どうする家康感想あらすじレビュー

どうする家康感想あらすじ

『どうする家康』感想あらすじレビュー第45回「二人のプリンス」

宴の時じゃ――と登場する豊臣秀頼

小柄な秀吉に対して大男だったとされるように見事な身丈です。

しかし成長曲線があまりに不自然だったことが頭をよぎります。

先週の放送で柱の傷を用いて成長の度合いを示していましたが、11~15歳までわずかな伸びだったのに対し、17~19歳にかけて急激に伸びていた。

人間の身長が一番伸びる第二次性徴期は10代半ば、13~16歳ぐらいのはず。

むろん個人差はあり、10代後半にかけて伸びる方もいますが、本作においてはドラマの展開に無理に合わせているようで興ざめしてしまうのです。

北半球なのに南に虹が出るとか。VFXが物理法則すら無視しているとか。甲冑に刀で切り付けるとか。重傷を負っているのにハキハキと話すとか。還暦過ぎた女性が若々しいままとか。

そういう現実味の薄さが、場面場面でドッと押し寄せてきて、辟易とさせられるのです。

民放やVODでワイワイやっていたなら、まだトンデモ歴史作品として認識できたのに、NHKの大河という枠で放送されるから辛くてたまらなくなってしまいます。

 


どうしようもない大坂城

ロケをとことん排除したこのドラマ。

だからこそ「城内で舞う」というわけのわからない描写が出てくるのでしょう。

青海波を舞う光源氏でも意識したのでしょうか。それともアイドルは踊るものという意識でもあるのでしょうか。

そして、ここでも衣装とヘアメイクが不可解です。

なぜ秀頼は頭頂部がそのままなのか。何も被らないものでしょうか。

千姫の焼き芋みたいな色の衣装も見ていられません。スイカバーの妖精・大久保忠世が終わったかと思ったら、今度は焼き芋の妖精です。

この作品の衣装は、前半はペールカラー、後半は暗くするようにしていますが、横並びでそうされても違和感ばかりが募ります。年齢は意識されていないのでしょうか。

剛毛でギトギトメイクの茶々だけでなく、千姫のメイクも濃い。

時代劇で当時のメイクを再現するのはまず無理です。

時代ごとの流行を取り入れても、それは必要悪でしょう。例えば80年代の時代劇は眉毛がしっかりしているものです。

そういう現代トレンドメイクからも程遠いため、わけがわからなくなる。

秀頼の所作もシャキッとしていない。

この秀頼は、たしかに俳優御本人はイケメンかもしれませんが、時代劇の“絵”として見た場合、2016年『真田丸』の中川大志さんを思い出して悲しくなるだけなんですよね。

 


どうする白い羽織

そしてここで家康のアップが入ります。

白い羽織がつくづく、しみじみと、残念だ。

白い服は汚れが目立つから、何か特別な意味あいでもなければ着ないもの。服の色論争は重要で、人類共通の話でもあります。

近世のヨーロッパ人は「古代ギリシャローマは白い服だったよな!」と勝手に妄想を膨らませ、ギリシャ彫刻の塗装まで剥がすという暴挙をやらかしました。

そういう価値観の時代であるナポレオン第一帝政時代は白いドレスで問題ありません。映画『ナポレオン』のジョセフィーヌが白いのもそう。

しかし、これは第一帝政だから正解という話です。

古代ギリシャやローマもので衣装を白くしすぎると「いつの時代のセンスなんだ?」と容赦なくツッコミが入ります。まぁ、これは西洋史の話ですね。

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大河ドラマは言うまでもなく東洋。

白は死の色となります。

婚礼衣装でも白を使う日本は特殊であり、本来、白は縁起が悪いとはみなされがちです。

何か特別な意図を示すのであればまだわかります。『大奥』シーズン2の胤篤の白い裃は素敵でした。『麒麟がくる』は五行説を取り入れた結果、秀吉のテーマカラーが白でした。

こういう白い衣装は意図があるし、きっちり模様も入っているので、理解できます。

しかし本作の家康は、白い羽織が悪目立ちばかりしている。

同じ白い服でも『陳情令』の含光君でも意識しているのでしょうか。比較になりません。

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どうしたっていうんだよ衣装は!

『大奥』の美術部トップは大原拓さん。

代表作として『麒麟がくる』があげられていて、納得しました。

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北野武監督映画『首』は、衣装デザイナーが黒澤和子さん。この方も『麒麟がくる』と同じです。

それに引き換え今年はなぜこんなことになってしまったのか。

『麒麟がくる』は担当者のステップアップとして機能しているのに……。

特別なことは必要ないでしょう。『麒麟がくる』まで戻すだけで十分。来年以降、そうなることを願い、今年はもう忘れるしかありませんね。

 


演技プランが全て壊れている

本多正信は毎度うんざりさせられる曲者演技。

秀忠はただの熱血。

正純は父を悪化させただけ。

全員の演技プランが崩壊していてわけがわからない……と同時に疑念が湧いてきます。

秀吉の遺児である豊臣秀頼――それが成長して徳川にとって“脅威”となった。それを示すのが、あの屋内ダンスと、この説明セリフだけなのでしょうか。

せっかく前回、空気を読めない真田信繁が軍事教練していたじゃないですか。例えばあれを警戒材料として出してもいい。

『大奥』シーズン2の井伊直弼の警戒心比較してしまうと、絶望的な差があります。彼は先手を打ち、危険な芽を強引に摘んでいこうとしていました。

 

どうする朱子学が理解されない世界

徳川家康は、朱子学を統治に生かそうとした。それが『麒麟がくる』では生きていたものです。

しかし『どうする家康』にそんなものを求めても無駄でしたね……。

この世界観には先人への敬意も、親への思いも何もありません。

父の本多正信を辱めるようなことを大声で平然という息子の本多正純

あれは何の冗談でしょうか?

愚かの極みとはこのことで、父を嗜めるにしても他にやりようがあるでしょうよ。我が子にすら孝行を教えられないくせに、アリバイとして朱子学を持ち出す本多正信は、一体何を考えているのか。

この大河ドラマは、史実云々で批判されるわけじゃない。

幼稚で底が浅く、大河どころか、せいぜいが子ども用ビニールプール程度の浅薄さだからでしょう。

本作の感覚は、親への態度がせいぜい昭和後期の中高生程度で止まっています。

 


でた! 嫁姑バトル

そのくせ価値観は古いんですよね。

ダメなドラマは嫁姑バトルが好きです。茶々と千姫もそのパターンを匂わせる。

人間関係の把握がせいぜい昭和後期か平成前期です。

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