正暦元年(990年)の1月25日、藤原定子が入内(後宮入り)しました。
この時代は「ふりがな」という便利な概念がありませんでしたので、本当は何と読んでいたのかわかりません。
ですので「ていし」でも「さだこ」でも「さだいこ」でもお好きな読み方でどうぞ。
彼女は『枕草子』の作者・清少納言が仕えたことで有名です。
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もしくは史上初の(そして大ブーイングをくらった)「一帝二后」のうちの一人として覚えている人もいるでしょうか。
ブーイングされることになったのは本人じゃなくてこの制度をゴリ押しした道長のせいなんですが、ともかく藤原定子の生涯を見てまいりましょう。
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子供を生んでから次々に苦難が
当時は藤原氏の全盛期で、皇后や女御(にょうご・後宮における位一つ・天皇のお手つきがよく出る)は藤原氏出身でなければほぼなれないような状態でした。
定子も最初は女御、そして後に中宮となっています。
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このとき定子は満13歳、一条天皇は満10歳。
形としては姉さん女房ですが、二人とも幼かったからか、そうしたトラブルはなく仲の良い夫婦だったようです。
仲がよければ子供ができるのも道理で、5年後には二人の間に新しい命を授かります。
定子にとってはこの頃が人生で一番幸せな時期だったでしょう。
後は出産を待つばかり――そうなった定子へ次々と苦難が襲い掛かります。
まずは父・藤原道隆(道長の兄)が病気で亡くなってしまいました。
この死因というのが流行り病ではなく、今でいう糖尿病にあたるためさらに悲劇が続いてしまいます(後のことですが道長も糖尿病が死因かと目されています)。
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もし関白だった道隆が流行り病で亡くなっていれば、周りの貴族もバタバタやられていたでしょうからね。
そして皮肉な事に、道隆の弟・道長にとってはこれが絶好のチャンスになってしまいました。
兄弟の不祥事に連座 身重ながら出家
さらには天が道長に味方したかのように、定子の兄弟たちが花山法皇(一条天皇の先代・血筋的には従兄)に矢を射掛けるというとんでもない事件を起こします。
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兄の藤原伊周(これちか)が「オレが目をつけてた女に法皇が手をつけようとしてやがる、出家したくせに許せん!」とトチ狂ってやったことらしいのですが、実は法皇のお目当ては別の人で、たまたま相手の女性二人が姉妹だったため勘違いしたというオチが……。
誤解していたことに気付いた伊周は真っ青になりました。
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法皇は法皇で体裁が悪かったので、自らこの件を騒ぎ立てたりはしませんでした。
ただ、名目や経緯はどうあれ、法皇に弓を引いたという一大事がそういつまでもバレないわけはありません。
人の口に戸は立てられませんし、おそらくは法皇か伊周の従者あたりから漏れたのでしょう。
当然伊周と加担した弟・隆家は流罪。
定子も兄弟が二人揃って流されたからにはそのままでいることはできず、身重ながらに出家して責任を取りました。
母が亡くなり家も燃え それでも内親王を出産
宮中では出産が穢れとされていたので、当時、定子は別の場所にいたのですが、伊周と隆家が引き立てられていくのを見たのがあまりに衝撃的だったようで、自らはさみを取って髪を切り落としたそうです。
この時代、貴族の女性が髪を肩まで切りそろえるのは、子供の頃か尼になるときに限られていまして、もちろんどちらも人に切ってもらうのが当たり前でした。
当時は末法思想(もうすぐこの世は仏様のご加護がなくなってしまうという世紀末思想)が広く信じられていたため、貴族はある程度の歳になれば皆出家していましたので、定子がその作法を全く知らなかったということは考えにくいです。
ということは、よほど兄弟がしょっ引かれるところを見てしまったのが辛かったのでしょう。
さらに、同じ年のうちに滞在していた二条宮が燃えたり、母・貴子(やはり読み方不明)が亡くなるなど立て続けの不幸に見舞われた定子は、それでも力を振り絞って内親王を出産します。
一条天皇にとっては初めての子供でしたから、会うのを今か今かと待ち望んでいたようです。
娘だけを引き取る事もできたでしょうが、その母にもよくよく会いたかったと見えて、なんと出家した定子を再び宮中に招き入れてしまいました。
このときの一条天皇はまさに”本気と書いてマジと読む”状態だったそうです。
反対する貴族達を押し切り、母親の東三条院や道長を味方につけ、遠慮する定子本人すら「あなたのおじいさんが”定子に男の子が生まれる夢を見た”というんだ。きっと予知夢に違いない!」と言って説き伏せたとか。愛の力すげえ。
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