宋おもてなし

伝統的な中国の庭園である蘇州古典園林「網師園」

飛鳥・奈良・平安 光る君へ

『光る君へ』藤原為時は越前の宋人たちをどうやって“おもてなし”したか?

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宋人おもてなし考察
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美味しい「あの野菜」が日本に定着するのはずっと先

野菜についていえば、宋人も「日本は我が国と似たようなものだ」と安心できたことでしょう。

江戸時代に滞在した清の商人は「野菜は大体揃う」と記録しています。

なんと「諸葛菜」まで日本で取れるとあります。

あの諸葛亮が栽培を奨励した伝説のある野菜で、日本ではかなり近年になって栽培されるようになったとされています。

中国では「諸葛菜」という名前は広くアブラナ科に用いられるためかと思われます。

宋人が恋しくなりそうな野菜としては、白菜があげられます。

宋代は白菜の品種改良が進んだ時代。

『光る君へ』の時代からややくだりまして、グルメで知られる北宋の蘇東坡は、白菜をこう詠んでいます。

白菘類羔豚、冒土出熊蹯

白菘(はくしょう)は羔豚(こうとん)に類し、土を冒して熊蹯を出す

白菜はまるで子羊や子豚の肉ようで、土から生じた熊掌(中華料理の最高級食材)といえる

日本で白菜はなかなか育てることができず、江戸時代後期以降、試行錯誤を繰り返してきました。

国民にまで広く知られるようになったのは、日清戦争以降とされます。

清でその味を知った兵士が広めていったのです。豚肉よりもあとに広まったのですから、驚きですね。

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諸葛孔明が生み出した伝説もある「饅頭」はない

当時の宋は技術が進化していました。

油の使用、炭を用いた高火力など、現代にまで通じる中華料理技術の向上はこのころから本格化してゆきます。

日本人からすれば信じられない、未知の味があったことでしょう。

宋人の料理の中には、皮で包んだものが見えます。

小麦粉を用いて作った、粉食文化と為時やまひろが出会った瞬間なのかもしれません。

遣唐使】など、日本では中国から粉食文化が伝わったとされるものの、定着までには諸説あります。まひろたちにとって未知の味でも不思議はないのです。

まひろがこの経験から、米だけではない穀類流通や栽培を道長に伝えるとすれば、おもしろくなりそうです。

 


まひろ、ニンニクの効能を知る?

源氏物語』の「雨夜の品定め」には、漢籍教養女が出てきます。

女のくせに漢籍教養をひけらかす。そのくせ空気の読めない女が、薬だからとニンニクを食べていた!

その息の臭さに参ってしまったというエピソードが披露されます。

周明とまひろが出会うとなると、このエピソードにも背景が見えてきます。

周明がニンニクの薬効を説明したことをまひろが覚えていて、用いるか。

あるいはそれを誰かに伝えたのに、痛い女扱いをされるとか。

はたまた藤原実資が、興味を示すか。

気になるところです。

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