島津に暗君なし

上段左から初代島津忠恒・9代斉宣・8代重豪・下段左から10代斉興・11代斉彬・12代忠義/wikipediaより引用

江戸時代

島津に暗君なし(バカ殿はいない)はどこまでマジなのか?薩摩藩主全12代まとめ

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10代 島津斉興 1791-1859

『西郷どん』で鹿賀丈史さんが演じていた島津斉興

島津斉興
斉彬と久光の父・島津斉興~藩財政を立て直し薩摩躍進の礎を築いた功績に注目

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父と祖父の騒動を見ていたら、そりゃあ息子・斉彬の行動を律したくもなりますよね。

実際、膨れ上がった借金をどうにかしたのは斉興と、その腹心であった調所広郷です。ドラマでは竜雷太さんが演じていた役どころです。

血の滲むような努力はいかにしてなしえたか?

詳細は以下の記事をご覧ください。

調所広郷
財政を立て直したのに一家離散!調所広郷が幕末薩摩で味わった仕打ち

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11代 島津斉彬 1809-1858

一方、コチラは西郷隆盛を輩出した一件などもあって、現在も人気の高い偉人ですね。

人材だけでなく集成館事業や中央進出への足がかりとなる功績など。

幕末薩摩藩の礎を築いたと言っても過言ではありません。

もちろん全てが成功したわけではなく、別に開明派が斉彬だけだったワケでもなく(薩摩藩の首脳たちは自然と外国事情に詳しくなる)、さらには斉興の懸念が当たった部分もあるのですが、やはり

【0から1にした】

部分もあっての高評価かと思います。

詳細は以下の記事へ!

島津斉彬
幕末薩摩の名君・島津斉彬~西郷らを見い出した“幕末の四賢侯”50年の生涯とは

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12代 島津茂久 1840-1897

天保11年(1840年)。

島津久光の長男として、鹿児島城下に生まれました。

斉彬の子が夭折していたため、斉彬の養子という名目で、安政5年(1858年)に藩主となります。

島津茂久(島津忠義)/wikipediaより引用

ただし、実権を握っていたのは実質的に父であり「国父」と呼ばれた久光です。

忠義名義の命令であっても、実際には久光の考えが反映されたものでした。

父の陰に隠れていて、存在感があるとは言えない人物です。

ただ、それが彼の聡明さの顕れかもしれません。

幕末という多難な時代に、父から実権を取り戻してまで藩政をかき回すようなことをしなかった。

忠義は父・久光と同一視されがちで、明治維新のあとも和服に丁髷を結っていたことから、時勢を知らない人物とみなされることもあります。

ただしこれは彼なりのポリシーでしょう。

伯父・斉彬のように、開明的な技術にも興味を持ちました。

趣味は写真撮影とコレクションで、現在も彼の集めた写真は「尚古集成館」に1000枚ほど残されているのだとか(尚古集成館→link)。

 

国父 島津久光 1817-1887

ある意味、ドラマ『西郷どん』で最も誤解されているのはこの方かもしれません。

まるでマザコンと言わんばかりの母親との接し方。

兄に頭の上がらぬ、一見すると、深い考えもなさそうな話し方。

しかし、実際は、幕末の荒れ狂う波を乗り切ったのは西郷隆盛や大久保利通らの若手の勢いだけでなく、手綱を握っていた島津久光の力も大きく、同じく激しかった水戸藩と比べて薩摩が躍進できたのも藩主の差だった可能性も。

詳細は以下の記事へお願いします。

島津久光
西郷の敵とされる島津久光はむしろ名君~薩摩を操舵した生涯71年

続きを見る

 


やっぱり島津に暗君なし

いかがでしょう?

島津に暗君なし――これはやっぱり納得ですね。

文字だけ見れば島津重豪の暴れっぷりに眉をひそめる方もおられるかもしれませんが、結果的に斉彬へ影響を与え、薩摩躍進の礎建設に役立っていると言えましょう。

斉彬ばかりがクローズアップされがちですが、代々の殿様が英邁であったからこそ、薩摩藩は維新の雄となれたのではないでしょうか。

他の藩主たちの功績も、見直されるとよいですね。


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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
『天璋院篤姫の生涯―篤姫をめぐる160人の群像 (別冊歴史読本 87)』(→amazon
『国史大辞典』
ほか

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