五稜郭氷

『ゴールデンカムイ 27巻』/amazonより引用

ゴールデンカムイ 明治・大正・昭和

『ゴールデンカムイ』最重要拠点の五稜郭には金塊より儲かる“氷”があった!

アイヌの金塊はどこにあるのか?

隠し場所は、囚人の刺青に彫られている。それを解読するために、刺青人皮を集める――。

そんな独特でミステリアスな世界観が受け、連載が終わってもなお人気の『ゴールデンカムイ』ですが、原作に出てきた刺青人皮がアニメ版だとカットされていることもあります。

もしかして、全て集める必要はないのでは? という疑念も湧いてきます。

暗号解読のキーワードは、シーズン3のラストでアシㇼパが思い出し、暗号を解読しなくても、別のヒントがあればわかるかもしれない。

アニメシーズン4から出てきた房太郎が、そんなことを提案。

そして大冒険の末に、いよいよ判明した金塊の隠し場所は、土方歳三も戦った――五稜郭でした。

北海道民にとっては、花見や遠足の定番である五稜郭に、そんな大金があったとは!

まさしくロマンある設定ですが、この五稜郭には実際、金塊ではないお宝がありました。

五稜郭にあるものを運んでいけば金になる。

そこに目をつけた商人が存在したのです。

劇中の白石たちにも教えたい。

五稜郭にあったビジネスチャンスを振り返ってみましょう。

【TOP画像】
『ゴールデンカムイ 27巻』(→amazon

 


幕末の来日外国人は金目のモノを探す

幕末モノでおなじみの来日外国人と言えば、こんな定型スタイルがあります。

維新志士に感銘を受けたり、武士道に感じ入ったりして、共に戦う――。

典型例がトム・クルーズの映画『ラスト・サムライ』でしょう。

モデルはフランス人士官ジュール・ブリュネとされ、土方歳三にとって最期の戦いである【箱館戦争】にも従軍していましたね。

しかし……。

現実はロマンだけではありません。

幕末維新の混乱期にビジネスチャンスを求める西洋からの来訪者も多く、彼らは上陸後「金目のモノがないか?」と全国を探し回っていました。

フランスの場合、より具体的な金脈もありました。

彼の国では病虫害により蚕が壊滅しており「日本から持ち帰ってシルクを復活させる!」という野望もあったのです。

幕府と接近したのは、単に英国へのライバル心だけでもなかったんですね。

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確かに当時の日本女性は露出度が高かったため、

「胸をはだけてる!」

「男女混浴ってシンジラレナーイ!」

と、金儲けの前にエロスを見出す者もいましたが……外国人が上陸する都市では、女性も露出度を下げて対応。

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そんなことより、外国人の目的は文化ギャップから生じる利益です。

典型例が植物でしょう。

華麗で珍しい草花は、園芸品種としてお宝となり、プラントハンターという職業があったほど。

2023年の朝ドラ『らんまん』でもこの言葉は登場しますが、要は価値ある植物を追い求めて世界各地へ向かう人々のことですね。

当時はまだまだ人類未踏の地が世界に広がっていて、資本主義が育っていく近代ならではの職業となりました。

なんせ、世界史上初のバブル経済は17世紀の【チューリップ・バブル】とされます。珍しいチューリップの球根が高値で売れたのです。

近世のヨーロッパでは、珍しい植物はカネになる。日本に上陸した外国人も、珍しい植物を探す。

実はその先駆者がシーボルトです。

日本を愛した印象のある外国人であり、確かにそうと言えるのですが、彼にもビジネスの目的があったのですね。

むろん植物だけではありません。

葛飾北斎の作品にせよ、他の浮世絵にせよ、金になるから国へ持ち帰る。

遣欧使節の一員としてヨーロッパに渡った福沢諭吉は、オランダで醤油が売られていることに感激し、日蘭関係の尊さに思いを馳せました。

儲かるから売る――そんな経済的な結びつきですね。

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こうした金の稼ぎ方は、同時代の東洋にはありません。

近世において世界最大の大帝国であった清。

貿易を求めるイギリス人に、乾隆帝はこう言いました。

「朕の国は、貴殿の国から買いたいものは特にないのだ」

当時のイギリス人は、清側が求めた宮廷儀礼だのなんだのを、ことさら非難してみせましたが、なんのことはない。

当時の西洋は、まだ東洋にとって旨味のあるものを売り出せなかったのです。

しかしイギリスとしては、どうしても茶葉が欲しい!

ならば阿片を売りつけてやろう――こうして近世から近代へ、時代は変わってゆきます。

ここでもう一点、金を儲けるための大事な手段について考えてみましょう。

ある土地では簡単に手に入り安価なものを、別の土地で高値をつけて売れば儲かる――。

商売の基本ですが、江戸時代の日本は、交通網の整備や海禁政策を踏まえると本格的にできるわけでもなく、あくまで限定的。

幕末になって、そうした貿易が可能なことに、幕閣一の切れ者である阿部正弘は気付きました。

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しかし、諸大名にそのことを説いても一向に伝わらない。

同じく切れ者の島津斉彬は、集成館事業で薩摩切子などの製品を作りましたが、例外と言えるでしょう。

そうした歯がゆい状況から脱して、ようやく海外にも売り込める品々が作られるようになったのが明治時代です。

かくして貿易に目覚めた日本人の中に、切れ者がいました。

材料費が無料の品を、輸送費だけで売れば丸儲け!

金塊ならば採掘し終えたらそれまでだけど、ただ同然の原料が大量にあっていくらでも金になる!

さて、それは何か?

氷でした。

 


日本人にとっての氷とは?

日本人にとって、かき氷の歴史はいつから?

それを辿っていくと、平安時代の『枕草子』から語られることが多い。

以下、第四十二段ですね。

あてなるもの。

削り氷にあまずら入れて、あたらしきかなまりに入れたる。

上品なもの。

削った氷にツタのシロップを掛けて、新しい金属製の器に入れる。

『枕草子』第四十二段

紫式部源氏物語』でも、薫が今上帝の娘・女一宮が氷を持つ様子を見かける場面があります。

清少納言にせよ、紫式部にせよ、天皇のそば近くに使える人物。

そうした権力者は氷室で保管された氷を用いて、デザートを食べ、氷で遊ぶことができた。

日本人にとって、長いこと氷とは権力の象徴と言えたのです。

江戸時代ともなれば将軍家や大名のもとに、飛脚が氷を運ぶことが夏の行事として定着しました。

しかし庶民にとっては高価なシロモノであり、日常的に使うという発想は思い浮かびません。

それを変えたのが幕末という時代です。

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