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【幕末でモテモテだったのは誰?】
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生麦事件で迷惑を被ったのは薩摩だけではない
京都ではボチボチ……と言った薩摩藩士のモテっぷり。
これが江戸になると、断然、ヤバくなってきます。
江戸での薩摩イメージは、幕末以前から「犬を喰っている薩摩、やべえな……」というものでした。
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維新直前については後述するとして、幕末の時点で薩摩は江戸っ子にとって大迷惑でした。
生麦事件です。
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実は薩摩藩士が噛んでいた【桜田門外の変】では井伊直弼をおちょくっていた江戸っ子も、今度ばかりは洒落になりません。
イギリスとの賠償交渉で決裂したら関東が火の海になってしまう――。
そんな懸念から、事件後は老中の井伊正直が関八州の大名・旗本に対して、何があっても対応できるように!と促していたのです。
この部分、あまり触れられないので「薩摩とイギリスの薩英戦争で終わったんでしょ」と思われがちです。
しかし、冷静に考えてみればそうですよね。
薩摩だろうが長州だろうが、自国民を殺された英国が幕府に対して黙っているワケがない。江戸が攻撃される恐れだって当然湧いてくる。
結果、江戸っ子もパニックになり、混乱に乗じて犯罪が横行、治安が劇的に悪化したのでした。
生麦事件の結果、薩英戦争に至ったとはいえ、薩摩藩側はイギリスと手を結び、win-winの関係へと持ち込んでいます。
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しかし、その背後で大迷惑を被った関東の人々もいたわけでした。
無粋な客は帰りやがれ
そんな江戸っ子にとって、最悪の展開を迎えたのが維新前夜です。
大河『西郷どん』では、
「慶喜が生きていたら民が苦しむから、江戸を放火して戦争を起こそう!」
という西郷のムチャクチャな理屈で、視聴者が困惑しきりました。
んで、実際に【薩摩御用盗】という、西郷手先のテロ集団たちが暴れ回り、放火、殺人、強盗、暴行を繰り返したんですから、そりゃあ江戸っ子も怒りますわ。
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新政府軍は江戸っ子から嫌われておりました。
『西郷どん』では西郷が本を読みながら居眠りしていた場面が暢気に出てきましたが、当時の江戸っ子のホンネはこんなものです。
「ケッ、目障りな田舎武士どもが将軍様のお城に居座りやがってよぉ。とっとと帰りやがれ」
当時江戸で出回っていた諷刺画では、図々しい客が長居し、家主がうんざりしている様子が描かれております。
そんな諷刺画でも、特に切れ味鋭く、歴史の本質を突いていたのが豊原国周の『善悪悪人鏡』というシリーズです。
役者を描いた「判じ絵」で、この石川五右衛門がスゴイ!
眉墨や衣装からして公卿風味。着物の柄は「い」の文字を使った紋。
つまり岩倉具視を示しておりました。
これは江戸っ子の
「おめえさんたちゃあ、ヤレ天子様の勅を得ただの大いばりだけどよ。俺らからすりゃあ、おめえさんが大泥棒の石川五右衛門だってこたぁ、お見通しよ」
という、精一杯の嫌味です。
江戸っ子からすると【倒幕の密勅】などは、天下を盗もうとする大泥棒の猿芝居に過ぎません。
彼らはその胡散臭さをわかっていました。
実際、その真贋となると、偽勅(ぎちょく・偽の勅)である見方が強いのです(以下、関連記事に詳細あり)。
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