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【岩瀬忠震】
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外交官デビューはプチャーチンとの交渉
アメリカのペリー艦隊が日本に訪れると、他の諸国も沸き立ちました。
ロシアはじめ、多くの国が日本の開国を待っており、このチャンスを逃したらいかんと派遣してきたわけです。
ここで誤解されがちなのが、『欧米列強は、日本を植民地にしたかったのでしょう?』という勘違いです。
そうではありません。
彼らの目的は、あくまで交渉や貿易です。
当時のヨーロッパも、植民地経営のメリット・デメリットを事前によく検討しており、『とにかく何がなんでも欲しい!』と暴れていたのは、出遅れたベルギーのレオポルド2世ぐらいでした。
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そしてロシアから日本にやって来たのがプチャーチン。
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彼には過去、長崎を訪れ、通商交渉の末に退去を命じられた苦い体験があります。
にもかかわらずアメリカが日米和親条約を結んだのですから、黙って見過ごすわけにはいきません。
再び来日したプチャーチンは、幕府に頼み込みました。
「下田で船を作りたいのだが、どうにかならないだろうか?」
船が故障してしまい、乗組員を含めて妻子を滞在させねばならない――という見過ごせない状況ではあるのですが、幕府としてもロシアの敵国を刺激したらまずいとグズグズ。
そこで岩瀬は、進言します。
「軍艦じゃなくて、民間船なら大丈夫じゃないすかね。だいたい、日本から出て行け、けど船を修繕しちゃいけないって、無茶じゃないですか。幕府はそこまで冷たくないでしょう」
幕府も、確かに有能な者ばかりではありません。
硬直しがちな幕閣の中で、岩瀬の英断は光るものがありました。
親切なオランダの皆さん
そしていよいよ大本命、アメリカからハリスがやって来ることになりました。
ペリー来航による日米和親条約は、軽いジャブでして。
本格的な細かい条件は別の使節を送るから準備しておいてね♪というのがアメリカ側の態度でした。
それが本気であったのは、幕府との交渉を円滑にすすめるためヒュースケンを連れて来たことからも明らか。彼はオランダ語のできる通訳でした。
幕府としても、いよいよ「本気でやらんとな……」と焦ります。
もちろん相応の準備(下調べ)もしておりました。
直前の安政3年(1856年)。
岩瀬は、オランダ人ファビウス船将から非常に貴重なアドバイスをもらっております。
長崎出張の際に夕食を採りながら、心ゆくまで語り合ったのです。
「岩瀬さん。これからは、開国して貿易しなきゃ駄目ですよ。あと踏み絵のような屈辱的な慣習も、やめるべきです」
「そうなんですか。でも、日本には輸出できるものなんてありませんからね。鉱山を掘り尽くされて、南米みたいになると困りますから」
岩瀬は、南米の国々がスペインによって収奪された、その轍は踏むまいと警戒していました。
「それは鉱山技師の問題ですね。よい技師がいれば、疲弊はしないものです。なんならオランダから技師を派遣しますよ」
「それはありがたい。銅の輸出を望んではおられますか?」
「そうですねえ、それは比較的産出量が多いから、そう思えるのかもしれませんね。これからは、鉱物資源に頼るのではなくて、蝋燭、麻、樟脳を生産すれば、いい輸出品になりますよ。漆器なんかも、まあ上流階級では人気ですが、買える人は限られているので、イマイチですね」
「よくわかりました。ところで、オランダ以外、英米あたりとも貿易はできるものでしょうか?」
「貿易とは距離じゃない。企業精神の問題です。オランダ国王は、自国の利益よりも日本のよりよい今後を考えて、鎖国を続けるよりも、様々な国と貿易すべきだと勧告しているのです」
「ほほう……」
ファビウスの親切で丁寧な言葉に、岩瀬は感銘を受けました。
貿易が国を豊かにするという可能性に、心がワクワクしてきたのです。
実は幕臣たちも、ペリーから既に珍しいものをもらっております。
例えば蒸気機関車の模型。これにまたがって大喜びでした。
彼らは警戒感や攘夷の気持ちもありましたが、それ以上に、新しい文物に対するワクワクがあったのです。
親切だったのはファビウスだけではありません。
長崎在住オランダ領事ドンクル・キュルチュスは、幕府に対して警告書を送ってきました。
ざっと意訳しますと、こんな感じです。
【安政2年(1856年)から始まったアロー号事件(第二次阿片戦争)。
なぜ、このような悲劇が起こったのでか?
この事件から、日本はどうふるまうべきか考えてみてはいかがでしょうか。
これは、清国が何でも一旦は拒絶してから、押し切られて許可する――という悪癖を持っていたからなのです。
このせいで、相手は「力推しすれば無茶も通る」と思ってしまうわけなんですね。
条約を結ぶことに警戒心はあるでしょう。まず、結んでしまいましょう。
細かい条件は、あとで修正していけばよいのです。
うるさく言わないで、ともかく受け入れる。これが大事です。寛大さこそが、身を守るのです。
ともかく、戦争とは些細なきっかけで起こります。
自分の力のほどを知りましょう!
日本は長らく戦争の機会がなく、しかも四方が海に囲まれていますから、一旦戦争になったら大変なことになります。
清国のことを他山の石として、もう一度日本のこれからを考えてはみませんか。】
マトメますと、
・条約をともかく拒否すると、相手が力づくで来るキッカケになる
・条約内容が気に入らなければ、交渉すれば変えられる
・軽挙妄動が戦争を招きかねない、ともかく慎重に!
といったところでしょう。
幕府にとっては耳に痛い話ではありますが、確かにその通りです。
ここまで厳しくも実用的なアドバイスをしてくれたオランダ人。なんだか裏がありそうなようでいて、実際、親切でした。
迫られる転換点、岩瀬の雄大な構想
なぜ日本が植民地にされなかったか?
破滅的な目にあわなかったか?
理由は色々あるでしょうが、清の失敗を反面教師としたことや、オランダのアドバイスのおかげもあるでしょう。
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しかもプラス方向に考えたのでした。
「外国人を嫌い、やたらと攻撃的になるのは、時勢としても、道徳的にも、間違っている。交易をして、新しい知識を吸収すれば、日本人には優れた可能性もあるんだし、強くなって世界でも羽ばたけるかもしれないぞ!」
そんな堀田に対して、岩瀬は具体的な提案をします。
・西洋事情を探索させるべく、人を派遣する
・国内の港の法令を整備して、関税を決める
・外国と貿易を始めて、各地の大名にも特産品を作らせ輸出し、利益を出す
・外国人の出府(江戸へ行くこと)を許して見聞を広める
・条約を結んだ国に大使を派遣し駐在させ、留学生も派遣する
・日本から世界各地に向かって、輸出の利益を高める
・世界でも信義ある国と同盟し、孤立していて弱い国は助ける
・国民をより一層鍛錬し、北海道を開拓し、我が国の道徳心で西洋の貪欲な植民地支配を改めさせ、五大洲中の一帝国を目指す
どうでしょう?
海外から見ても恥じない国作りを目指す――そんな気概に溢れていませんか?
このあたり、実は明治新政府の方針と同じなんですよね。
後に明治新政府を作る人々が「攘夷だ! 外国人ぶっ殺す!」と湧き上がっている頃、岩瀬はここまで認識していたのです。
しかし、国内においては彼のような人物は少数派。
「異人の言いなりになる幕府め!」と、憎悪を募らせる人々であふれていたから、大変なのです。
あの斉昭すら納得させた岩瀬の開国論
岩瀬にとって邪魔になったのは、他でもない水戸藩の強硬な攘夷論者・徳川斉昭です。
「絶対に開国なんてありえん!」
幕閣でも発言力があるこの人が、本当に困りものでした。
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ここで阿部は、妙案を思いつきます。
「暴れる獅子には、ボールを与えてパワーを発散してもらおう。悪いけど、ここで彼に造船業というボールを与えて、遊んで貰うのだ」
阿部は斉昭に「軍艦旭日丸を建造してね」と頼んだのです。
この時、実は岩瀬も、斉昭とそのブレーンである藤田東湖を説得しております。
岩瀬の話を聞いていた二人は、ガチガチの攘夷に凝り固まっていた考えを、なんと変えているのです。
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「今日の外国は、ちゃんと話が通じます。いわゆる夷狄とは違いますよ」
「うむぅ……そうかもしれん。たとえば良家の美女が、べっ別に私はアンタなんかと結婚したくないからね、とツンツンと何度も突っぱねたりする。そういう美女に限って、いざ結婚するとデレデレになってイチャイチャになるとか。我が国も、二百年間ツンツンしていた。そのあとで開国したら、デレデレのイチャイチャになるかもしれんな!」
「そうですよ、その通りなんです!」
何の比喩だよと思いますが、ともかくこの二人も納得しまして、藤田は、斉昭団長とするアメリカ使節団派遣まで計画し、斉昭自身も了解したそうです。
ただし、ここで非常に間の悪いことに「安政の大地震」で藤田が圧死、計画は流れてしまいます。
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もし藤田が生きて、斉昭がアメリカに渡って、そこでエンジョイしてれば、日本は……少なくとも水戸藩は、もっとまとまりがあったことでしょう。
このとき政治力バツグンの阿部も、朝廷工作を行っていたのですが、藤田と同時期に亡くなってしまい、旭日丸が完成してボール遊びが終わってしまうと……またもや狂犬・斉昭が猛然と暴れ出します。
斉昭は再び攘夷に固執しました。
「やっぱり、開国なんてありえん! 貿易なんかしたら日本の富が吸い尽くされるだけだろ! 開国ありえない! 絶対ありえん、ありえんからなーッ!」
さしもの岩瀬も、こんな状況をどうにかできるほどの権限はありません。
日本屈指の外交のエキスパートとして、各国の外交官と交渉するほかありませんでした。
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