか。何も被らないものでしょうか。

千姫の焼き芋みたいな色の衣装も見ていられません。スイカバーの妖精・大久保忠世が終わったかと思ったら、今度は焼き芋の妖精です。

この作品の衣装は、前半はペールカラー、後半は暗くするようにしていますが、横並びでそうされても違和感ばかりが募ります。年齢は意識されていないのでしょうか。

剛毛でギトギトメイクの茶々だけでなく、千姫のメイクも濃い。

時代劇で当時のメイクを再現するのはまず無理です。

時代ごとの流行を取り入れても、それは必要悪でしょう。例えば80年代の時代劇は眉毛がしっかりしているものです。

そういう現代トレンドメイクからも程遠いため、わけがわからなくなる。

秀頼の所作もシャキッとしていない。

この秀頼は、たしかに俳優御本人はイケメンかもしれませんが、時代劇の“絵”として見た場合、2016年『真田丸』の中川大志さんを思い出して悲しくなるだけなんですよね。

 


どうする白い羽織

そしてここで家康のアップが入ります。

白い羽織がつくづく、しみじみと、残念だ。

白い服は汚れが目立つから、何か特別な意味あいでもなければ着ないもの。服の色論争は重要で、人類共通の話でもあります。

近世のヨーロッパ人は「古代ギリシャローマは白い服だったよな!」と勝手に妄想を膨らませ、ギリシャ彫刻の塗装まで剥がすという暴挙をやらかしました。

そういう価値観の時代であるナポレオン第一帝政時代は白いドレスで問題ありません。映画『ナポレオン』のジョセフィーヌが白いのもそう。

しかし、これは第一帝政だから正解という話です。

古代ギリシャやローマもので衣装を白くしすぎると「いつの時代のセンスなんだ?」と容赦なくツッコミが入ります。まぁ、これは西洋史の話ですね。

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大河ドラマは言うまでもなく東洋。

白は死の色となります。

婚礼衣装でも白を使う日本は特殊であり、本来、白は縁起が悪いとはみなされがちです。

何か特別な意図を示すのであればまだわかります。『大奥』シーズン2の胤篤の白い裃は素敵でした。『麒麟がくる』は五行説を取り入れた結果、秀吉のテーマカラーが白でした。

こういう白い衣装は意図があるし、きっちり模様も入っているので、理解できます。

しかし本作の家康は、白い羽織が悪目立ちばかりしている。

同じ白い服でも『陳情令』の含光君でも意識しているのでしょうか。比較になりません。

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どうしたっていうんだよ衣装は!

『大奥』の美術部トップは大原拓さん。

代表作として『麒麟がくる』があげられていて、納得しました。

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北野武監督映画『首』は、衣装デザイナーが黒澤和子さん。この方も『麒麟がくる』と同じです。

それに引き換え今年はなぜこんなことになってしまったのか。

『麒麟がくる』は担当者のステップアップとして機能しているのに……。

特別なことは必要ないでしょう。『麒麟がくる』まで戻すだけで十分。来年以降、そうなることを願い、今年はもう忘れるしかありませんね。

 


演技プランが全て壊れている

本多正信は毎度うんざりさせられる曲者演技。

秀忠はただの熱血。

正純は父を悪化させただけ。

全員の演技プランが崩壊していてわけがわからない……と同時に疑念が湧いてきます。

秀吉の遺児である豊臣秀頼――それが成長して徳川にとって“脅威”となった。それを示すのが、あの屋内ダンスと、この説明セリフだけなのでしょうか。

せっかく前回、空気を読めない真田信繁が軍事教練していたじゃないですか。例えばあれを警戒材料として出してもいい。

『大奥』シーズン2の井伊直弼の警戒心比較してしまうと、絶望的な差があります。彼は先手を打ち、危険な芽を強引に摘んでいこうとしていました。

 

どうする朱子学が理解されない世界

徳川家康は、朱子学を統治に生かそうとした。それが『麒麟がくる』では生きていたものです。

しかし『どうする家康』にそんなものを求めても無駄でしたね……。

この世界観には先人への敬意も、親への思いも何もありません。

父の本多正信を辱めるようなことを大声で平然という息子の本多正純

あれは何の冗談でしょうか?

愚かの極みとはこのことで、父を嗜めるにしても他にやりようがあるでしょうよ。我が子にすら孝行を教えられないくせに、アリバイとして朱子学を持ち出す本多正信は、一体何を考えているのか。

この大河ドラマは、史実云々で批判されるわけじゃない。

幼稚で底が浅く、大河どころか、せいぜいが子ども用ビニールプール程度の浅薄さだからでしょう。

本作の感覚は、親への態度がせいぜい昭和後期の中高生程度で止まっています。

 

でた! 嫁姑バトル

そのくせ価値観は古いんですよね。

ダメなドラマは嫁姑バトルが好きです。茶々と千姫もそのパターンを匂わせる。

人間関係の把握がせいぜい昭和後期か平成前期です。

 

猫に負けそうな「せいしょこさん」でどうする

加藤清正もどうにかならかったんですか。

声の出し方が弱い。高すぎるし、腹から出していない。

日本史に残る猛将がどうしてこんな情けないことになったのやら。

こんなせいしょこさんでは虎退治どころか、スマホを猫に向けたら逃げられていそう。

 

エキストラ指導ができるわけもなく

「秀頼公や!」

「忘れがたみじゃ!」

棒読みでセリフを読むエキストラたち。

ファミコンRPGの村人を思い出します。

 

プリンス対決は歴史というよりアイドル界で通じる理屈では?

二条城の会見――これを「二人のプリンス」ってどういうことでしょうか?

英語のプリンスを踏まえると、両者ともに一致しない。

秀頼を見る家康の目の陰険さだけは、妙にリアリティがあるからどうしたものか。

歴史的な文脈を無視して、若いイケメンに嫉妬する、もはや若くはないイケメンという構図は、ある意味斬新かもしれません。

女性同士はしばしばそんなしょうもない描かれ方をされてきましたから。

そもそも「二人」とは「秀頼と家康」なのか「秀頼と秀忠」なのか、ワケがわからなくなりそう。

ともかく侮蔑的な描写としか思えず、白雪姫と継母を連想しました。

作っている側は茶々を陰険な悪役として描いているつもりなのでしょうが、家康の方がよほど邪悪に思えます。

しかも戦国武将としての邪悪さではなく、おとぎ話のようだ。

いきなり上座だのなんだの言われて思ったこと全部ぶちまけられても、何が何やら。

策を自分で話さないでください。『パリピ孔明』の孔明を見習ってほしい。

 

どうするテンポ

このドラマの欠点は数え出したらキリがありませんが、テンポの悪さもあると思えます。

中身がないうえにテンポが悪く、時間稼ぎをいつもしているようで、ともかく退屈になってしまう。

『次にどんな展開が待っているのだろう?』

と、ドキドキして早く先が見たい!とはならない。

二条城の会見をこんなに長々とやる必要があったのですかね。さっぱり理解できません。

 

どうした秀頼

それにしても、秀頼の顔色が悪い。覇気がない。

毒でも盛られたのでしょうか?

覚えたセリフを棒読みしているだけのようにも感じてしまう。

 

どうかしているぞ真田信繁と忍者

あの忍者気取りの真田信繁は笑うところなのか?

左手に六文銭を握りしめて

「俺、いかにも怪しいです!」

という目つきはないでしょうよ。

『麒麟がくる』の忍者・菊丸は当初、視聴者までただの農民だと騙されていた。

しかし本作は目立ちすぎる忍者しかいません。

今回は北野武監督の映画『首』公開後ということもあり、あの作品と比較させていただきますと……。

『首』の忍者はかなり荒唐無稽でぶっ飛んでいます。

史実寄りではなく、江戸時代以降の講談、立川文庫、山田風太郎のノリです。ワイヤーでいきなり釣られて、空中で戦うことすらあります。

しかし、そうはいってもお馴染みの胡散臭さと派手さで演出されています。

遮蔽物を生かしたり、周囲に紛れ込む工夫もあります。BBC『ウォリアーズ』は出来がいいけれども、忍者描写はいまひとつ。

『首』をみていると、本場の忍者描写はよいものだとしみじみと満足感が味わえました。

リアルな忍者像を求めた『麒麟がくる』と、外連味たっぷり伝奇風にした『首』。よい対比です。

それが『どうする家康』の場合、こうですからね。

「あの服部半蔵が、実は忍術がヘタでヘタレだったらおもしろくない?ww」

何も面白くありません。『どうする家康』はメンタリティがいじめっ子なんですよ。

「あいつさあ、スゴイと言うわりにヘタレなんだよw」

標的にひとつでも些細な間違いを見つけると、延々とネチネチ小馬鹿にしてニヤついている。そういう精神性がこの作品には充溢しています。

立派な服部半蔵だけどヘタレwww

それで面白がれるのって、どれだけ幼稚で卑劣なんでしょうね。

しかし、あの不愉快極まりない服部半蔵の像は、映画『首』で桐谷健太さんが上書きしました。

精悍そのものの顔つきで家康の側に付き従い、重々しく「はい」と応じる。しみじみと、素晴らしい!

理想通りで、本当にあの映画を劇場でみてよかったと思います。

そうそう、あの服部半蔵は即座に家康の影武者を補充できます。その能力で大河ドラマにも送り込んで欲しいと思ってしまいましたね。

小林薫さんの家康はむろん素晴らしい。出てきたと思ったら即死する家康影武者だって、大河よりよほど家康らしい立ち居振る舞いでした。

 

それでも猫はかわいい

秀頼と千姫が猫と戯れる場面はいいと思います。猫がかわいいことは確かです。

ただし、『おんな城主 直虎』と『大奥』には遠く及ばない……。

このドラマのよいところは、あの猫だけかもしれません。

 

どうする大筒

三浦按針がやっと和服を着ました。

「どうだ! お前が前回文句つけてたけど、ちゃんと和服になったぞ!」

そんな風に言われそうですが、これだけ時間が経過していたらそうなるでしょう。むしろこれだけ時間経過しながら、まだ時計の話というのは一体何なのか。

そう思っていたら、もうどうしようもないことを言い出しました。

大筒をここで三浦按針に調達させたいってよ。三浦が「あれは威力が大きい」と心配そうな表情ですが、問題はそこですかね。

あの時点で発注して、大坂の陣に間に合うのか? どういうルートで、誰に依頼するのか?

当時はまだAmazonショッピングはできませんからね。

そもそも関ヶ原の時点で大砲はありました。BBC『ウォリアーズ』ではそうちゃんと描かれていたものです。

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文禄・慶長の役でも、明軍のフランキ砲が猛威を振るっている。明は瓦解が急激だったせいか日本では過小評価されがちだけれども、軍隊としては十分精強です。

そこを踏まえて、家康がドヤ顔で「すごいこと思いついた!」的に表現されても、悲しくなるばかりです。

では、なぜこんなお粗末な展開になるのか?

というと、本作の制作者が必要最低限しかやらないからでしょう。

大筒を撃ち込まれて茶々が絶望する話の前フリとしてしか意識していないため、せっかくの大筒も活かせないでいる。

 

人間の適性を理解しないパクリ家康

時計の仕組みを知りたい――そんなことを突然、アリバイ的に言い出す家康がどうしようもありません。

本当に、物事に没頭する好奇心旺盛な人物は、周囲の空気など気にせず、後先考えずに分解します。やらかします。朝ドラ『らんまん』でも、そんな描写がありました。

人生経験の浅い幼少期に「人と違う適性が出てくる」ことは、『麒麟がくる』でもきちんと表現できておりました。

松平竹千代のころから家康は沈着冷静だった。織田信長は幼少期から母の大切なものを破壊して、周囲から「うつけ」とされた。

本作の場合、それこそ『らんまん』あたりをうっすらと真似したのではないかと思えてくる。幼少期から今に至るまで変わらない家康の個性ですか。女のことばかりを考える下劣さですかね。

今川氏真が出てきて「家康は木彫りが好きだもんな」というのもよくわかりません。

このドラマは複数名がやたらと木彫りをしていますよね。むしろブームじゃないかと思うほど木彫り。なんでも木彫り。

連歌もねえ、
能もねえ、
読経もねえ、
書道もねえ、
趣味といったら木彫りだけ!
オラこんな大河嫌だ!

思わずそう歌ってしまいたくなるほど、木彫りまみれの本作。

石川数正も仏像を掘っていたし、マザーセナの木彫りウサギは、慈愛の国教団の重要な収入源である聖遺物じみていた。

これで家康の個性と言われてもなぁ。

最終盤まで人物設定すらブレブレじゃないですか。そんな最低限のことすら真っ当に表現できていない。

誤魔化そうと番宣だのSNS対策だのやらかそうが、無駄なものは無駄です。

 

今さら王道と覇王でどうする

結局このドラマの「王道」って「今川氏真が今から言い出したこと」扱いで気が遠くなります。

『青天を衝け』では孟子の言葉や、一部の儒教思想そのものを「渋沢栄一が思いついちゃった教えだよ」扱いしていて絶望したことを思い出しました。

『麒麟がくる』では出典を明かしていたのに。

本当は怖い渋沢栄一 テロに傾倒し 友を見捨て 労働者に厳しく 論語解釈も怪しい

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漢籍由来の概念を、引用も出典もなしにやらかし、自分たちが思いついたように言い出すのは、恥辱としか言いようがありません。

脳内で諸葛孔明が「恥ずかしいとは思いませんか?」と煽ってきます。私はもう、血反吐を吐いて倒れそうだ。

思えばこのドラマって「中華料理和食に分類されるんですよ!」と言い出しちゃった陰謀論者みたいなノリがずっとある。

漢籍知識が盤石な『麒麟がくる』から、わずか数年でなぜこんなことになってしまうのか。

王道と覇道なんて、初めて漢文を習ったキッズが言い出しそうな基礎知識で、出てくるだけでうんざりさせられます。

 

つくづく会話がないドラマ

このドラマには、会話があるようで、実はありません。

説明セリフか、主演俳優が「俺がんばってます!」とアピールするプロモビデオでしかない。

だから敬語の使い方もおかしいし、何も心に響かない。古典の引用なんてするわけもない。誤魔化すようにピアノもやたらと重なる。

いわばコスパ重視で、いかに真面目にやらずに、テキトーに誤魔化すかばかりを追い求めているようだ。

子どもの教育に有害どころか、大人の精神までおかしくします。

 

秀忠との態度も親子とも思えず

家康と秀忠の会話も意味がありません。またピロピロピアノ。

この年齢になって、ドスのきいた声で、見下ろすように王道と覇道の話をする。

これしか漢籍教養が身についていないって、絶望しかありません。林羅山を出して『貞観政要』すらやりませんからね。

なぜ林羅山を出したのか……理解に苦しみます。

 

どうしようもないモテモテファンタジー

大坂城には稽古場すらないのか?

秀頼はなぜ、母と妻の前で武術稽古をするのでしょう。

「やっぱりイケメンが部活するとさー、女子が騒ぐじゃないw」

高校時代を思い出しつつニヤニヤする、そんなくだらない妄想のためでしょうか。

それに総大将が武芸を習ってドヤ顔というのも恥ずかしい。

徳川家康は柳生石舟斎を呼びだし、「無刀取り」の境地に感服しました。そしてその子である宗矩を召し抱えています。

剣の腕前の中に、精神性を見出した――それのみならず柳生は監視役としても有能だった。

それが武芸を用いるべき用途であり、こんなモテモテしか考えられないとすれば絶望的です。

本当に幼稚で頭が痛くなる。

 

城に籠ってどうやって家康を倒すのか?

しかし、茶々が「家康を倒してこそ! そうだ、嫌がらせ書き込みでもしようw」というノリで仕掛けるのは、どうにかならかったんですかね。

確かに方広寺の件は悪意ありきとされているけれども、全部茶々のせいにしてどうするのか。

天下を取り戻すといっておきながら、籠城するとはどういうことなのか?

これは『信長の野望』でも遊べばすぐわかることです。

籠城という状態は詰んでいる。家康を倒すなら城から出ていきましょう。

 

攻守が逆転してしまった!

開戦の経緯が逆転というのは、大河ドラマとして一線超えていませんか?

もしかして、このドラマは、こんなヤリトリをしていませんか?

「あのさあ、俺が難癖つけてラスボス攻めるとかありえなくね?」

「いや、でも、それが史実というか」

「史実とかどーでもいいし。俺はいつも言ってんじゃん。去年みたいにしろってさあ」

「主人公が闇堕ちするようにしろ、ということでしょうか?」

「ちがうよ! 去年はさ、ラストで小栗義時が命狙われて、逆ギレして勝ったじゃん。あれでいいよ、ああいうのがいい」

「えっ……承久の乱と大坂の陣は開戦経緯がまったく一致しておらず……」

「そこをなんとかするからオファーされたんだよな? いいの? 大河のラストってああいうのが王道だよな? それでいいじゃん」

 

助けを求めても無駄

各種メディアが大河ドラマを記事にすることは自然なことです。

特に紙からWEBへと主戦場が移り変わり、誌面(紙面)に制限がなくなった以上、より多くのコンテンツを提供することは、各メディアのサバイバル戦術でもあります。

しかし、弊害も大きいものです。

NHKから素材を受け取る以上、その意に反するようなことは大々的に書けない。

いわば提灯記事が誕生する素地が整っているし、同時に、どんな荒唐無稽な内容でもウケれば……と記事化されてしまう。

◆ 解説:残り4回“どうなる家康”? クライマックス「大坂の陣」で注目されること これからの登場期待したい人物(→link

◆大河「家康」光秀?幕府参謀「天海僧正」は登場するのか 3年前「麒麟」長谷川光秀の生存回収を期待する声も(→link

『麒麟がくる』をコケにするような描写をしておいて(足利義昭・明智光秀の酷さときたら……)、こういう時だけ都合よく「天海は」と持ち出される。

長谷川博己さんにも天海にも失礼では?

そもそも本作は“参謀”をまるで活かせていない。

本多正信はただのうるさいだけの腹立たしい男にすぎません。

今週は金地院崇伝林羅山が出ましたが、何か意味がありましたか?

誰であろうと阿茶局より目立てないでしょ。そうそう、あの自称男勝りさんは立膝を卒業なさったようで急にどうしたのでしょう。

 

どうする仮想背景

こんなニュースがありました。

◆NHKドラマに仮想背景、大河9割活用 普及でコスト減も(→link

思い返せば、今年の仮想背景は本当に酷かった。

序盤では清洲城が紫禁城ではないかと指摘されていました。

本物の紫禁城はあんなものより遥かに壮麗であり、せいぜい紫禁城の隅にある鶏小屋だと思ったものです。

清州城(清須城)
清須城が紫禁城のようだ?大河『どうする家康』の描写は過剰か否か

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いずれにせよ今年の仮想背景が酷いのは確かであり、なぜ、そうなってしまったのか?と理由を考えると、スタッフの日本史知識不足にあるのではないでしょうか。

調べるべきことをせず、適当なイメージで描いたのではないかと思うほど拙い。

映画『首』のエンドロールを見ていて、怒りがカーッと込み上げてきました。

映画の出来が悪かったのではありません。エンドロールにはVFX担当者の名前がずらりと並んでいました。大多数が日本人名ではありません。

彼らは日本史知識がどこまであるかわからない。それでもプロとして真面目に仕事をし、指示をこなした結果、まっとうな戦国時代の背景を描いていました。

なぜ大河ドラマでそれができないのか?

◆ VFXアナトミー最新のバーチャルプロダクションとグリーンバック撮影を併用した大河ドラマ『どうする家康』(→link

こういう技術について語る記事は出てきますが、話がずれてしまいますね。

日本史における最低限の知識があるスタッフを、どうして揃えることができなかったのか。

2016年『真田丸』以来、大河ドラマとコーエーテクモゲームスは関係を保っています。それが今年はそうではない。

映画『首』とは大々的にタイアップしているのに、どういうことなのか疑問でした。

理由はわかりません。

しかし、確実なことは一つあります。

もしも、今年の大河ドラマがコーエーテクモゲームスの協力を得ていたら、ここまで無様なことにはならなかったでしょう。

VFXではなく小道具にしてもそうです。

映画『首』では大金の描写として、金銀入り混じった塊が出てきた。金しかない『どうする家康』とは違います。

 

『信長の野望』を買ったはずが中身は!

NHKから素材を受け取っている以上、ドラマを悪くは書けない。

と先程申しましたように、今週も凄まじい擁護記事を目にしました。

◆<どうする家康>なぜ? 一人だけ老けない茶々 化け物臭プンプン「怖いから老けないのか、老けないから怖いのか」(→link

◆『どうする家康』 北川景子の淀君はどうしてあそこまで魔物じみているのか(→link

要するに、内容を単純明快にして、みんな大好きなRPGのようにした結果なんですね。

『信長の野望』だと思って遊び始めたら、一本道ダンジョンだらけのクソゲーだったような悲劇です。

JRPG(日本製RPG)で満足しているようなこの論調には、天下万民が断固そうではないと申し上げたい。

私は『ドラゴンクエスト』でも『ファイナルファンタジー』でもなく『ウィザードリィ』派です。

◆ 「ウィザードリィ #I」国内デビューから38年! 寝ても覚めてもダンジョンをさまよいレアアイテムを願ったあの興奮(→link

遊んでいるだけで変態マゾヒスト扱いされる。そんな苦行ゲームでした。

しかも一番好きなのは、設定そのものが地獄としか言いようのない、極めて邪悪な『4』です。

遊ぶだけで人間性が歪みかねないシナリオ。自分以外、あのゲームが好きだという奴にはあったことがないし、我ながらどうかしていると思います。

このようにRPGといっても、個々人ごとに好きな作品は異なるんですよね。

それを上記の記事のように粗雑なくくりをされると、ゲーマーとしては文句の一つも言いたくなります。

あの『ウィザードリィ』にある、敵襲を突如受けて全滅。宝箱が爆発して全滅。テレポート先の座標を間違えて全滅。復活に失敗して消滅する。

そういう絶望感が好きな人間のことを無視していると思うんですが……まぁ、ゲームの話はこのあたりとしましょう。

 

呂布か? 関羽か? 劉禅はいらない

映画『首』を見て、気分が爽快になるような、とことん落ち込んでいくような、複雑な状態に陥っています。

ただ、これだけは言っておきたい。

『首』と対比となる大河ドラマは『麒麟がくる』であって『どうする家康』ではない。

制作時期からして、今年との比較は否定できます。

『首』と『麒麟がくる』の対比は、呂布と関羽の対決のようなもの。

荒々しく粗雑で単純。魅惑のアンチヒーローである呂布か?

正義を貫き、曲がったことは許せない。そんな関羽か?

どちらも選べない!

どちらかだけを好きになれと言われても困る。それが私にとってのこの作品です。

では『どうする家康』は誰か?

劉禅です。

呂布と劉禅、どちらが強い?

関羽と劉禅、どちらを選ぶ?

そう問われたら、そもそも劉禅を持ち出すことそのものが関羽や呂布への侮辱でしょう。『どうする家康』はその程度です。

『首』は意図的に思想や宗教を排除して、ひたすら暴力衝動に取り憑かれた人間を描いています。

儒教朱子学倫理が根底に流れる『麒麟がくる』との対比だとすればおもしろい。

『首』は仰々しく、「こんな戦国時代は見たことがない!」と宣伝しておりますが、見てみるとおなじみの要素もいくつもあります。

私はむしろ旧友に再会したような懐かしさを感じてしまいました。

信長の装束ひとつとっても、奇抜な南蛮服はお馴染みのモチーフです。むしろそういうお馴染みのイメージを外そうとしているのは、『麒麟がくる』だと思えます。

『首』は、8割おなじみの描写を用いておいて、残りの部分に強烈な罠を仕込むことで驚かせる。そういう巧みな映画です。

たとえば、武者絵はじめ、江戸時代以降は定番の場面となった荒木村重が信長から刀に刺した饅頭を食べさせられる場面。

饅頭を口に入れるところまでは従来通りです。しかしそのあと、こちらの頬を引っ叩くような凄まじい捻りが入ります。気になる方はぜひ劇場でお確かめください。

『どうする家康』の「シン・大河」はそうではありません。

「いつものあの味で」

そう注文されたとしても、調理する側は「いつものあの味」すらろくに把握していない。そのくせ新しいものを作ろうとする。

レアの豚肉って斬新、とてもおいしそう!

その程度の思いつきで、とても食えたもんじゃない料理を笑顔で出してくるのです。

防腐加工のために入れる砂糖や塩を「こんなにいらないでしょw」と半量にまで減らして、健康にいいと自慢する。結果、腐敗したものを販売してしまった。そんな悲惨な事例を思い出します。

 

嚢中の錐

嚢中の錐。『史記』「平原君伝」

袋の中に錐を入れておくと、自然と突き破って出てきてしまう。本人は目立たないようにしていても、才知が見えてしまうこと。

映画『首』の北野武監督がこれだと思いました。

本人が照れ屋でもあるのでしょう。『首』は「構想30年」というけれど、そんな大仰なものじゃないと本人が明かしています。

確かに本職の研究者でもありませんし、延々と本能寺のことばかりを考えているわけもない。

どこまで本当かわかりません。彼は照れ隠しなのか、すぐに俺はちゃらんぽらんだと言い出すから、よくわかりません。

江戸っ子なんでしょうね。

江戸っ子代表格の浮世絵師・歌川国芳を思い出しました。

彼も別に教育を受けているわけでもねえと荒っぽかったそうなのですが、相当教養がないと描けない題材を作品にしています。

周囲も学問を学んだわけでもねえが、えらく頭が切れると証言している。

江戸っ子の謙遜は話半分に聞いておかないと危険だとしみじみ思いました。

◆ 北野武監督最新作「首」2023年秋に全国公開「成功したと思っています」(→link

それと比べると、どうにも本作の作り手は、自分を大きく見せることにご執心で、その中身が伴っているのか、心許なくなってくるのです。

脚本家は、イマジネーションが大事だから最低限のことしか調べないという。

そうだろうなと思います。前後のことを碌に調べずにやらかしている。

今回ならば大筒について「淀殿をビビらせたw」程度しか知らないんだろうなと伝わってきます。

フランキ砲? 何それ食べられるの? そう思っていても何ら不思議はない。

どうしてそうなるのか?

北野武監督のような謙虚で照れ屋な江戸っ子のいうことを正真正銘信じているのでは?

ヘラヘラしているお笑い芸人だって監督をすれば成功するしw 俺もやってやんよw

そう思っていませんかね?

演じる側にしても、その節があると明かされています。

◆松本潤出演のNHK『プロフェッショナル』お蔵入り危機!「小栗旬を撮ったディレクター」ご指名も水の泡か(→link

この記事を読むと、どうにも友人同士でありながら理解が不足していたのかと思えてきます。

小栗さんはあの年代では異例と言えるほど大河によく出ています。現場を熟知しています。

「40代のイケメン俳優」とみるか。

「40代でありながら異例といえるほど大河経験のある俳優」とみるか。

本人はおとなしくしていようが、才能が突き破ってくる人なのか。

宣伝ありきでチヤホヤされて大きく見える人なのか。

そこを見極めることが大事なのでしょう。

このドラマの制作者は『パリピ孔明』を見習っていただきたい。

プロデューサーが『三国志演義』『三国志演義事典』『三国志事典』を持ち歩いていたそうですよ。素晴らしい、かくありたい。

本当にあの作品は素晴らしい。向井理さんも、森山未來さんも、ディーン・フジオカさんも、『三国志』好きだとわかって嬉しいのは私だけじゃないでしょう。

 

虎の威を借る狐

虎の威を借る狐。『戦国策』

あるところに狐がいました。その狐を虎が食べようとします。

「待って! 私めっちゃフォロワー多いし、界隈ではチョー有名! 食べるよりも一緒に動画投稿したほうがよくね?」

「え、白兎ちゃん、きみ、インフルエンサーなの?」

虎は立ち止まり、狐と一緒に動画投稿すると、確かにいいねがたくさんつくように思えました。

まぁでも、虎が狐を食べる動画が一番インプレッションを稼げると私は思いますけどね。

いつも言っておりますが、やはり今年の大河はおかしい。

大河ドラマのハッシュタグで、主演写真集販売だのなんだの宣伝されます。

アンチハッシュタグでまでそれが流され、荒れるのなんの……と呑気に眺めていたら、私のレビューも触れられていて驚きました。

サイトの担当者が該当のアンチハッシュタグを用いて投下した影響なのでしょう。

こちらとしては何を言われても結構ですし、楯突くつもりも毛頭ないながら、荒れる材料になるのは不本意ですので、今後はハッシュタグを外していただくことにしました。

ともかく今年はなんだか妙です。

何かの境界線が溶けているようにも思えます。

【虎=大河ドラマ】の権威と、【狐=主演】を混同しているようだ。

タイトルが全部大文字という便乗写真集が出るとか。

大河主演写真集を出すのであれば、どうして『麒麟がくる』でもそうしなかったんでしょうね。

これではまるで主演プロモビデオを一年間、受信料で作ったようなものではないですか。

受信料で個人の宣伝をする。朝ドラ『舞いあがれ!』脚本家の歌集など、BBCなら通らないと思える事例は過去にもありました。

その中でもこれぞ最大のやらかしではありませんか?

 

烏江亭に題す

杜牧の詩でも口ずさみましょう。

勝敗は兵家も 事期せず

羞を包み恥を忍ぶは 是れ男児

江東の子弟 才俊多し

巻土重來 未だ知る可からず

ものごとの成否は、兵法家だろうとわからない

羞恥心をこらえ恥に耐えてこそ、男ってもんだろ

江東には才能ある連中がたくさんいるのだから

捲土重来ができたかもしれないだろ?

いったい誰がこのドラマを褒めているのか。

男の価値観はモテでしかない。

強く、イケメンで、女にキャーキャー言われる。モテる。エッチなことができる。取り巻きはワーワーと殿はさすがと持ち上げてくれる。

女はヨシヨシしてくれる。そうかと思えばめんどくさい汚れ仕事を引き受ける「男勝り」。エロいことも積極的にしてくる。

あとはモブ。

というように「自分を磨かないことを肯定する価値観」が、私には全く理解できません。

けれども、それに対する需要はあると親切な方が明かしてくれます。

◆ 『どうする家康』“偉大なる凡庸”こそリーダーにふさわしい 弱虫な家康が将軍になれた理由が明らかに(→link

私はその理由とやらは理解できません。

バカにされている気がします。日本はバカでもてっぺんとれるんですかね。

このドラマでは徳川秀忠までもがさんざん貶められていますが、彼も相当優秀かつ、苛烈ともいえる人物です。

誰でもコケにして嘲笑うこのドラマにそんな人物像を求めても意味はないのでしょう。

しかし、こういう努力しない人間がトップをとるファンタジーを求める劉禅タイプがいることは理解できました。

ならばいっそのこと『パリピ劉禅』でも作っていればよかった。

そういう層が今、メディアのトップにもいるのでしょう。

人間は自己肯定されたい。こうやって露骨に自己正統化欲求を晒す事で「俺たちが正しいんだぞ!」と言いたい。そこにぴたりとハマるんでしょうね。

しかし、そんなものはただの無駄。

劉禅がいい暮らしを送れたのは、あの時代の皇帝の息子だから。

私達はそうではない。現実逃避している暇があるならば、捲土重来を狙いましょう。

 

どこからこの駄作が始まったのか?

第48話の最終回まで、残り3回の放送。

そろそろこの駄作の根源を追い求めねばならない時がきました。

なぜ大河でこんな大惨事が起きてしまったのか?

個人的には『青天を衝け』の存在が大きいと感じています。

あの作品は、主演よりも助演である徳川慶喜が大いに目立っていました。報道もそうです。

渋沢栄一の活躍は明治以降が圧倒的に重要で、幕臣としては小粒もいいところ。

それなのに幕末期間を異常に長くしたのは、新選組などの人気題材狙いでしょう。バズることばかりを考えているから、マイナーな彰義隊は出さないと。のみならず、慶喜便りの露骨な狙いがあったと思えます。

慶喜は、冷酷で無情だとされる人物なのに、ドラマでは演者に合わせたように正統化される。

その持ち上げ様は、異常とも思えました。

ファンダムがまるで慶喜と演者を一体化したように誉めそやしていた。

だからなのか、批判をする者に対して異常なまでに攻撃的。作り手も堂々と、演者に寄せた人物像にしたと語っていたほどです。

『大奥』シーズン2は、あのドラマの振りまいた誤解を打ち消す素晴らしい出来だと思います。

『大奥』と『青天を衝け』では、なぜああも慶喜像が異なっているのか?

解釈の違いなんて話ではなく、要は『大奥』のほうが真面目に研究成果を生かしているからそうなるのでしょう。

『青天を衝け』の慶喜は無茶苦茶です。

自分の無責任さで幕府をつぶし、旗本御家人を路頭に迷わせておいて「気持ちいい〜」ですからね。

史実の慶喜も心無い人物ですが、ここまでひどくはありません。

◆青天を衝け:草なぎ剛名演“史上最高の慶喜”ここに完結 最期は「快なり!」締め 視聴者「いい笑顔」(→link

しかも『青天を衝け』の慶喜役は、いわゆる「辞めジャニ」でした。

役者の好感度ありきで、カリスマあふれる「辞めジャニ」ならば、マスコミも忖度してくれる。絶対に失敗できないからこその策だったのでしょう。

だからこそ罠にもなります。

一連の報道を見ていると、旧ジャニーズ事務所の不興を買いかねない彼らを起用すると、引き換えの条件が示されるという指摘がありました。

大河準主演で禁忌たる辞めジャニを使う。

それで損ねた事務所の機嫌を取り戻すため、別の年に大盤振る舞いを示される。

もしも公共放送で、そんなことが現実にまかり通っていたなら?

前述の通り、写真集発売だの、感謝祭だの、今年の主演への気遣いは異常です。あまりにも破格の好条件とも言える。

『青天を衝け』と同じ欠点も、本作は悪化させた上でで引き継いでいます。

粗雑なVFX。

アリバイ的な考証。

雑な儒教思想の取り扱い。

歴史を軽視する脚本。

自分以外を小馬鹿にするような性格の悪さ。

歴史修正的であまりに酷い解釈。

危険性を感じるほど無茶苦茶な殺陣。

恋愛をゴリ押しする。

性的な場面を多くする。

SNSを意識したバズりを狙う。

ターゲットオーディエンスとして中年女性を想定し、ノイジー層に向けてアピールすることで、中身は空っぽでも成功したと偽装できるようにする。

そんな路線の二番煎じに思えます。

旧ジャニーズ事務所の性加害問題は、メディアも問われる立場。

◆【独自取材】ジャニーズ問題、テレビ各局の自己検証番組は「どれも検証ではない」――専門家が指摘(→link

真面目に検証していただきたいところです。

皆様も思うところあれば、NHKへ直接お伝えください。

◆NHK みなさまの声(→link

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文:武者震之助(note

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武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

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