江戸時代 べらぼう

『べらぼう』里見浩太朗演じる須原屋市兵衛~幕府に屈せず出版を続けた書物問屋の生涯

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須原屋市兵衛
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『三国通覧図説』にはないはずの“国”があった

幕府の検閲をおそれず、『解体新書』を刊行させた須原屋市兵衛の志は不変でした。

桂川甫周の弟・森島中良の『紅毛雑話』、『万国新話』、『琉球談』といった、国際情勢に関する本を刊行。

田沼意次の失脚後、幕府の追及をおそれたのか、工藤平助はロシア探究から距離を置きますが、仙台藩士である林子平はなおも研究を続けていました。

そして寛政4年(1792年)、林子平の『三国通覧図説』を須原屋市兵衛は刊行します。

これが松平定信の逆鱗に触れ、絶版のうえ板木を没収され、重過料まで課されてしまうのです。

須原屋の経営はこの一件で大きく傾き、その5年後の寛政9年(1797年)、蔦屋重三郎は没します。

ゆえにドラマでは、その後の須原屋市兵衛は描かれないかもしれません。

むろん本人の苦闘は続いていましたが、悲しいことに文化3年(1806年)に【文化の大火】で被災。

土蔵がなく致命的な打撃を受けてしまい、文化5年(1807年)を最後に単独出版は終わりを告げます。

経営権が本家筋である茂兵衛に移り、3代目を最後に店は終わりを告げるのでした。

 


日の本をよくするために書物を刊行

なまじ果敢な挑戦を続けたために、閉店へと追い込まれる須原屋市兵衛。

『べらぼう』の序盤では温厚な人格者として登場しました。

それが平賀源内の死に疑念を抱いたことで、別のスイッチが入ったように思えます。

お上の裁定に異議を唱えたことで、陰の権力者である一橋治済の目に留まってしまう。

お上が隠そうとした真実を暴いたことで、道が閉ざされてしまう。

徳川治済(一橋治済)/wikipediaより引用

それでも須原屋市兵衛が正しかったと見ている側が思えるのは、彼が平賀源内の志を胸に「日の本をよくするために書物を刊行していた」からでしょう。

須原屋市兵衛たちが田沼意次へ、平賀源内の死について究明するように迫ったことはドラマの脚色です。

一橋治済が平賀源内を謀殺したこともそうでしょう。

一橋治済が松平定信を焚き付けるとすれば、むろんそれも創作です。

しかし、歴史劇とは史実と史実の間を蔦のように絡ませ、そこに物語を紡ぐことで成立するといえる。

徳川家基と平賀源内の死を二週にわたり描き、歴史ミステリとすることにより『べらぼう』はこの構図をうまく仕上げてきました。

初回において蔦重は田沼意次と顔を合わせていました。

この面会で、蔦重は田沼意次に好感を抱くも、二度目の対面では崩れる。

さらにその背後に一橋治済という別の蔓が伸びてくる。その蔓に絡め取られ、蔦重と須原屋市兵衛は苦しめらることになります。

それでも彼らがめげずに書物を刊行し続けるのは、源内の志を受け継いでいるからこそ。

里見浩太朗さんが演じ続けるのか、はたまた二代目に交代するのか。

いずれにせよ、須原屋市兵衛の名はクレジットに表示され続け、書物を通して世を耕す姿を見せてくれることでしょう。


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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
中野三敏『江戸の出版』
中野三敏『書誌学談義江戸の板本』(→amazon
橋口侯之介 『和本入門 千年生きる書物の世界』(→amazon
橋口侯之介『続和本入門』(→amazon
鈴木俊幸『江戸の読書熱』(→amazon
岩崎奈緒子『ロシアが変えた江戸時代』(→amazon

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