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【岩瀬忠震】
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ハリスのスピーチ
安政4年(1857年)。
ついにハリスが米国大統領の書簡を携えやって来ました。
沿道には、実に9万5千人もの見物人が集まり、注目を浴びたハリスも満足げです。
ペリーじゃないよハリスだよ~日米修好通商条約を結んだ米国人ってどんな人?
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ハリスは堀田正睦邸に来ると、堂々たる演説を始めました。
長くなりますけど意訳させていただきますね。
【日本の皆さん、こんにちは!
今、世界はかつてないほど狭くなっています。
交易は盛んになり、グローバル化しているのです。ここでその流れに背いても、どの国からも敵視されてしまいます。
我々の望みはあくまで交易であり、かつてのスペインやポルトガルのように、布教をしたいとも考えておりません。
日本は今、危機に瀕しています。
我々の大統領は、日本が阿片で汚染されないか心配しています。
阿片は金銭だけではなく、健全な肉体を蝕み、犯罪を増加させ、社会を根底から腐らせてしまう。このような阿片禍は、イギリスが清国に武力でもって売りつけたためです。
我々アメリカ合衆国はイギリスとは違います。
我々は東洋に植民地を持っていません。ハワイがそうなりたいと思っても、断ったほどです(※このへんは事実とは異なりますが、はったりでしょう)。
このままでは、台湾はイギリス、朝鮮はフランス領にされるかもしれません。
なぜこのようなことが?
それは、条約を結び駐在使を置こうとしなかったからなのです!
かつて、インドもイギリスとの条約を拒み、植民地とされてしまいました。
イギリスは今、ロシアと戦っています。このままでは、満州や樺太を支配し、そこに海軍基地を置こうとするでしょう。
この前、イギリスの将軍と話しました。
清国の次は蒸気船50艘を連れて日本に自由貿易を迫りに行くと、彼は語りました……。
考えてみてもください。
イギリスや他国の野蛮さを。
たくさんの戦艦を連れてきて、開国を迫ります。
しかし、我々アメリカは、このハリスがたった一人で、交渉に来ました。
こんなフェアプレー精神の私と交渉するほうが、名誉あることだとは思いませんか?
先に私と条約を結びましょう。そうすれば、英仏にも連絡を取ります。
自由貿易は素晴らしいのです。
もしあなたの国で飢饉が起これば、外国から食料を輸入できます。
交易すれば、素晴らしい発明品も手に入るんですよ!
しかも輸入品からは関税が取れます。WIN-WINではないですか!
日本は平和が続きました。素晴らしいことです。
しかし、そのため現在では武力で劣ります。無謀な勇気にかられたら、危険なことになります。
我がアメリカと条約を結んだら、日本が危機に陥ったら武器弾薬、訓練のための仕官も派遣します。
日本の皆さん!
アメリカと仲良くしましょう!!】
ハリスに代わってご静聴ありがとうございます。
本演説を要約します。
・イギリスは最低最悪です。逆らうと危険です
・でも我々アメリカは善良で味方です。条約を結んで、仲良くしましょう。きちんと条約を結んで、イギリスの脅威を退けたいですね!
・貿易をきっちりすればむしろお得ですよ! さあ、怖がらないでやってみよう
いかにも怪しげな申し出ではありますが、実は、幕府側でもイギリスを最も警戒してましたので、納得できる話ではありました。
むろん、ハリスの言葉はすべてが事実ではなく、ハッタリや駆け引きもあります。
しかし、居並ぶ幕府閣僚は、その弁舌に圧倒されました。
岩瀬もまた、ハリスの言うことに納得ができました。彼の頭の中は、交易によって利益を得ることで一杯です。
岩瀬は渋る幕閣を説得し、下田奉行・井上清直と共に、ハリスとの交渉に入ることを決めたのでした。
我々は皆同じ、天地の間の人
後年、ハリスは、岩瀬・井上との交渉をこんな風に振り返っております。
「私はアメリカの利益も計ったが、一方で日本の利益も損じないように努力した。
治外法権に関してはあの時点では仕方なかったが、自分も岩瀬も意図的に不平等にしたのではない。
関税は、私は自由貿易主義者だが、日本のためを思い、平均20パーセントとした。酒・煙草は35パーセントと重くした。
(中略)
議論のために、私の草案や原稿は真っ黒になるほど訂正させられ、主立った部分まで変えることすらあった。
このような全権委員(岩瀬と井上清直)を持った日本は幸福である。
彼らは日本にとって恩人である」
あれっ??? と思いません?
ハリスらアメリカ人は、強引に、自分たちに都合のいい条件を押しつけ、幕府がハイハイ黙って頷いていた――わけではありません。
むしろ真逆。
ハリスはしばしば、岩瀬に反論され、答えに窮することすらありました。
岩瀬に堂々と論破説得され、条文を何度も改めることになったのです。
岩瀬にしても、ハリスや外国人に対して気遣うようになりました。
ハリスは、攘夷のために日本の治安が悪いことを理解しておらず、しきりに旅行をしたがっていました。それをうまく説得し、身柄の安全確保に気を遣っています。
続発する攘夷事件。
それを見聞きし、ハリスはようやく日本の危険性に気づくことになるのでした。
岩瀬とハリスの間には、偏見や敵意のかわりに、敬意がわいていました。
ハリスはじめ様々な外国人と接するうちに、こう確信するようになっていたのです。
「国は違えど、同じ人間だ。わかりあえないことはない」
時にハリスがヨーロッパ各国のことを悪く言うと、岩瀬がたしなめたほどです。
「ヨーロッパ人も同じ天地の間の人。我々と変わりはないでしょう」
ここまでの国際性を、数年間のうちに身につけた岩瀬。その成長性は驚異的でした。
ユーモアと才知溢れる外交官
同時代、岩瀬と知り合った人はその才知に舌を巻き、絶賛していました。
橋本左内「急激激泉の如く、才に応じて気力も盛んに見えて、決断力もあり、知識もあったえ、断あり、識あり」
木村芥舟(摂津守)「資性明敏、才学超絶、書画文芸一として妙所至らざるなし」
岩瀬に魅了され、感心したのは日本人だけではありません。
ハリスは岩瀬のことを信頼していました。ハリスだけではなく、他の国の外交官も、岩瀬を絶賛しました。
岩瀬と出会った、イギリスのエルギン伯爵の秘書であった、ローレンス・オリファント(イギリス、エルギン伯秘書)は、彼を絶賛しています。
「日本で出会った中でも最も愛想が良く、教養に富んだ人物だ」
英語の勉強を努力していた岩瀬は、オリファントの言うことをすぐさま覚えて、繰り返すことができたそうです。
食事に出た品目をすべて書き留め、覚えようともしていました。
オリファントと交渉する幕臣たちは、西洋料理に慣れており、特にハムとシャンパンには「猛然と襲いかかる」と形容されたほど気に入っていたようです。
「条約には、ハムとシャンパンの味がしないようにしないといけませんね」
岩瀬がそうジョークを飛ばします。
ジョークを飛ばすとき、岩瀬は茶目っ気たっぷりに瞬きするので、オリファントにはすぐにわかりました。
そのユーモアセンスは、オリファント以下相手に大受けで、交渉の場を和ませました。
しかも2人は大変陽気な性格であったようで、お互いジョークを言い合い、楽しく仕事ができたようです。
岩瀬は交渉の際には椅子を準備する等、よく気配りもしていました。
もちろんただジョークが好きなだけではなく、岩瀬はいざ交渉に入るとズバリと要点を衝いてきます。
「彼の観察は常に鋭く、正鵠を射ている。それでいて、行う時は謙遜するのだ」
その頭脳に対し、大いに感心していたのでした。
岩瀬はオリファントたちを案内して、浅草観光に向かい、射的や花屋敷を楽しんでおります。
送別の宴では、将軍・徳川家定とヴィクトリア女王に向かって乾杯し、別れを惜しみました。
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岩瀬から脇差まで贈答されたオリファントは、交渉や会食を通じてこう確信したと言います。
「今、日本人は西洋文明の光に接した。これからはきっと取り入れようとするだろう」
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